御命講やあたまの青き新比丘尼    許六
 
    (御命講は日蓮上人の忌日に行われる法要のこと)
 
 
去来   「中七が・・・・どうかねえ??
      あたまの青き・・・・・かぁ。。。うん?ここ直すといいんじゃない”
      そうすると、しをりも出てくるんじゃないかな・・・・」
 
 
許六   「しおりは求めてでてくるんじゃなくって・・・・自然とでてくるものであって・・・
      この中七が自分ではいいと思ってるんです!
      其角さんだってそう言ってたんですから・・・・・・」
 
 
御命講の法要の時、頭を剃ったばかりの青い頭の尼さんがいる。
 
そんな風に、許六は中七を無造作にいい下したわけですね。去来はそこがよくないって言うんですね。
尼さんのことをもっと表現できないかっておもうんでしょうね。尼さんのどうして尼さんになったのかとか、つらく悲しい人生を上手くだせないのかって。
ちょっと無造作すぎるんじゃないの?っていうことなんでしょうね。
 
その点。許六はそういうことをひっくるめて「あたまの青き」で言ってるんだよっていう思い入れがあったんでしょうね。尼になりたての頭の青さに、俳諧的な面白みがあるといいたいんだと思うんですけどね。頭の青きと言う表現に自信を持ってたんですね。それなのに。。。。。そこを直せって言われたんで・・・・反論してるんですね。
 
ぐでぐで言わないで、青い頭に着目した許六は上手いなっとおもいますね。
こういう捉え方できるといいなっておもいますよぉ。青い頭の中に尼さんの人生とかいろいろを表現している。
勉強になりますね。
 
去来は「しをり」論を持ち出すわけですけど、、、しをりは求めてでるもんじゃないよ、自然とでるもんだよっていう許六の言うとおりなんでしょうけどね。ここで「しをり論」をもちだされても・・・・って許六もおもったんでしょけどね。
 
           そんなふうに詠みました・・・・
             ・・・・つづく・・・・・・\(◎o◎)/!