名告り(結) 暮らしの古典73話 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

今週の「暮らしの古典73話」は「名告り(結)」です。

前回、示しましたように、「暮らしの古典」での「名告り」を       

最後の戦に出陣する木曽義仲の名告り110字程度に焦点を絞りました。

本ブログでは高校での「古典」の定番を載せています。

写真図 甲冑姿の木曾義仲イラスト

テキストは『平家物語二』(日本古典文学全集30、小学館、1975年)を用います。

適宜、私的に漢字を宛て、原文に振られたルビは現代仮名遣いに改めます。

◆鐙(ルビ:あぶみ)踏ンばり立ちあがり、

大音声(ルビ:だいおんじょう)を上げて名のりけるは、

「昔は聞きけん物を、木曽の冠者、

今は見るらん、左馬頭(ルビ:さまのかみ)兼伊予守朝日の将軍木曽義仲ぞや。

甲斐の一条次郎とこそ聞け。互ひによい敵ぞ。

義仲討ツて兵衛佐(ルビ:ひょうえのすけ)に見せよや」とて、をめいてかく。

今回は、兵衛佐からです。

 

 兵衛佐 

「義仲討ツて兵衛佐に見せよや」の「兵衛佐」に注目します。

「兵衛佐」が源頼朝であることが自明のこととして、

この段では註が付されていないようですが、

ここで穿鑿することは、作中の義仲の性格を捉える上で大事と考えます。

抑も「兵衛」とは如何なる役職なのでしょうか?

*『国史大辞典』:『国史大辞典』第11巻、吉川弘文館、1992年

まず「兵衛」の項の記述を拾い上げます。

◆律令制下、天皇の側近にあって宿衛などの任にあたった武官。(中略)

9-10世紀には新たな地方有力者が台頭する一方で

兵衛の重要な武力の基盤であった

伝統的な地方豪族層が分解していったため、

兵衛はその独自の存在意義を次第に失った。…

「義仲の最期」の時は寿永3(1184)年正月です。

時既に疾く閑職と成り果てています。

その上「兵衛佐」です。

「兵衛府」に「佐」を確かめました。

◆・・・・『養老令』では他の衛府と同じ督・佐・大少尉の称に改められた。

「すけ」は「かみ」に次ぐ二等級の職です。

 

建久3(1192)年に征夷大将軍となる頼朝が何たることでしょう。

頼朝の『平家物語』初出は治承3(1179)年のことです。

江大夫判官遠成と子息家成は清盛の命に攻められ東国に落ちようとする時の

親子の言い合わせの言葉に「頼朝」が見えます。

◆「東国の方へ落ちくだくだり、伊豆国の流人、

前右兵衛佐頼朝をたのまばやとは思へども、

それも当時は*勅勘の人で、身一つだにもかなひがたうおはすなり。

(中略)とて、

川原の宿所へとて取ツて返す。…*勅勘:天子のとがめ

 

「伊豆国の流人、前右兵衛佐頼朝」とあります。

「前兵衛佐頼朝」頭注は以下のとおりです。

◆源頼朝。平治の乱に敗れて捕えられ、伊豆国へ流されていた。

平治元(1159)年12月14日右兵衛権佐になり、同28日解官。…

 

流されて19年後にあって、なお勅勘の人であり、

義仲をして頼朝を「兵衛佐」たる卑官呼ばわりしているのです。

二人の間の確執が言葉遣いから読み取られます。

この確執について『国史大辞典』「源義仲」記事から若干の補足をします。

 *『国史大辞典』:『国史大辞典』第13巻、吉川弘文館、1992年

◆*(寿永2*(1183)年7月)

 後白河法皇は義仲を伊予守に任ずるが、

 頼朝を勲功第一として上洛を促して義仲を牽制、

 さらに大軍の京都駐留・兵糧徴収問題や、

 安徳天皇の皇位に義仲が以仁王の皇子北陸宮を

 強く推したことなどもあって、

 両者の間隙は急速に拡大した。…

 

権謀術策に長けた後白河法皇による義仲への牽制もあって

両人の不仲が助長されたことも否めません。

テキストに戻りますと、

義仲は「義仲討ツて兵衛佐に見せよやとてをめいてかく」とあります。

 見せよや 

テキストの頭注に「見せよや」はありません。

広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店の「実検」には

次の記述があります。

◆じっ‐けん【実検】

 ある事の実否を検査すること。実情を吟味すること。

 平家物語(11)「内裏にて賊首の―せられん事然るべからずとて

 大臣殿の宿所にて―せらる」

 

*国語辞典の「首実検」に次のようにあります。

 *国語辞典:『明鏡国語辞典』大修館書店、2003年

◆昔、戦場で討ち取った敵の首が本人のものかどうか、

 大将が自ら検分したこと。

 

この場合、頼朝が義仲の首を見ることです。

生首を槍に挿し進軍する絵を目にすることがあります。

 をめいて 

「をめいて」を探るべく*『日本国語大辞典』の「おめく」に当たりました。

 *『日本国語大辞典』:『日本国語大辞典』第2版第2巻、小学館2001年

◆お-めく[喚・叫](自カ四)(「お」は擬声語、

 「めく」は接尾語)大声をあげて叫ぶ。

 叫び声をあげる。わめく。

 

テキストの「をめく」が語幹がワ行であるのにア行に転換されております。

「わめく」なら段がア段に転換されています。

17世紀初頭出版の*『邦訳 日葡辞書』に当たりました。

 *『邦訳 日葡辞書』:土井忠生ほか編訳『邦訳 日葡辞書』

  1980年、岩波書店

◆Vomeqi,qu,eita ヲメキ,ク,イタ(喚き,く,いた)大声をあげて叫ぶ.

 例, Futacoye,micoye fodo vomecareta.(二声三声程喚かれた)

 二声か三声大声をあげた.

 

ポルトガル語表記"Vo"は日本語表記「ヲ」に対応します。

『平家物語』テキストの発音が近世初頭まで行われていたことになります。

 かく 

「をめいてかく」の「かく」や如何?

『広辞苑 第七版』 ?2018 株式会社岩波書店では「駆ける」から入ります。

◆か・ける【駆ける・駈ける】

《自下一》 か・く(下二)

①馬に乗って走る。平家物語(9)「木曽さらばとて、

 粟津の松原へぞ―・け給ふ」

 

用例は『平家物語』巻9「木曽の最期」です。

言い切りの形「終止形」は「駆ける」ではなく「駆く」で、

下二段で活用する動詞でした

 

ここまで73回、高校での古典の授業で話しきれなかった話題を綴りました。

次回の「暮らしの古典」からは、しばらく葦を踏み分け、

万葉の世界を訪ねることにします。

 

究会代表

大阪区民カレッジ講師

大阪あそ歩公認ガイド 田野 登