玉祭うまれぬ先の父こひし   甘泉
 
 
 
去来   「あなたは、生まれる前にお父さんをなくされたの??」
 
甘泉   「いえ”、去年葬式をしました。」
 
去来   「それじゃぁ・・・・これおかしいよ”
      
      ≪玉祭りをしてると、自分が生まれるまえに亡くなった父親がかなしく思われる≫・・なんて・・・・
      嘘だもんね、  君の句じゃないわけだよね・・・・・・
      句をつくる時は、何言ってもいいわけよ、嘘、でたらめもありだし、素材にタブーはないけどね・・・・
     でもね、
      身上については、自分以外のことを自分のこととして詠んではだめだね、そういう嘘は、許されません       ね!
       きをつけてね  」
 
 
 この句は母が懐妊中に父が死亡したことになりますね。
去来は、句を作る場合こういう嘘はだめだっていうことを言ってるんですね。
身上のこと、特に自分や身内の者の生き死になどに虚構をすれば、句の基本的な部分に信頼感がもてなくなるわけで、読者が真剣に読まなくなる。文芸としての真摯さが損なわれちゃうってことなんですね。
   身上の嘘はただの嘘でしかないってことなんですね。
 
でも、逆に言えば、それ以外は嘘、虚構、でたらめ、何でもありだし、想像を自由に膨らませてなにを言ってもいいわけで。虚構っていうのは、作り事が真実に見えるところに面白さがあるわけで、あくまでも嘘、でたらめを貫く所に、かえって真実を表現できることもあるわけでね。
去来は、身上の嘘をいいながら、ここで、虚構の可能性をも言っているようにも思えるんですよね。
  
         嘘、でたらめが真実に転化する。
  
          そんな俳句が極上の俳句なんでしょうけどね
 
 
・・・・・・・・そんな風に読みました・・・
・・・・・・・・・つづく・・・・・\(◎o◎)/!