みなさん、毎日私を支えてくれて

元気を沢山頂きありがとうございます。

感謝しています。

 

 

 

線維筋痛症の腕がちぎられるような激痛で目覚めた。

また気絶か失神して寝たようだ。

 

 

寒くてたまらない。

すぐにストーブをつけてメンズのジャンバーを羽織った。

 

ホットコーヒーを煎れたがすぐに常温に。

 

ベッドに潜り込んだ。

ところが布団が重くて線維筋痛症の激痛が増えた。

 

 

慌ててベットから降りる。

 

唐突にフラッシュバックが起きた。

私は複雑性PTSDだ。

 

 

いくつものトラウマを抱えている。

考えたら数えた事がない。

 

40代前半まではフラッシュバックで泣いていた。

 

そのうちの1番大きなトラウマで

今も夕方5時に必ずフラッシュバックが起きる物に対して

 

「私は今、安全なところにいる。大丈夫」

 

と言聞かせ、読書をしたり、医者に少し相談したりと

克服する事が出来た。

 

大きなトラウマ1つは一生続くと思う。

 

今起きているフラッシュバックの内容は意外なもの。

 

『みくさん』というハンネを使った者だけに

お前如きに誰が苦しむものかとしか思わない。

 

 

 

しかし1番大きくて1番苦しいフラッシュバックを

乗り超えと「あぁ、そうでっか」くらい 

なものとなる。

 

PTSDによるフラッシュバックで

いくつもの精神科や心療内科に通院した。

 

 

意外なのだがが

医者に相談してもカウンセラーを受けても

結局は薬を処方されて終わり。

 

だから当てにしなくなった。

 

 

私の1番大きなトラウマとは

テレビの全国ニュースにトップで流れても

当たり前のような内容だ。

 

 

それにしても目が痛すぎる。

 

 

膠原病で乾燥し過ぎた

喉と食道と目と顔が痛い。

 

首を締め上げられる強烈な激痛と息苦しさ。

 

 

医者に長くはないと言われ

これらの症状も一生続くと思えば気は楽になる。

 

 

ところが膠原病内科の主治医は

 

「この苦しみがどんどん増えていき最後は死ぬ」と言った。

治す薬はない。

 

考え方次第ではあるが

苦しみながら死ぬのを

待っている事になっているではないか。

 

ハッキリ言ってバカらしい。

 

もうこの生き方はやめる事にした。

あまりにもバカらし過ぎて。

 

※誤解しないでください。

これは私の考え方です。

 

勿論、表現は違いますが

闘病中のみなさんの中にも

私の天に召された友人たちも治らない病気に対して

悲しいかなこのような状態の方は多いです。

 

少しでもみなさんがいやされますようにと

心からお祈りいたします。

 

 

 

別の方法は、たった今この生き方をやめる事に舌ばかりだから

全く浮かばない。完全に目が覚めている訳でもないから

今はそれはどうでもいい。

 

人はいつか必ず死ぬがこんなバカげた事などしたくもない。

 

勝手に生かせられているピエロの如し。

これは入院している認知症の母も全く同じだ。

 

末期がんの父を在宅介護したが

かかりつけ医の総合病院で1番苦しんだ患者だと医者に言われた。

 

父は

「1日で多く生きたい」と涙を一筋流して言った事が何度もある。

 

看護師が当時、そっと教えてくれた。

当時父は70歳で若いがん患者さんほど

長く生きたいと思うのですと。

 

 

父の涙を拭いてあげて

私のその時の最高な笑顔で父の介護ベットに飛び乗り

手を握ったり、体を刺すってあげたりしながら

 

優しくなぐさめたりしていた。

 

『希望』

これがないと人間生きる上で大変だ。

 

だから父に沢山の希望をあたえた。

例えば「調子がよくなったら温泉旅行に行こう」

 

「また気分も体も少しマシになったら

森林浴にいこうね」など話すと

 

父は自分がしたい事や夢を話してくれた。

 

そして母には私は毎日嘘をついている。

 

母も長くないといわれているが

窓ガラス越し面会で

 

 

「元気になって、退院して家に帰ったら

まず、何がしたい?」嘘をつきながら聞く。

 

 

答えが縄跳びだったりする。

子供帰りした時はそれに合わせて話す。

 

かくれんぼ、おにごっこ、他に何があったっけ?

と敢えて『他に何があったっけ?』と聞くのだ。

 

少しでも脳を動かせてあげたいから。

 

 

 

ところで膠原病の医者が『悪化』ではなく『進行』

という言葉に切り替えるといい、そうなっている。

 

『じわじわと』というものではない

 

 

進行が早すぎる。毎日苦しみや激痛は増える一方。

 

これに耐えて耐えてと毎日しているが

これまた、これはこれで面倒臭く感じる朝。

 

『そのうちマシになる』とだけ浮かんだ。

 

なんなら1日中、苦しんでも構わない。

人に迷惑がかからないし

苦しくて耐えるのは私だから。

 

 

人間とは本当に面白いと感じる事が多い。

 

 

考え方ひとつで物事は変わる。

 

人生と病気に言加減疲れ果てた。

16歳から突っ走って生きるしかなかった。

 

逆境が襲ってきて一人で突破口をみつけて

這い上がる人生を送ってきている。

 

生きれば生きる程

その逆境の数と重さがハンパないほど増える。

 

私はもともと、忍耐力と気力が強い。

 

しかし日常生活を送る上で

1日何度も気力で精神力を引き上げて

生きること等普通ではない。

 

だからこれもやめることにした。

 

ただ、母に関しては気力で精神力を引き上げる。

そうしないと成り立たないから。

 

 

私は10代のときから友達が次々と虹を渡った。

36歳の時点で17人はいたと思う。

 

それから先は数えなくなった。

 

おそらく今は30人くらいだと思う。

 

お悔みに体長不良で行けていないお宅が4つある。

毎日気になっている。

たまに電話はするのだが。

 

夜空の星に友達それぞれがいる場所だと

オリオン座などに〇〇くんはここ

◇◇ちゃんはここという言う具合に決めている。

 

因みに父は金星だ。

 

 

私はこの記事を我ながら淡々と書いている。

 

 

生きるも死ぬのも自分次第。

 

今の私の心を一言で表すとしたら

 

『何もかもどうでもいい』

 

これまたこの考え方もなかなか面白いのだ。

読書が好きで1日3冊、多年読んでいた。

 

『何もかもどうでもいい』

というのにも何パターンもあるのだ。

選ぶのも選ばないのも私の自由。

 

 

 

先ほど書いた

 

 

『苦しみながら死ぬのを

待っている事になっているではないか。

 

ハッキリ言ってバカらしい。

 

もうこの生き方はやめる事にした。

あまりにもバカらし過ぎて』

 

 

苦しみながら死ぬのを待つ位なら

本当に長くはないなら

遊んでなんぼ。

好きな事してなんぼ。

 

 

私のように病気を60こ以上抱える患者はまずいない

と大学病院でも言われてる。

 

障害者年金を頂いているが

医療費が高過ぎて生活が成り立たない。

 

昨日までは変な話だが

通院しない事で節約しようと考えていた。

 

今は違う。

 

だったら通院しなければいい。

全ての病気は治らない物だらけであり

治す薬は存在しないのだから。

 

 

精神薬で頭をぼかし

痛みを感じずに済むようにしているだけ。

そうかかりつけ医の医者たちがいう。

 

 

入院している母の事を考えると

膠原病内科の通院は外せないが。

 

 

投げやりになっていないが

どうでもいいのだ。

 

キリがないが

この『どうでもいい』というのも

考え方、捉え方が何パターンもある。

 

私が何が何でもする事はただ1つ。

 

※ここまで書いて衣類が重くて痛いので3枚目を脱いだ

 

 

『遊んでなんぼ』

とは書いたが

私は1日の中で9割はパソコンの前にいる。

 

アフリエイトやドットマネーなどで稼いでいるのだ。

 

万が一母を置いて私が先に逝ってしまった場合も想定し

母にお金を残そうとしている。

 

『遊んでなんぼ』ではないか。

 

『好きなことしてなんぼ』

 

しかしそんな時間など私にはない。

 

ただ1つだけ誰にも言わず

している事がある。

 

『こっそりひそひそ』と命名している。

 

保険請求で段ボール箱2つがあり

毎日新たに封書が届き

1つ仕上げるのにオペレーターと

話す時間が1時間半はかかる

 

 

目が見えるか、声がでるかで

私の生活スタイルは変わる。

1日中その繰り返し

 

弟は母に対して何ひとつ全くしない。

弟夫婦のおかげで4日くらいで14キロも痩せて

殺されていると感じながら生活した日々もあった。

 

 

豪邸に住み管理職である弟は母にお金の支援なし。

あてにしていないからいいが。

 

しかし母の病棟看護師たちが驚いた。

 

「全ての事をお姉さん(私)がしているのは

主治医の先生と同じく知っています。

弟さんはおかあさんの入院費も払っていないんですか!!

 

キーパーソンであり身元引受人なのに!!

お姉さんが病気で大変で、暴言吐いて痩せさせて!

 

まさかお姉さんが支払っているとは思いませんでした」と。

 

また母の病院の看護師たちから

 

「弟さんにあきれ果てています。信頼できない。

電話に出ない事も多い。

だから私は本来ならばキーパーソンである

弟さんに電話すべきところですが

お姉さんにすぐ電話しました。

 

私個人としてはもう弟さんに電話しません。

他の看護師も同じような事を言っています。

 

ただ一人の看護師が弟さんに電話したらしいのですが

相変わらずでなかったそうです」

 

なんちゅーこっちゃ(笑)

 

 

在宅ワークで提携会社から

プログラミングの仕事を投げて貰える事になっている。

 

今現在、口コミでパソコンの修理などが3台入っている。

お客様と連絡がとれないままだが

連絡がとれたらギリギリのところまで修理はしている。

 

おそらくお客様は再び入院しているのではないかと思う。

 

 

 

食道と喉と目が激痛で痛みに耐えて

涙ボロボロ垂れ流しながら書いたブログ(笑)

 

 

昨夜口の中が血まみれだった。

 

昨日ほどではないが、やはり出血はしている。

これが血液の赤色だったら分かるのだが

薄い緑色が混ざっている。

 

 

思いだした。

私が若い頃に胃カメラしたら医者が言った。

 

「あなた酒豪でしょう?

だって肝液が胃にあるから!

これ。特別にみせてあげる」とみせてもらった。

 

 

その時は人生1回目の余命宣告されていた時期。

会社の健康診断で行ったのだ。

 

 

おおー!肝液とは緑色なのかと感動した。

 

 

それを上司や同僚に見せたいからと頼み

写真を特別にとらせてもらった。

 

 

会社で(膠原病である事は会社に言っていない)

みなさんにご披露すると

特に上司は爆笑していた(笑)

 

 

「たんたん、今夜もいくか?居酒屋にでも」

 

「〇〇さん払いだったら!あははは!!」

 

当時私は痩せの大食いだった。

 

「お前は喰うは飲むはの分量がハンパねぇ!!

全額負担とかありえんぞ!

 

しかも方向音痴で

なんで上司の役職つきの俺が

お前のアパートまでお前の送り迎えをする

ハメにあってる!!

 

たまたま通りかかった会長が

 

「仕方ない!業務命令だな、あははは!」と言った(笑)

 

 

近々、線維筋痛症の本の出版をします。

みなさん、よろしくお願いいたします。

 

 

苦しくなってきた。肩で息してる。

 

目も限界。これでおしまい♪

 

 

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その

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の関係でコメントが見えず

まだ公開出来ていない方ごめんなさいね。

 

コメ返も遅れたり出来なかったりでごめんなさいね

 

みなさんにとっていい1日でありますように。

 

 

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