Juan O' Savinの話では、一年くらいかかるかな〜
という事を最近、よくいってますけど、それくらいしたら皆が実感がわくってことなんでしょうかね。
ネサラゲサラについて、タイトルを見るようになってきて、もうすぐなんだろうなと思う反面、興味が薄れてきてしまったというのも正直あります。
いよいよって時に、興味がなくなった???
って、変な話ですが、この世界がかわったらどうなるんだろうという不安もあります。
3次元から5次元へいくのだから、世界がかわっても良い世界なんじゃ?!という話では、そうなるみたいですが、今までの自分や周りの世界を完全になくして、次の世界っていうのも、パッと切り換えるというふうには行きませんよね。
物質主義じゃなくなるなら、ネサラゲサラによってお金に不自由しなくていい世界にようやく行く事ができるんでしょうから、そりゃ楽しい事ばっかりですよ。って、いうことにはならないですよね。物質主義じゃないなら、別のあり方にいかないといけないわけなんで、ネサラゲサラによってお金に不自由しなくていい世界から脱却する事をやらないといけなくなるんですよ。
私の場合、母親がケチで父親が酒やギャンブルに金を使い込む中で育ったんで、どっちもその影響を受けてるような感じがあって、時にはアマゾンでごっそり無駄遣いするというのを一年に一回くらいするけど、それが浪費だというのに気づいて落ち込むというのもあります。
でも、そういったのも私の内面であって、お金が私という人格を制限してたというのもあったわけですよ。
ネサラゲサラになって、お金という一つの尺度が欲求として失われる時、どうなるんだろうと思ってきたのでした。
例えば、私のブログをフォローしてくださってる方たちの中にも、ネサラゲサラの情報で金融関係の情報が私のブログから消えたら、半分以上去っていくんじゃないかと思います。
わたしも、金融関係を結構、重視してたなと思いますので。
しかし、そんなふうで、今のところ興味が薄れてしまったので、その部分は私のブログから減るか無くなるかだと思います。あらかじめ、それを書いておきますね。
ぶっちゃげた話、お金の価値って限られています。金とか銀になるからと言っても、それも同じ事。そこに集中しない人生を歩むことが大事なんですよね。
わたしごとですが、ネサラゲサラが来る前に、そのことに気づいたんで、よかったと思いました。