俺は入院しているおふくろを

命がけて守ると腹を括った。

 

おふくろも俺も長くはないと医者にいわれている。

病名は違が。

 

 

今日、おふくろと会ったとき

(気が向いたり体調がマシだったらアメ限で書くかも)

命がけで守ろうと決めた。

 

 

おふくろを置いて俺が先に逝くわけにはいかない。

 

 

おふくろを命がけで守った事が過去にある。

 

俺が34歳の時だったが

おふくろが乳がんになり2時間睡眠で看病した。

 

家族も全員いて付き合っていたひともいた。

 

 

乳がんで死ぬならまだしも

抗がん剤の副作用で嚥下が起きても

病院が母を受け入れてくれなかった。

 

 

その母を受け入れなかった医者は

後に知ったが俺のお袋と同じ時期に

友達の知人である患者に訴えられ負けて

医師免許をはく奪されていた。

 

 

嚥下が続きつばさえ飲み込めないおふくろ。

 

何も飲めなくなったのだ。

 

 

俺はあの時ほど多くの病気をしていて良かったと思った。

 

 

俺が住んでいる町には総合病院が2つしかない。

隣町に1つ、他にもあるが家から1番近い所にあった。

 

 

毎日この3か所の病院に電話をし

母の点滴を願い出た。

断られる事の連続だったが俺は諦めなかった。

 

 

それにどうすれば嫌でも病院が診るしかないと

至る方法を思い付きそれを実行したのだ。

 

 

だからどこかの病院で毎日点滴に連れて行き

点滴の成分と分量を俺が医者に話して受けさせた。

 

 

母を待つ間とは俺は母の代わりに銀行周りもしたが

何をどうやってかあまり記憶にないが

美容関係とIT関係で稼いでいた。

 

 

点滴をするとおふくろは楽になれて

喋る事も出来るようになっていた。

と言っても小さな声だが。

 

 

何とかおふくろの

かかりつけ医に3日限定で入院できる運びとなった。

 

 

俺は膠原病が再発しおふくろに見られないように

真夏だが長袖の服とズボンをはいて隠していた。

 

 

体中に大きな黒紫色の斑点だらけの体。

 

オヤジと一緒に片道2時間弱の

病院に入院するためにおふくろを連れていった。

 

 

帰宅しベットの上で全く動けなくなっていた。

 

3日このまま横になっていられる。

そのうちに回復するだろうと思っていた。

 

 

ところが夜におふくろから電話があった。

完全に子供帰りしているおふくろ。

 

「〇〇(俺)はママのために明日来てくれるよね?」

 

俺はぐったりとベットで横になり電話をしていた。

 

このセリフを聞いて普通の人間なら無理な可能性は高いが

俺は気力だけは誰にも負けない自信がある。

 

 

「うん、会いに行くよ」と答えた。

 

 

子供帰りをしている母は初めてだった。

 

 

本当に小さな女の子のようになっていて

俺が来たら何して遊びたいなど話していた。

 

 

1時間くらい話しながら

頭の中では片道2時間弱かと考えていた。

 

何時に出発するかなど考えていた。

 

おふくろに何時頃に来て欲しいか聞いた。

 

 

「ママ久しぶりに、ご飯が少し食べれたの。

でも正直おいしくなかったの。

片栗粉でドロドロだったから。

 

だから〇〇(俺)と一緒にご飯が食べたい

お昼ご飯をいつものファミレスでたべたい

だからお昼がいいな」

 

 

一旦電話を切り病院に電話した。

外食出来る状態なのかを聞くために。

 

 

今の調子だと多分食べられると思います。

これが答え。

 

 

また、おふくろに電話して

 

「明日、昼に行くから一緒にご飯を食べにいこう」

 

無邪気な子供のように喜ぶ声が電話の向こうから聞こえていた。

 

 

電話を切り逆算し休憩をしながら行くと

何時に家を出発するかを計算した。

 

 

本番のようなものである翌朝。

 

おふくろに電話した。

昨夜より元気そうだった。

こどもがえりもなくなっていた。

 

 

家を出発し中間地点で広い駐車場に車を止めた。

 

俺は痛いやら苦しいやらで熱は39℃近く

ぐったりと車のシートを倒して耐えた。

 

帰りの時はどうにでもなる。

車を病院において電車にのるなど。

 

 

後半分!頑張れ!安全運転で頑張れ俺!!

 

安全運転を100%できる自信ができて再出発。

 

 

病院につくと、おふくろはリハビリに参加していた。

 

病室の廊下で患者さんたちと棒を持ってリハビリしていた。

 

なぜ棒かというとリンパの流れを良くするためだと後に知った。

 

おふくろは髪の毛が全て抜けていたから

人前だけで被る黄色い帽子を被っていた。

 

俺を見つけるなり走ってきた。

「わぁ!ご飯食べにいける!

看護師さんが〇〇(俺)が来たら

リハビリをやめて外出許可をすると言ってたの」

 

 

2人でファミレスに行くときに

手を繋いで横断歩道を横切った。

 

手を繋いで歩く。

何も言わずそうなっていた。

 

 

ファミレスでおふくろは

何食べようかとメニューを何度も見ていた。

 

それがたまらなく可愛く感じた。

 

「また来れるから、そんなに悩まなくていいよ?」

 

 

「うーん。どっちがいいかなぁ」

 

2つ気になると分かり

 

「それ2つ頼もう。一緒に食べれば楽しいし。

あと俺、もう1品食べるからこれも注文する」

 

 

食べないと体もたないと思ったのだ。

 

だから笑顔でおふくろと楽しく喋りながら

食事をしていたが、食べるのに必死(笑)

 

帰宅して2日間ずっとベットの上にいた。

動けない。でもおふくろから電話があったら行くと決めていた。

 

 

こんな事が過去に思い出としてある。

 

その後、おふくろは手術をし

1年間は別の錠剤の抗がん剤を飲んだ。

 

 

頑張って飲んでくれた。

 

ラスト1日の日。

 

「これが最後の抗がん剤の1粒」

と言いながら飲んだ。

 

俺はおふくろが元気になったら

プレゼントがしたくて9万円がたまっていた。

そのために新しい通帳を作っていた。

 

 

その通帳を渡そうとしたら

おふくろの方から手紙を渡された。

 

 

そこに書いていたこと。

 

 

「〇〇(俺)ありがとう。

ママの命を救ってくれてありがとう。

 

かなり無理させてしまってごめんね。

膠原病が再発させてしまった。

でも今度はママが看病する番。

 

ママの命を救ってくれて本当に感謝しているよ

ありがとう」

 

この経験があるから

俺は今日腹を括って決めた。

 

 

 

命がけてまたおふくろを守ると。

 

 

母を看取ったら自分の事などどうでもいい。

 

 

それなりに楽しい人生でもあった。

破天荒で型破りな人生。

 

 

16歳から突っ走るしかない人生。

 

母を看取ったら自分の事はどうでもいいと書いたが

言葉不足だった。

 

どうでもいいというのもあるが

どうにでもなる。

 

俺に大金や缶詰などを送ってくれた

友達達にはきちんと

何らかの形でお礼は必ずする。

 

 

本当は元気になり逢いにいくと決めていた。

 

 

しかし今回は無理だ。

この体で脳圧検査は受けられない。

 

この検査ほど激痛でたまらないものはないのだが

これをクリアしないと飛行機に乗れないのだ。

 

 

そして思いだしたのだ。

今の医学はまた進歩して違うのかもしれないが。

 

 

膠原病で若い時に入退院を繰り返していた時に

膠原病とは大きくわけて3パターンあった

という事を思い出したのだ。

 

当時の入院仲間だった男友達と俺は

違うパターンだった。

 

だから友達の方が断然苦しかった。

 

ある日入院中に電話もすれば

必ず何かを一緒に飲むのだが姿が見えないのに気づいた。

 

病室へ行くと慌てて布団を被り顔なのか頭なのかを隠した。

 

 

「今の俺の顔を見たらショックを受けさせる。ごめんな」

 

 

「そんな事言うなよ!俺がショックなんぞ受けるはずがない

そうだな。俺がショックを受けるとしたら

変なメイクしてたとしたら位だな」

 

友達は俺だったらいいのかなと言いながら

顔を見せてくれた。目玉が飛び出ていた。

 

「ショックだろ?」

 

「ショックじゃないって!〇〇くんの方がショックじゃない?

今から車いすに乗って押してあげるから

いつものようにコーヒー飲みに行こう」

 

 

「えっ!?こんな顔で?

目が飛び手ているのは分かるけど

目が殆ど見えないから、他の人たちがびっくるすると思う。

俺自身が俺の顔を分かってないだけに」

 

 

「大丈夫!目的は2つ。

一緒にコーヒーを飲む事。

もうひとつはどんな姿であろうが病気だから仕方がない。

 

堂々と売店だろうが休憩場だろうが行けるようにしてあげたい」

 

 

友達が本当に堂々と行けるようになって物凄く嬉しかった。

 

 

 

話しを戻し、今の俺。

友達と同じパターンになっていると気づいたからだ。

 

余命宣告を19歳でうけて48歳までいきているが

このパターンだと

長くないと言われてるのもだが

苦しみが桁違いに酷いのが当たり前なのである。

 

 

とにかく命がけてまたおふくろを守る。

 

生命力がやたらあるから

全ての病気がしれーっといつの間にか治ったりして(笑)

 

俺と表現しましたが私は女性です。

 

頑張って書いたのですがもしも誤解を招く

不愉快な記事になっていたとしたら

本当にごめんなさい。

 

 

 

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目の関係でコメントが見えず

まだ公開出来ていない方ごめんなさいね。

 

コメ返も遅れたり出来なかったりでごめんなさいね

 

みなさんが今頃ぐっすり眠れていますように。

 

 

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