「もう帰る」
私は、ぽつりと言った。
もう少し、いようよと言いながら、唇をあわせようとするあなたから、私は顔をそむけた。
「もう帰る」
あなたは、分かったと言い、私の肩を抱きながら立ち上がった。
そして、両手をブレザーのポケットに入れて肩を怒らせ、
目いっぱいに涙をためて見つめる私に言った。
「怒ってるの?」
「怒ってる」
「どうして?」
「あなたが、私を騙したから」
「騙してなんかいないじゃないか、何にも」
「騙した。あなたはエッチなことをしたいだけ」
「そんなことはないよ。たしかに君を抱きたいよ。でも、それは君が好きだから」
「私じゃなくてもいいんでしょ?いろいろさせてくれる人なら」
「ちがうって、言ってるだろ」
「私、情けないわ、いくら誰もいないし暗いといっても、外でこんなことしてたなんて」
「だったら、拒めよ。嫌がったら何もしなかったよ」
「どうして、あなたってそういう言い方するの?拒めない私の気持ち分かってよ」
「だったら、いい年をした恋人同士、何もしないで、お手手つないで帰ればいいのかな?」
あなたは、多少、頭に来たような、ふざけたような口調でそう言った。
私は、そんなあなたにカチンときた。
「そんなこと、言ってないでしょ。あなたは、私のこと全然分かってくれてない」
「僕も言いたいよ。騙しただなんて、君だって僕を分かってくれてない」
「私たち、やっぱりだめかも知れない」
しばらくの沈黙のあと、そう言った。
「またかよ・・・話を振出しに戻すなよ、しょっちゅう・・・」
あなたは、大きくため息をつきながら言った。
とにかく、この暗闇から脱出しよう、
それが今は第一の策だと言って、私の肩に手をまわして、うながした。
私は、肩を振って、無言の拒否を示して歩きだした。
緩やかな斜面の小道を下って、北の丸公園の舗道へ出る。
武道館を右に見ながら田安門を抜け、地下鉄九段下駅そばの喫茶店に入った。
私はホットミルクティ、あの人はホットコーヒーを頼んだ。
あなたは、おしぼりタオルで私の手を拭いてくれようとしたが、私は視線でそれを拒否した。
喉から胃に流れ落ちるミルクティが身体をジーンと暖かくする。
私は、自問した。
”私にとって、この人はどういう人ですか?”
どう考えても、やっぱり大事な人以外の何物にもなり得ないのだ。
”では、この人にとって、私はどういう人ですか?”
答が出てこない・・・。
なぜ、会うたびごとに、虚しくなるのだろう。
あなたを好きなのに、肉体的なこととなると、受け入れられなくなる。
私を抑圧する何らかのものから逃れられない。
あなたのことを大切に思う心、その同じ心であなたを拒むものがあることを何とか理解して欲しい。
そうねとか、うんとかばかりのおざなりな会話しか生まれず、喫茶店を出た。
無言のまま、地下鉄への階段を下りて行った。
ひとつだけ乗って、飯田橋から新小岩へ20分ほど。
タクシー乗り場で待つ間に、私たちは手を握り合っていた。
私が、先に車に乗るとき、私は勇気を出して、あの人の頬にキスした。
あなたは、びっくりした様子、車に乗り込みドアが閉まり走り出す。
私は、出来る限りの笑顔で振り返った。
あなたも、優しい頬笑みをくれた。
これが今の私に出来る限界、分かって欲しかった。
私は、幼いのかも知れない。
でも、誰よりもあなたが好きです、それだけは分かって下さい・・・
そんな気持ちを込めたつもりだった。
あとは、あなたにまかそう・・・私はそのとき、そう思っていた。
そして、一週間後、私は、あなたのことは終わりとした。