新年度友達ガチャ

 

 

*このブログ初めての方はこちら(書いている人の自己紹介など)

*相談者さんにご連絡→ 4月27日(土)〜5月6日(月)までGWのお休みをいただきます。

 

 

 

小学校低学年の不登校からの回復は単純にショック症状が抜ければ登校できたりするんですが、

 

高学年以降の不登校からの回復には成熟が必要です。

成熟とは何かといえば、簡単にいえば、

 

成長する

大人になる

自己理解が進む

 

あとは何かな〜、

以前ご紹介したはびりすの奥津さんは動画の中では「まとまる」「まとまっていく」という表現を使われています。

 

 

不登校の子は大なり小なり、きっかけはいろいろですが、

精神的なショックを受けています(心的外傷)

 

そして、これは言いにくいことですが、私もそうだったんで、はっきり言いますが、ショックを受けた場所から逃げました。逃げたことはその時は必要なことでしたけど、負けたんです(私は当事者だから負けたと言ってOKです。親御さんたちは決してお前は負けたなど言わないように)

 

友達はそれを耐えているのに、友達はそれでも学校に行き続けているのに、自分は逃げたという失敗体験がずっとついてまわります。

そして一番残念なことは、不登校というのは、失敗したまま、逃げたまま、そこで時間が止まっています。だから登校させろと言っているのではなくて、

 

まずはもう一度戦えるように、体調を整えること、回復を待つことが必要になります。

学校に行けなくなるというのは相当な傷がついているはずですから、回復無くして挑戦はありえません。

 

で、ここでよくあるのが、無理に通わせてしまい、100連敗ぐらいさせちゃう親が多い!

お前はどんだけ失敗体験を積ませれば気が済むねん・・・。

夜も寝れない、風呂に入れない、ご飯も食べれない状況で、よく連れてったなと呆れてしまうのですが、何度も失敗体験を積ませることによって、何をやっても意味がない。頑張ったってどうせ無理という考え方が意図せず染み付いてしまいますので絶対にやらないでください。

 

ですから、心が回復して、お家のお手伝いや、買い物、趣味の外出などもできるぐらいに回復したら、徐々に社会と合流することを意識していきます。

 

その際に意識することとして、精神科医の斎藤環先生の著書『社会的ひきこもり』からのメッセージが理解に役立つと思いますので、紹介します。

 

 

「成熟(大人になる)」は、いかにして可能になるか。私はそれが「外傷への免疫の獲得」という過程ではないかと考えています。「心が傷つき、そこから回復する」ことは、「感染症にかかり、回復する」ことと似ています。つまり、あとに「免疫」に似た変化が残るという点です。できれば感染症にはかかりたくないのは誰にとっても当然ですが、しかしある程度雑菌にさらされたり、時には軽い感染症などを経験しなければ、細菌に対する免疫機能は発達しません。ここで重要なことは、何らかのかたちで感染を経験すること、そしてその感染から確実に回復させること、の二点になります。免疫と外傷が似ているのは、それが他者との出会いによって生ずるという点です。もちろん、他者との出会いがすべて外傷になるわけではない。しかし本当の意味で重要な他者との出会いは、どこか必然的に外傷性を帯びてしまうのではないでしょうか。

それは暴力的な他者かもしれない。あるいは人を魅了してから見捨てるような他者かもしれません。そのように予測を超え、コントロールできない存在としての他者をどう受け入れ、乗り越えていくか。

人は「成熟」に際して、いやおうなしに外傷を体験します。ただし、それだけでは足りません。もう一つの重要なことは、外傷を体験した人は、外傷から回復する機会を十分に与えられる権利があるということです。「成熟」の過程で欠かせないのは、この「外傷の体験と回復」というセットなのです。そしてこのセットを可能にするのが、まさに「他者との出会い」にほかなりません。ただ傷つけられる一方では、他者の外傷的な恐ろしいイメージしか残りません。しかし、他者の支持によって癒されることを経験すると、「ただ恐ろしいだけのものではない」という、より正確な他者イメージが獲得されるでしょう。その意味で「外傷への免疫の獲得」とは、「有効な他者のイメージ」を学習する過程でもあります。

 

結構、ハードなこと言っていると思いません?

学校で傷ついて、家に逃げ込んで、元気になって、ふうと一息ついて、やっと社会に合流しようと思って外に出たのに斎藤先生は「嫌だろうけど、また傷ついて、それ乗り越えてくれる?そしたら免疫つくから、で、もう一回傷ついてもらって、暴力的な人とか、信頼していた人に裏切られたり、とにかく他人に傷つけえられて、それで必ず他の人に助けてもらって、乗り越えてね。傷つけられて乗り越えるまで全部セットだから。」とさらっと言っちゃってます。

 

おいおいおい、やめてくれよと言いたいのですが、

 

確かにこれは真理をついていて、なぜなら、おうち生活で自由に過ごして家族に愛されてのびのびした環境の中で傷を癒す過程はとても重要で必要なんですが、副作用として、「外傷の体験と回復」を得る機会を失っているからです。

 

よく不登校から回復期に入った子であるのが、

「提出物がわからなくて傷ついてメソメソ」

「不登校中に何してたの?と聞かれてメソメソ」

「バスに乗り遅れてメソメソ」

「担任が時間を勘違いしていてメソメソ」

そんなことで傷つくの?ってぐらいの小さなことで傷つきます。

 

こうならないように、不登校の親御さんたちは全力で傷つかないようにキャンペーンを大々的に展開するのですが、無理です。外に出るということは、傷つくということです。

 

予測を超え、コントロールできない存在としての他者をどう受け入れ、乗り越えていくか。

 

 

私たち親だって気がつかないだけで小さな傷を毎日負っています。

だけど、傷つけてくる人もいれば、フォローしてくれる人もいる。だから社会に対して正常な精神を保っていられるし、実は気がつかないうちに成功体験を積んでいるのです。だから先回りして傷つかないようにすることが、不登校児たちの成功体験を奪っていることになります。

 

もちろん、最初の一歩を出しやすくするために、チャレンジする場所を調整したり、最初だけ付き添ったりは大切でしょうが、小さな失敗を自分で乗り越えることができうるまでに心をしっかりと回復させてからチャレンジさせるべきなのは当然のことながら、

 

友達たちのようにちゃんと良いことも悪いことも乗り越えていきたい、一人ではなく仲間と乗り越えたい、普通になりたいという希望を叶えてあげるべきだろうと思います。

 

友達ガチャに外れて登校できないとか、

担任ガチャに外れて学校に顔を出せないと腐るのではなく

 

(この時期の相談者さんたちによく話すのですが、担任がめっちゃいい人とか、フレンドリーな友人がいたとかのラッキーな自信ではなくて、自分で一歩踏みだす勇気によって得られた小さな自信の積み重ねを意識したいです。褒める場合も、あなたが一歩踏み出したからフレンドリーなお友達に出会えたんだよ、とか。お友達はできなかったけれど、勇気を出した経験は絶対に糧になるはず、少し自分を好きになれたんじゃない?など行動を意識したいです。それにラッキーな自信はアンラッキーであっという間に崩れます。運頼みではなかなか自信はつきません)

 

この環境でどう生きるか?

どうしたら助けてもらえるか?

「善良な人たち集合〜!不登校明けで困っているので親切にしてくださ〜い!」

と待っているのではなくて、

「困ってたら聞く」

「悲しかったらSOS」

「話す人が欲しかったら話しかける」

「何を話していいのかわからないなら、せめて挨拶はする、笑顔を作る」

社会性は社会の中でしか育たないという残酷な現実を知り、その成長は必ず痛みを伴うことを覚悟する。それが成熟であり、大人になると言うこと。その過程で失敗して茫然自失、休んで、また挑戦。ここでダメならあっちで頑張る勇気。それでもそれでも社会にしがみつこうとしたからこそ、人としてまとまっていく。

 

普通になりたくて苦しくて苦しくて泣いたあの頃の私の体験は、失敗しながらの学びであり、必要な苦しみだったのだと今は振り返っています。

 

 

 

ひきこもり・不登校のバイブルと言っていいぐらいの本です。

 

 

資料販売

 

 

資料はSTORESとnoteで販売しています。STORESはPDF買取タイプ。noteは一度購入されたら今後もずっと新情報があれば更新されていくWEB上で読む本です。金額的にはSTORESの方がお買い得になっています。

 

 

STORES版

 

 

 

 

note版↓

 

 

 

 

 

全て、相談者さんたちから一番よくご相談のあった「我が子が何期なのか?」が簡易に判断できるように、↓このような簡易判断フローチャートが付録としてついています。