心身ともに苦しい朝。

 

1人の人間が健康であったとしても

抱えるには大きすぎる問題が沢山ある。

 

医者が1人の人間が抱えきれる問題ではないと言う程に。

 

しかしそれをしてくれる人はいない。

 

だから心身ともに苦しくてたまらなくても

1人で自分でするしかない。

 

 

医者によっては長くはないと言われているが

それを実際少しずつでもしているのが凄いと評価してくれている。

 

母も長くはないと言われているが

命がけで母を守ってあげたい。

 

 

父の在宅介護中に医者と看護師から

ちかくなると本人が自ら色んな事を言い始めるので

逝くのが近いのが段々分かってきますと言われていた。

 

 

それが母にも起こり始めた。

 

母の人生の最後のときを

少人数で家庭的であったかい施設などに移し

ほっこりと笑顔で過ごせるようにもっていってあげたい。

 

 

在宅ワークでIT関係の仕事が入る予定だったが

それはパスする事にした。

詳しくは書かないが色々な事があったから

 

 

私が母のためだけに毎月14万~16万円

稼ぐ事が出来たら施設などに移せる。

 

 

さてどうやって稼ぐか。

アフリエイトはまだマスターしていないが

稼ぎは出来てはいる。

 

 

これだけでは足りない。

 

 

私は立ちっぱなしも座りっぱなしも

出来ないからA型支援などは無理だと

相談支援専門員から4年前から言われている。

 

 

私は若い頃から働く事が1番大好き。

動く事も大好き。

 

 

人生1回目の膠原病になり余命宣告・失明宣告を受けていた。

 

 

大学生の時も会社員になったときも

常に数個のバイトを掛け持ちしていた。

 

だから食費は月に8000円にしていたが

小遣いは月に14万円。

 

7万円を貯金して残りの7万円で

無類の酒好きだったので週末は

居酒屋や飲み屋のはしご三昧。

 

祖母に毎日1万円を送り

それとは別に月に8000円くらい

祖母とあった時などに洋服などを買ってあげていた。

 

 

 

当時、主治医は就職して働く事に猛反対した。

ましてや一人暮らしで会社員をするというのだから。

 

 

「働かないで!!一人暮らしもダメだって!

余命が迫ってきているから大好きな酒は

好きなだけ飲んでいいと言ったよね?

 

バイトも掛け持ちしていいと言ったよね?

入退院の繰り返しだから退院したら

バイトしていいよって許可を出したよね?

 

だから今度は俺のお願いを頼むからきいて!」

 

法学部卒業だったがSEとプログラマーになっていた。

 

 

主治医と懇々と話し合いが続いた。

実際逝きかけた事があっただけに。

 

 

そして言ってくれた言葉

 

「分かった。熱意におされた。

膠原病の余命宣告を受けていてNK細胞がないのに

うつ病にならず、いつもにこにこ笑顔。

 

病院のモニターになってくれたが

解明できなかった。普通はうつ病に一発でなるのに。

 

実家からは遠いけど

アパートから大学病院までは近い。

 

これ、ぼくの携帯番号。

家は医大の社宅の〇〇」

 

携帯番号を書いた紙を渡された。

 

 

私から電話する事はなかった。

 

しかし夜の8時頃になると主治医が

毎晩、電話してくれていた。

 

体調の話よりも晩ごはんは何か

仕事はどんな事をしたか

そろそろ花火大会がくるねなどの会話だった。

 

 

「あ!先生に言い忘れていた!

私、大学生しながらほぼ同棲をして

パソコン会社の社員をして

夜は雇わわれママをしていた事を」

 

 

主治医は吹いて爆笑していた(笑)

 

 

今は人生3度目の膠原病。

 

膠原病の乾燥で喉と食道と目が痛い。

首を締め上げられる強烈な激痛も凄い。

 

 

心の中は

寝起きから心はブラック。

「死にたい病」がてんこ盛り。

 

友達とラインしていて閃いた。

 

毎日が誕生日だと思って過ごせばいいのだと。

 

長くはないと言われ、日に日に猛スピードで進行する。

 

 

じわじわではないが

これからどんどん苦しさが増えていき最終的に死ぬと

医者に言われているが

苦しみながら死ぬのを待つなどしたくもない。

 

 

ただ生かされているピエロではないか。

バカバカしい。

 

しかし母もおなじく長くはないと言われていて

母の認知症の進行が物凄い勢いで日に日に早くなっている。

 

 

病棟の課長である看護師から

「早いわぁ。毎日見ていて進行が早すぎるんだから」

と言われた。

 

 

 

母も死ぬのを待たされ生かされているだけ。

自分の事はこうは思わないが

母が可愛そうでならない。

 

 

私は心身ともにズタボロ。

血が通ったようには見えない不気味な自分の顔色。

 

 

 

生きたくても生きる事が出来ない人たちは沢山いる。

 

 

入退院を10代から繰り返し

友達や親友が10代から虹を渡り

もう数えるのはやめたが20人は空へ行った。

 

 

その経験があっても死にたい病が止まらない。

 

 

今日が毎日誕生日だと思えば

「昨日より進行している」など考えずに済む。

 

毎日が誕生日だから、昨日など存在しないのだ。

だから比較も何もない。

 

 

ということで

私は毎日が誕生日と思って生きる事にした。

 

 

 

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目の関係でコメントが見えず

まだ公開出来ていない方ごめんなさいね。

 

コメ返も遅れたり出来なかったりでごめんなさいね

 

 

 

みなさんにとっていい1日でありますように

 

 

 

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