気が狂いそうな全身の激痛に耐えて耐えて。

 

 

膠原病で全身が乾燥し過ぎて

特に喉と食道と目、顔が猛烈激痛。

 

首を締め上げられる強烈な激痛。

 

ひたすら耐えて耐えて。

 

激痛のあまり涙がボロボロ流れ落ちる。

 

咳が始まり、咳が止まらなくなった。

 

 

気が狂いそうな全身の激痛に対して浮かんだこと。

 

「Vシネマの仁義なき戦いみたーい!!」(笑)

 

自分の明るさに参る朝(笑)

 

 

 

と、ジョークを書いてどのくらいの時間が経っただろうか。

 

耐えて、耐えて、耐え抜くしかない。

常にと食道と喉をぎゅっと抑えていないと苦し過ぎる。

 

 

気が狂いそうな全身の激痛は続いている。

 

病院に何とか

微かな声だけどでるようになり電話した。

 

 

ジアゼパムが足りなくて。

昨日、病院に電話した時は通してくれと看護師に言われた。

 

 

今朝も熱があるしとてもじゃないが通院は不可能。

 

そこでジアゼパムだけでなく

月曜日の定期受診の薬の分と一緒に

 

 

薬の処方箋を月指定薬局にFAXしてくれる事になった。

 

ありがたい。

 

もうこの気が狂いそうな全身の激痛。

 

医者にながくはないといわれているが

そうでなくとも

1つ前の記事に決めて書いた

今日1日のテーマである

 

『あかるく前向きに一生懸命生きる日』

 

とてもじゃないが無理である。

 

一生懸命に生きてはいる。

しかし気が狂いそうな全身の激痛に呼吸困難。

 

どんなに粘っても通用しない。

 

どんなに苦しくてたまらなくても

気が狂いそうな苦しみ辛さなどがあっても

 

私は母を絶対に諦めない。

 

 

母を置いて先に逝かない。

 

正直いうと母を看取るも何も

弟は一切何もしないため

こんな体の状態の私にすべてさせる。

 

だから母を看取るも何も

私が先に過労死しそうに感じる事が増えて来た。

 

 

母を看取ったらひとりぼっちになる。

そんな事はどうでもいい

 

一人で生きて行くと決めたから

(略します、考え方がこの一文で表せていません)

母を看取れば私はどうなっても構わない。

 

と書いているが

線維筋痛症の本の出版は近々する。

 

断捨離が終活に変わったと実感中。

 

 

ひとはいずれいつかは死ぬ。

それまでにどう生きるかが問題だ。

 

病気を60こ以上抱え

10代の時に余命宣告・失明宣告を受けて

3回逝きかけた。

 

あの時よりも遥かに苦しいのだ。

気が狂いそうな全身の激痛。

これは初めての経験だ。

 

 

もう病気に勘弁して欲しい。

 

10代の余命宣告の時は特に

それよりも前の地獄の高校3年間のときに

 

「長生きはしたくない。

誰にも看取られず死にたい。

死ぬ瞬間に

 

やっと終わった!!」

と思うだろうといのは変わりない。

 

10代から突っ走らないと生きて来れなかった。

 

まさか気が狂いそうな全身の激痛と呼吸困難の

症状が出るとは思ってもみなかった。

 

 

今も症状は変わらないけれど。

 

 

 

 

 

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目の関係でコメントが見えず

まだ公開出来ていない方ごめんなさいね。

 

コメ返も遅れたり出来なかったりでごめんなさいね

 

 

 

みなさんいつも、ありがとうございます。

 

 

 

 

みなさんにとって爽やかな朝でありますように。

 

 

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