ここ1年、体調が絶不調だったり、忙し過ぎたりで

入院している母の事で追われたりする日々の中

いつも70代と80代の友達の事がきになっている。

 

 

自分の通院と入院している母の面会の

隙間時間を縫い、この2人の友達に電話をした。

 

 

すると1人は出て70代のお友達。

 

私の声を聞いただけ号泣し始めた。

 

 

「ごめんね。毎日いつも思い出すんだけど

ずっと電話も出来ず、逢いにもいけず」

 

 

「まさかたんちゃんから

電話がかかってくるなんて思いもしなかった!

うぇーん!うぇーん!

ありがとう、ありがとう。嬉し過ぎる。うぇーん!」

 

 

「まさか!電話しないだんてあり得ないよ?」

 

友達を救急搬送した事があった。

 

しかもそれは私の誕生日であり通院後に

ん!?と直感で感じて

運転してくれてた母に今すぐ友達の家に向かってと言った。

 

 

友達が倒れていた。

脳梗塞になったのは知っていたが

後遺症でてんかんがあると、その時知らなかった。

 

 

お風呂上りの真っ裸な友達が

信じられない程に、全身でバタバタ痙攣しまっくていた。

 

 

母に救急車呼んで!!と叫んだ。

 

 

すぐにそばにある毛布をかけてあげ

目から黄色や血液が流れ、口からも何かが少し垂れていた。

 

初めて見る痙攣で体が畳一畳分、飛び跳ねる。

 

その友達をしっかと毛布ごと座った状態にして

抱きかかえ続けた。

 

 

知識はないが
口から何も出なくはなり窒息死するといけないと

背中を叩いた。

 

つぎつぎと出て来た。

 

 

救急車がなかなか来てくれない。

 

40分私はひたすらそれを続けた。

 

 

救急搬送し一命をとりとめ

身内のような仲だったため息子は私の幼馴染だが

医者の説明を一緒に聞いた。

 

脳梗塞とてんかん発作だった。

 

 

 

もしも私が友達の所に行かなかったら

命とりになっていた。一命を取り留めて良かったと

医者が言った時は安堵した。

 

 

その日が私の誕生日だった。

 

友達だけど、私はおばちゃんと呼ぶ。

 

本当は他界したおじちゃんとお友達だった。

 

私の誕生日がおじちゃんの御葬式だったから

寂しがり屋さんだったから、丁度良かったと

友達達と言い合った。

 

 

 

同じ年齢の友達が昔、私にこう言ってくれた。

 

 

「たんちゃんって

花咲じいさんじゃなくて花咲か姉さんだよね」

 

意味が分からないというと

 

 

「自分が多くの病気をしているのに

私にもそうだけど

周りの人を笑顔にするんだもの。

 

私と一緒に出掛けていると

知らない人までをも笑顔にするんだもの。

 

知らないおばあちゃんの荷物を持ってあげたり

泣いている子供を笑顔にさせたり」

 

 

また花咲か姉さんになってみたいものだ。

 

 

 

 

 

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本当にありがとうございます。

 

今は電子書籍ですが、3ヶ月位後には

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目の関係でコメントが見えず

まだ公開出来ていない方ごめんなさいね。

 

コメ返も遅れたり出来なかったりでごめんなさいね

 

 

 

みなさんが笑顔いっぱいで

ありますように。

 

 

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