毎日の通勤、
駅で降りて会社に向かうこの道で同じ時刻に、ほぼ同じ場所ですれ違う人がいた。
初めて、その人に気づいてから土曜と日曜を除く毎日、もう1ヶ月くらいは経つだろう。
派手ではなく、清楚でセンスの良い服装をした涼しげな顔をした人だった。
通りすがりに、その人の存在に初めて気づいたとき、その人は僕を見ていた。
その日以来、同じ時刻にほぼ同じ場所で、
お互いに見つめ合いながら通り過ぎるようになった。
すれ違うとき、
なにかが僕の心に伝わってくるのは、単なる僕の思い過ごしだろうか。
すれ違うとき、
僕になにかを求めるようなまなざしをくれると感じるのは、僕の思い過ごしだろうか。
そんな思いを毎日抱きながら通りすぎるうち、
なにも知らないその人のことを好きになっていった。
お互いに忙しい時間帯だから、声をかけたとしてもお茶を飲む時間もない。
初めての話が立ち話というのも落ち着かない。
でも、思いを綴った手紙を渡すことはできる。
たとえば、明日のいつもの時刻にここで返事をくれと書いて。
そうしたかったよ、でも、僕はそれをできなかった。
僕はのめり込んでしまう、たぶん。
だって、彼女の見えない思いが伝わってくるんだもの。
彼女が僕を見つめる涼しげな眼差しの中に、僕の思いと同じものを強く感じるんだもの。
僕が、フリーの身であったら、とっくに行動を起こしていた。
今日で、この道をこの時刻に通ることはなくなる。
今日もあなたのまなざしをもらい、なにかが心に伝わってくるのを感じているのに、
いつもと同じように通り過ぎてしまった。
一言、話しかければ、確実に別な世界へ入り込めたはず。
その世界に入りたかった。
しかし、その欲望よりも、それを引き止める強い力の方が強かった。
のめり込んでしまったら、妻が可哀そうだ。
見つめ合い、心にきっと同じものが流れるのも今日が最後。
なのに、いつもと同じく見つめ合い通り過ぎるしかなかった。
彼女は、明日も今日の続きがると思っているだろう、しかしもうそれはない。
この数日、会社は事務所移転の準備をしていたのだ。
今日は、引越し屋が来て、僕が通う会社は明日からは別なところなのだ。
これまで通ってきたこの道を、その時刻に通ることは、もう二度とないのだ。
あなたと見つめ合うことも、さっきがお終いだったのだ。
あなたは、それを知らない。
でも、きっと愚図な男のことなんか忘れ、なにごともなく、この道を通って行くのだろうな。