交通事故13日目、病院で診て病もらえず14日目。

相手が100%悪い大きな交通事故にあった。

 

 

朝に目覚めたら爽やかな方がいい。

1日の始まりだから。

 

交通事故の激痛で中途覚醒を何度かして

のたうち回っていた。

 

 

その激痛で目覚めた。

そして寝起きと同時に

膠原病の悪化による乾燥し過ぎた喉と食道が痛い。

 

焼け付くような激痛。

 

 

線維筋痛症の悶絶激痛もあるはずだが分からない。

他の症状の苦しさが埋ま和待っている。

 

 

だから全く爽やかではないのだが

爽やかでいられたらなと思っているだけだ。

 

 

目覚めれば目覚める程、持病の症状は強まり

交通事故の激痛も広がりながら強い。

 

 

 

でも冷静な自分がここにいる。

 

交通事故にあい、救急搬送されたとなりの市の

病院から受け入れ先の病院が変わった

 

(変わったと言うよりも1回目の病院は

線維筋痛症の病院だが受診拒否されたり)

 

 

紹介状の書き直しで早速郵送で届いた。

 

 

昨日相手の保険屋と話した。

 

膠原病の主治医は大学病院の医者で

今日は唯一週に一度私の住むまちに来る日。

 

 

私の住む町には膠原病内科がない。

 

こう書いていたら息絶え絶えなってきた。

しかし病院で診て病もらえず14日目。

 

 

つまり2週間も生きているのだから

そう大した事ではいのではないかと思う。

私の場合だが。

 

 

他の人だったらこの状態で

家で独り暮らしをするなどまず無理だと思う。

 

 

でもタクシードライバーなどさえもが支えてくれたりしている。

 

 

昨日相手の保険屋と話をしたのは

 

唯一、週に1度だけ膠原病の主治医が

今日折角、来るから交通事故との因果関係が

この医者だったらある程度は分かるはずだから

 

 

交通事故の受け入れ先の病院に行くのを1日ずらして

膠原病内科に通院したいこと。

 

「激痛に痺れにと辛いのは私だけですから」

 

 

相手の保険屋はとても親切な方が担当で

電話をする度に私に対して必死そのもの。

 

「本当に精神力が強いですね!!

チャンスですね!!

 

本当は交通事故の受け入れ先の病院に

先に通院した方がいいのですが

動かないと何も始まりません。

 

だから、たんたんぴさんが思うように

したいようにして下さい!

 

タクシーもジャンジャン使って下さい!!」

 

 

ブログを通じて魂と魂のぶつかり合いの友に

それを話すと「良かったねぇ!!」と言ってくれた。

 

 

その友が寝込んでいる。

自分も辛いが友が心配だ。

 

かなりきつい。

 

息がヒューヒュー音がする。

気管支炎なのか喘息なのか区別がつかない。

 

目も痛くて交通事故が原因で余計みえづらい。

全く見えない時間帯までできてきた。

 

 

激痛なんて生易しいものではなく

表現がにつからない程の激しい激痛以上の物が強まる一方。

 

とにかく通院だ。

 

本当は婦人科と眼科にも通院しなければならないし

通院したいが体がいう事をきいてくれない。

 

 

そうだった、殆ど歩けなくなっているのだった。

 

寝起きで膠原病が原因で声が全く出ない。

 

 

とにかく膠原病内科の通院をする。

 

 

今回は救急搬送された先の隣の市の

紹介状の中にCDが入っている。

 

私はタンカーに括り付けられ全く

動けない状態にされていたので天井しか見えなかった。

 

 

しかし救急搬送された病院が

念のためもういちど検査すると

3つの検査を再度した。1つは脳だと分かったが残りは分からない。

 

 

 

なかなか出発出来ない救急車の中で

 

「これじゃ間に合わない!!」

と叫んだ男性がいた。

 

それは私の意識が遠のく前だった。

 

私は何事においても本番に強い。

 

だからパニック発作が出なかったのと

交通事故が複雑性PTSDになっていないのが不思議だ。

 

 

多くの病気を抱えている。

 

自分でこれは死んでしまうと思ったのは2回あった。

 

 

1回目は相手の車が猛スピードで突っ込んできて

エアバック2つが開き胸を骨折した時。

 

 

今もそうだが胸を押さえながら

煙臭くなったから自力でなんとか車から這い出た。

 

身体を支えきれず頭は道路のコンクリートの上。

 

工場の多い場所で交通事故にあったから

色んなつなぎの制服の男性が沢山集まって来ていた。

 

私が真っ先に言った言葉は

 

「死ぬわけにはあかんのや!!

早く救急車を呼んでくれ!!

私には入院している認知症の母がいる!!」

 

だった。

 

しかし誰もが119に電話してくれない。

 

そこでまた気力なのか何なのか分からないが

車に戻りバックを引っ張りだして

 

 

そこら中に免許証や障害者手帳など

私がどこの誰か分かるものを散らばした。

 

そして自分で119に電話して救急車をよんだ。

 

そのあとに工場の男性がかけてくれたらしい。

 

だから救急車は早く着いた。

 

 

2回目は意識が遠のき始めたときだった。

 

今眠ったら逝ってしまう可能性があると

 

(過去に膠原病で3回逝きかけ、同じ経験をしていた。

当時、そのとき医者にあなたが朝まで起きていたから

命が助かったと教わった)

 

とにかく話す事で眠らないようにした。

 

 

生命力と忍耐力が凄く強い。

忍耐力と精神力と気力などが強すぎるのが仇となってはいるけれど。

 

 

かなり息苦しい。激痛に痺れ。

 

 

どんなに苦しくてどんなに激痛でもいいから

入院している母に逢えないのが1番辛い。

 

母の病棟看護師が相変わらず弟が来ないと言っている。

 

 

 

母は激しく前側から転倒し大怪我をしてしまった。

当時母の病院から電話がありかけつけた。

かなり危険な状態になったから。

 

 

 

顎の手術をしてそれは成功した。

しかし母が1口も食べられず点滴はしていたが

まだ医者がカロリーの高いものはしなかった。

 

 

現在母は歩けなくなってしまっている。

 

 

車いすになるか、寝たきりになるかの

どちらになるかと説明を受けた。

 

幸いにして車いすになっている。

 

かあさん!待っていて!!

 

 

かあさんが俳諧しなくなったから

元気になって

パパのときみたいに在宅介護が出来るから!

 

 

 

ブログのみなさん、

私を支えてくれて

本当にありがとうございます。

 

 

 

 

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みなさんも楽しい夢がみれますように。

 

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