こんにちは。
34歳にして、37歳からの小学校教師を目論んでおります。
21年7月に10年と4ヶ月勤めた会社を辞めます。
昨日に引き続き、向山洋一先生の「教師修業十年」を
読んでおります。
Ⅰ 教師と技術
Ⅱ 教師と問題児
Ⅲ 教師と修行
Ⅳ 教師と仕事
Ⅴ 教師と交信
Ⅵ 教師と仲間
付録 六年一組学級経営案
少し長いあとがき
今日はⅣ、Ⅴ、Ⅵを読みました。読んだあとの正直な気持ちは、
「本当に教師を目指していいのか」
「自分はなれるのか」
「その覚悟はあるのか」
昨日書いたことがより一層の力をもって、自分自身に
問いかけられているような気がします。
教員免許を取れさえすれば、講師・常勤講師・教諭の身分になれます。
けど、そこがゴールではなく、スタートであるとこの本を
通してきっぱりと言われていると思いっています。
この感想を書くことも少し躊躇しました。
また付録・あとがきを読んだ明日にでも書こうかと。
けど、それは今読んだこの新鮮な気持ち、少し折れそうな気持ちが
失われることを意味するので、思うままに書いています。
特に自分に小学校の先生が務まるのかと感じた部分は以下3つ。
①生徒の日記に対する的確かつ明確な指摘や返答
→これほどまで自信をもって、生徒にダメ出しをできるものか。
その裏にどれほどの努力と経験をしてきたのか。
どんな回答に対しても深い知識と明確な理論をもって対応する。
②学級通信を通じた保護者とのやりとり
→今の学校でこのようなやり取りがあるかは分かっていないが、
大学教授の親に対して真っ向から対峙し、逃げることなく
かつ最後は懐まで入り込んで飲みにまで行ってしまう。
③向山先生の教育への情熱(いくつもありすぎて、、、)
→「障害や欠点には必ず原因があり、それを見つけ出し克服する道を
示してやり、共に歩んであげる。これでこそ教師なのだと思う」
共に歩むことは、克服する道を示すこと。克服する道を示すためには、
その原因を突き止め、対策を検討・実践すること。なぜなぜで自分なりの
答えを導き出し、対策案を実践する。どの仕事でも同じことを
子どもに対して、真摯に向き合って行う。
教師を目指す小さな“きっかけ”はインド。日本人小学校での
タグラグビーで小学生の吸収力、伸び幅に感服したこと。
そこから、自分の中での違和感を真剣に考え出し、導き出した答えが
地元神奈川で小学校の先生になること。そのために、通信制大学に通って
単位を取り、走りながら仕事を辞めるタイミング、登壇する時期を変え
ながらも進んでいる。
正しいかどうかはわかりません。「教師修業十年」を読んで、先に述べた①〜③から
なおさら正しくないんじゃないかと思うこともあります。けれど、今の仕事を10年間
続けても絶対に後悔すると思ったので、自分の違和感を信じて、教師になろうと思います。
今の学習指導要領や神奈川の教育ビジョン、教育新聞の講読など
(教育関連だけではもちろんありませんが)で教育に関する知識・教養を
持てるように、教育に対する視野を広げられるようにしていきたいです。
まとまりない文章(文章を書くことが本当に苦手・・・レポートは苦でしかない)でしたが、
最後までお読みいただきありがとうございました。