第2話 宮村先生

『学校へ行けない僕と9人の先生』から読みとく不登校の症状

 

 

 

 

 

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昔、ざっくりとしたレビューを書かせていただいたのですが、公式に棚園先生から許可が下りましたので、ネタバレ含む、中の絵もバンバン使ってレビューを好き勝手にやりたいと思います。

 

*私はただのおばちゃん支援者です。医師でも公的カウンセラー資格もないただの元ひきこもりですが、メールを使ってリアルタイムで不登校児の親御さんからの相談を3年で400件受けてきました。またその方々を親の会を使って追跡しています。そこでの経験と自己満足のためだけに、ひたすら調べてひたすら考えたことをダラダラと書いてます。

興味がある方だけ読み進めてくださいね↓

 

 

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『学校へ行けない僕と9人の先生』の第2話「宮村先生」を読み解いていきたいと思います。第1話「大嶋先生はこちら

 

小学一年生からの不登校であるの棚橋少年は2年生になり、相変わらず不登校。日中は絵を描いたり、勉強として教育テレビを観ています。

「教育テレビ」を観ているのはお母さんが見張っていることを意識しているからです。

 

 

 

 

新しい担任である宮村先生が家庭訪問をしてくれました。

そこで宮村先生に「ドラゴンボール」が好きであることを告げます。

 

宮村先生は熱心な先生であったようで、棚橋少年の仲良しの友達堀井くんを連れて毎朝、ドラゴンボールの音楽をかけながら車で迎えにきてくれます。

 

 

 

これには棚橋少年は迷惑顔ですが、嫌々ながらも先生の熱意に押されて、休み休みですが教室に通い始めます。

 

また宮村先生は小1の時の大嶋先生の暴力についても、大嶋先生からの謝罪を引き出すなど尽力されます。何となく「普通になれたかな?」とクラスにも馴染めてきたところで、宮村先生は病に倒れます。

 

そして、宮村先生の代理として担任になったのが今西先生。

今西先生は堅苦しい先生ですぐに棚橋少年は今西先生の本心「この先生は僕たちと仲良くしたいわけではない」を見抜いてしまいます。

 

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そしてまた逆戻りした学校へ通えない日々。1週間に一度病院へ行き、帰りにきしめんを食べて、教育テレビを見る日々。また繰り返される悪夢に怯える日々、そんな中、宮村先生の訃報の知らせが入ります。

 

 

 

今回のお話のポイントは2点。

 

①1年生の時の大嶋先生が棚橋少年に謝罪したこと。

 

 

 

 

何らかのトラウマがきっかけの不登校の場合、いじめや教師とのトラブルが多いですが、それを解決してもらっても謝罪してもらってもそれが「区切り」になることはあっても、登校再開されることは滅多にないと思っています。不登校児が、謝罪してもらって解決を約束してもらう瞬間に何度か立ち会いましたが、不登校児本人は「ふ〜ん」といった反応であることが多いです。激しい子でも「今さら謝ってもらっても腹が立つ」程度の捨て台詞ぐらいです。謝ってもらったから、じゃあ明日から登校します!なんて子は皆無です。

 

また、不登校児自身が強く謝罪を求めていることも少ないのではないでしょうか?不登校児はどこかで「これぐらいのストレスをみんなは乗り越えて登校している」ことを知っているので、罪を100%相手に負わせることはないのでしょう。じゃあ、どうやってこれを乗り越えるのか?といえば一生一緒にそれを引きずりながら生活するのもありだと思っています。、もちろん、もっと楽しい記憶で上書きして行くのが理想ですが、記憶を無かったことにすることはできません。現実的には何らかの妥協点を見つけることになると思います。

 

謝罪が全く意味がないとまではいきませんが、大きな期待はできないと考えています。

 

逆に謝ってもらったことで「謝ってもらったくせに許さないで頑固に学校に来ない奴」なんていう不名誉な称号がついてしまう場合もあるので、謝ってもらう場合も注意が必要だと私は考えています。

 

もう一点注意しなければならないのはいじめPTSDです。私の最推しの斎藤環先生が不登校新聞のインタビュー記事でこのように答えられています。

 

貴戸 ひきこもっている人のなかには、被害経験のある場合もあると思いますが、いじめPTSDほど、徹底した人間不信をみたことがないとおっしゃってましたね。

斎藤 そうですね。いじめPTSDの場合は、かなり徹底した人間不信が残りがちですね。PTSDが自然回復する確率は50%程度だと言われていますが、それは、ひどい人間関係を新たな良質な人間関係で上書きできた場合の話です。しかし、ひきこもっていると、それができず、ずっと生傷がひらいたような状態で、つい昨日の経験のような記憶が残り続け、当事者は苦しみ続けます。そういう激しい痛みが続くと、自己愛がぼろぼろになってしまうので、死に近づきやすくなってしまう。
 ひきこもっていて、「自分は生きていても仕方ないから死にたい」と口にする人は多いですが、実際には死なないことがほとんどです。私の知るかぎり、典型的なひきこもり事例で自殺事例は経験がありません。わずかな例外がPTSDのケースです。

↑お子さんがいじめ被害者の場合はこういう知識も頭の片隅に置いておかれるといいと思います。

 

 

 

話がちょっと脱線しましたが、

 

ちなみに不登校児は親には頻繁に謝罪を求めます。

これは社会に受け入れてもらえないのは半分諦めているけれど、その分家族に執着してしまっている上に「親には理解されたい」という強い願望の現れではないでしょうか?

 

不登校児特有の

「多くを語りたくはない、でも親には気持ちをわかってほしい、察してほしい」

という一見矛盾した願望は、社会から孤立すればするほど強くなると考えています。

 

ですので犯罪につながるようないじめは別として、親が不登校児の我が子を放ったらかして学校のミスを糾弾したり配慮や謝罪を声高らかに求めているのを見ると、ちょっと違うよなあと思います。

 

 

 

②宮村先生の尽力と刷り込み

 

宮村先生の尽力は今の不登校対応のセオリーから言えば、車で毎日迎えに来るなどタブー中のタブーですが、その働きは棚橋少年に届いています。私はテクニックに頼った対応を実は疑問に思っていて、心を尽くした対応であれば即登校に繋がらなくても不登校児の心に必ず届くものだと思っています。ただ、これは棚橋少年が小2だったから可能だったこともあります、同じことを高校生にやってしまうとちょっと違うなあと思います。

 

宮村先生が担任であった頃は登校できていた棚橋少年でしたが、宮村先生が倒れたことで代理で来られた今西先生に担任が交代すると棚橋少年は学校にまた学校に行けなくなってしまいます。たまに登校できたとしても今西先生に嫌味を言われてしまいます。これも実は不登校あるあるです。

 

 

 

 

小学生の不登校児が担任の先生やクラスの雰囲気が良かったり悪かったりで登校できたり出来なかったりというのはよく聞きます。私の相談者さんでも「小4の先生は相性が良かったのか、小4の時だけは通えました」等々はよく聞きます。また逆に相性の良かった先生が転出されて登校できなくなることもよく聞きます。

 

棚橋少年のように「学校は嫌なところ」「自分は普通ではない」という刷り込みが済んでしまっている不登校児の場合、先生の資質によって登校できたりできなかったりが左右されてしまいます。

 

 

 

 

第2話は棚橋少年が宮村先生の葬儀から帰る車の中で人の死を彼なりに理解しようとする描写で終わります。そして怒涛の第3話に続きます(3話はちょっと棚橋少年にとってハードな展開となります)

 

この調子で毎話解説したいと思っています(笑)

棚園先生、もし解釈違いなどがあればご指摘くださいませ。

 

 

 

 

 

 

普通への猛烈な飢餓感と、徹底的な自己否定から漫画家になられた棚園正一先生の自伝的漫画はこちら↓

 

 

 

 

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