前回の話、カルマの事。
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まず、タイトルの「うごめくもの」とは?
低次元(まぁ、一応四次元でしょうが)で負の感情の塊のネバネバしたような(私のイメージ)悪しきとされる存在です(昔に天界のヒプノの先生から伺った)。
最近では四次元が浄化されているので、今は三次元、物質世界でこびりついたもののうごめくものだけが存在しているのでは?と思います。
私が考えるうごめくものの出来方その前に。
パーフェクトワールドで生まれる前の魂はワクワクしながら(あ、でも、人間に生まれたくないっていうけど人間に生まれちゃった魂のアニメの映画があったから例外もあるかも。)自分の光と愛を示すために地球や星々に生まれてきます。
光と愛を示す方法として、正義の味方になったり、愛のあふれる生き方をしたり、もしくは逆に正義の味方を引き立たせる悪役をやっても、他の魂たちとのふれあいで改心する役など、周りの魂とコンタクトもとりつつ人生のブループリント、青写真をつくるそうです。
その青写真はいくつか人生のパターンが用意していて(魂が創る)、
例えば、「P、5 あなたはクラスメイトに殴られました。どうしますか?」
泣く→P、6へ 耐える→P、8へ
殴り返す→P、11へ
みたいなRPG本?みたいな分岐がいくつかあるそうです。
それでいくつか人生が並行にあったらパラレルワールドですね。
光と愛ある青写真を想定してきたのに
全く光も愛もないとか、予定外に物語をすぐ終える=自殺してしまう(青写真に自殺が想定されている場合はセーフ)と魂的に落第ものです。
全く光も愛もない場合は死後、地獄という反省室行きです。(地獄というのは自分と似た存在の介入で反省するまで入れられます。)天国、極楽も同じ、自分と同じレベルのもの同じ道理ですが、高次元の光と愛のパワーエネルギーで自由度が物質世界より増すと考えられます。
なんかミスチルの「悩んだ末に出た答えなら15点だとしても正しい」かなと思います。結果はどうあれ、考える(悩んだ末)というのは光ある事ですから。
そこで、前置きが長くなりましたが、
私が考えるうごめくものの出来方ですが、全く光も愛もない場合でしつこく三次元に執着しているもの(霊体)もいると思いますし、または自殺して、また転生する際、その落第点を取り戻すために無茶な過酷な人生、カルマ課してブループリントまた、無茶な過酷な人生で自殺して…を繰り返す、そのうち光と愛がわからなくなり、こういう魂もうごめくものになると考えられます。
元々、光と愛の魂なのに光と愛を忘れてしまったものが『うごめくもの』なのだと思います。
前後で比べると前、光と愛では全くないものは同情しませんが、後のパターン、
自殺→カルマかさねて→自殺のパターンは悲しすぎると思います。
落第点重ねて落第点の逆を、うごめくものの逆、反対を載せるとしたら、
障がい者の魂です。
人生(光と愛の合格点→人生の目標達成)
→人生(〃)→人生合格点の繰り返し
で極めりは、残りの人生は他の人の、周りの人の光と愛を、徳を、魂を高めるべく、
1人では不自由な障がい者になるそうです。
『不具(障がい)は福』と昔から言ったものだ。
でも、自分も統合失調症だけど、障がい者だけど、健常者になりてぃ。
今回の話、
うごめくもの(光と愛の落第者)⇔
障がい者の魂(光と愛の大満点)
元は全ての存在は光と愛の源からーー。
(私でいうマミーおやじから❤️)