1999年3月20日発売。2枚目のシングル。
最高位6位。
1999年度年間38位[累計売上約50万枚]
ロングセラーを記録し、1999年の間、
この[あの紙ヒコーキ くもり空わって]は
ずっと、世間で流れ続けており、
何気ない瞬間で、いつも耳にしている状態でした。
1999年は、日本の音楽業界に
大きな変化をもたらしたミュージシャンが
大ヒットを飛ばした、日本のポップスにとって
非常に重要な年になりました。
その1999年を象徴するユニットとして、
この[19]も挙げられると思っています。
[19]の基本スタイルとしていたフォークは
[ゆず]も持っているものではありましたが、
この曲を代表するように、
より強く、深いフォークを打ち出しているユニットは
ヒットシーンにはおらず、新しい、でも懐かしい。
当時のポップスにあった音楽スタイルにはありそうでなかった、
ちょうど、隙間に入り込むように
[19]は、独自の地位を築き、人気を得ていたと把握しています。
ただ、非常に残念だったのは
楽曲がロック寄りに変化したこともあったのか、
2000年までに発表された5シングルで、
実質、ヒットシーンから姿を消すことになります。
アルバムでも[あの紙ヒコーキ くもり空わって]を収録した
デビューアルバム[音楽]がミリオンセラーになった他、
次のアルバムでも、好成績を上げているものの、
翌年には、姿が薄れていく様子がよく分かる成績になっています。
感覚としても、[19]は2000年までかな、と思っていました。
[19]は特に、若い世代[中高生・私から言えばガキ]の支持が
多いと感じていました。若い世代は熱しやすく冷めやすい。
流行りでなくなったと敏感に感じると、
一気に波が引くように、聴かなくなります。
さらに、ヒットを飛ばせなくなった後、
[19]は大人の事情にずいぶんと振り回されたようで、
解散についても、事務所に対するあてつけであるとし、
自身が積極的に望んだことでない、と
解散後、ずいぶん経ってから[19]について、
メンバーが当時の裏事情を様々に話しています。
ヒットを出せば、ミュージシャンが潤うというのも、
[19]にはなかったようで、事務所の搾取を受けていたとかで、
ヒットしたことが[19]の恩恵には一切ならず、
ヒットを出し続けることのプレッシャーがかかるという、
[19]に取ってヒットは、マイナスでしかなかったと言えるでしょう。
ヒット曲は後世残る一方で、
曲を送り出した本人に曲が牙を向いてくる。
なんともやるせないです。