追記)9日23時の記事に、以下、緑字部分を追加しました。

 

日本は、非常識が普通になり、世につきものの不条理なことがいつの間にか増えていっている。

 

なにしろ、関係者優先、よいしょする人優先、金持ち優先、弱者は自助努力で頑張れよ的な政治、

公文書の改竄があっても徹底的な責任追及もなくうやむやのままに、

わけの分からぬいいかげんな基幹統計により、実際は不景気なのに継続的な好景気とされ、

都合の悪いことはなし崩し的にうやむやにされて終わる、

あっちもこっちも、忖度忖度・・・

 

「上級国民」という単語が、日本語として昔から今にわたって存在していたかのように思えてくる。

 

政治がこんな状況では、国民が暮らす社会が狂ってくるのも当然では?

 

・・・社会が狂っているから、「公の秩序」を重んじる「美しい日本」へ戻すとでも?

 

国家への奉公を強いられ続けていた戦前の日本が、美しい国だったとでも?

国家への奉公を理解し身につけることが、美しい日本の道徳であるとでも?

 

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全体主義は,

人の心、良心を荒廃させ、なおかつ人は自分を保つことに精いっぱいとなって自分の心が荒廃していることに気づかなくなってしまう、或いはそのことについては避けて生きるようになる。

 

全体主義とは、個人の全ては全体に従属すべきとする思想または政治体制のひとつである。

政治学では権威主義体制の極端な形とされる。

「全体の利益を個人の利益より優先する」だけではなく、個人の私生活なども積極的または強制的に全体に従属させる。

全体主義の対義語は個人主義、権威主義の対義語は民主主義である。

(上の5行:wiki より)

 

上の「全体の利益」は、自民党憲法改正草案における「公の秩序」=国家権力、

上の「個人の利益」は、「基本的人権」に基づく諸々に置き換えられると思う。

そして、政治権力=国家権力は個人の私生活にまで諸々の強制力を及ぼしてくる。

 

今の政治は、その全体主義に近づきつつあり、

また、それに向かってまっしぐらの感があると思いませんか?

 

 

このままでは、行きつく先は、「美しい日本」どころか、

個人の意見・思想はことごとく抹殺されていた戦前・戦中の日本になる。

 

この時代、個々人の本音は表に出せなかったではないか。

本音を一言もらしたら、治安維持法違反で逮捕され特高警察に抹殺されていたではないか。

 

 

安倍首相の言っていること、やっていること、

 

安倍首相をよいしょするだけの国会議員たち、

 

自民党憲法改正草案に書かれていること(天皇は元首、基本的人権より公の秩序を重要視、終わりなき独裁政治も可能になる緊急事態条項など)、

 

安倍首相に忖度する官僚たち、

 

公文書偽造も、いいかげんな基幹統計問題も、上級国民優遇問題も、すべてうやむやのまま、

 

日本会議の言うこと、思想、

 

改憲強硬論の評論家の言うこと、思想、

 

 

これら、すべてが、

個々人の人権よりも公の秩序を重視する方向=全体主義に向かっているではないか。

 

 

「美しい日本」をとり戻したい人々の言う「美しい日本」とは、

誰かを上に置き、国民はその者の意のままに支配される全体主義の日本ではないか。

 

 

戦時中の民衆の心は、痛みを感じながら荒廃していた。

荒廃した心でないと生きていけない時代だったと思う。

 

一般国民の誰が、そんな時代に戻りたいと思うか!