今週の「暮らしの古典」は62話《節分の鬼 前篇》です。
2月3日は節分です。
この日は、「福っくらトーク」で
《言葉から探る「鬼」の正体》といったタイトルで話題提供をします。
わが家も子どもが小さかった時代は
「鬼は外、福は内」と唱えて豆まきをしたものです。
写真図1 鬼のお面 「年の豆」(株)でん六
この「福」については何れ「福っくらトーク」でも考えることとして
まずは追い払われる「鬼」とは何者かを考えてみることにします。
整理することから始めます。
新村出編2008年『広辞苑第六版』岩波書店から引用します。
㋐鬼に金棒(おににかなぼう)
ただでさえ勇猛鬼に金棒を持たせる意から、
強い上にもさらに強さが加わることのたとえ。
㋑鬼の空念仏(おにのそらねんぶつ)
無慈悲な者が心にもない慈悲をよそおうことのたとえ。
㋒鬼瓦にも化粧(おにがわらにもけしょう)
醜い容貌の者も、化粧次第で美しくなる。
㋐の用例は、ともすればマイナスイメージを背負わされる鬼さんですが、
「勇猛」とは「勇ましく強い」ことで、
ある面で正当な評価とも受け止められます。
「鬼」を冠する熟語に「鬼武者」があります。
この語も勇猛な武者を湛える語です。
『角川新字源 改訂新版』2017年、株式会社KADOKAWAの「鬼」の3番目の意味に
「人間わざをこえたすぐれたはたらきの形容」があります。
この鬼には神に通じる意味合いが認められます。
㋑の用例の「鬼」は「無慈悲な者」の譬喩です。
大津絵の「鬼の念仏」や如何?
写真図2 大津絵の「鬼の念仏」石橋臥波『鬼』裳華房、1909年
国立国会図書館デジタルコレクション
鬼は地獄道にあっては
如何に無慈悲な行動をしていたことでしょう。
「地蔵和讃」の三途の川のシーンが想起されます。
これに通じる「鬼」を冠する言葉では「鬼婆」を引きます。
◆おに‐ばば【鬼婆】
①老婆の姿をした鬼。「安達ヶ原の―」
②奸悪または無慈悲な老女。おにばばあ。
傾城禁短気「腰ぬけて―となつて嫁子をいじり」
ここでの「鬼」は女性で、
ことさら「鬼爺」は挙げられていませんが、
「婆」「女」を接尾辞に付かない「鬼」は全て男の鬼です。
「安達ヶ原の鬼婆」は市岡新田の触れ込み
「種まで真っ赤」で有名だった
名産「新田西瓜」に、かぶり付いた時の様で
汁で真っ赤に染まった口を形容しています。
この狂句の鬼婆は、西瓜ならぬ人を食った咄です。
㋒の用例は「鬼」の容貌の醜さを挙げています。
【鬼瓦】の項を引用します。
◆①(古くは魔よけとして)屋根の棟の両端に用いる鬼の面にかたどった瓦。
また同様の所に用いるのは鬼の面がなくてもいう。
② いかつく醜い顔にたとえる語。
二番目の意味のとおり鬼さんは、いかつい顔をしています。
どこそこのスーパーで威張りなさっている店長の顔を、
ついつい想起してしまいますが、
ところで「鬼瓦」の鬼さんは睨みを利かせている「魔除け」でもあるのです。
店長さんや如何?
㋒の用例の「鬼」を冠する言葉の一つに「鬼鰧(オニオコゼ)」があります。
これを引きます。
◆おに‐おこぜ【鬼鰧】‥ヲコゼ/オニオコゼ科の海産の硬骨魚。
全長約20センチメートル。
形は醜悪で、背びれのとげは基部の毒腺に連なり、
刺されると甚だ痛い。
本州中部以南の近海の岩礁に棲息する底魚。美味。
形は確かにグロテスクですが、「美味」とあります。
鬼さんのプラスイメージになるのに、
「鬼の霍乱(おにのかくらん)」を挙げます。
◆いつもは極めて壮健な人が病気になることのたとえ。
大きくて頑丈そうな鬼さんだって病気に罹るんです。
さて「節分の鬼」に焦点を絞るに当たって*「諸国風俗問状答」という
近世末の文献資料の「節分」の項を照らすことにします。
*「諸国風俗問状答」:『日本庶民生活史料集成』第9巻、
三一書房平「諸国風俗問状答」
その解題によれば、
この資料に「民俗学研究に役立つ」と認めたのは柳田國男で、
大正5*(1916)年12月のことです。
国学者・屋代弘賢たちが文化12,3*(1815、1816)年頃、
風俗問状と小冊子を印刷し、
各地の友人に問いかけ答を求めたとのこと。
その問いかけは以下のとおりです。
「解題」を引用します。
◆此頃の江戸の生活を標準として四季の行事並に冠婚葬祭の各に条項に亘り、
諸国風俗の異同を問はんとしたもので、中には無理な問ひ方も二三あるが、
先づは我々の学問の先駆と言って差支の無い企であった。
節分についての質問状は以下のとおりです。
◆103 節分 豆まきの事
其躰何様、鬼は外といふ外にも唱事も候や。
いはしの頭・柊なとをさし候や、
此夜まじなひ事、占作(ルビ:うらない)こと候哉、
やく払といふ物も候や
本ブログは「鬼は外」に注意して回答を追うことにしますが、
その前に、全体像を掴むため、そっと「補註」を覗くことにします。
◆節分*87 節分は節がわりともいう。(中略)
立春は年のはじめの節であるから、旧年のけがれを祓い清めて迎えようとした。
そのために、古代に12月晦日の大祓、追儺の公事があったが、
これが節分におこなうようになった。
正月に戸口に小魚の頭や柊の枝を挿すことは土佐日記に見えた。
節分に大豆を撒いて鬼の目を打つ習俗時代の文献にある。
古代にあっては、12月晦日に行われていた
大祓、追儺(ツイナ)の公事が
現行暦では節分の「大豆を撒いて鬼の目を打つ習俗」に繫がったと読まれます。
《胴上げ小考(1) 暮らしの古典1話:2022-11-07 20:28:54》に[年越し、節分に胴上げが行われたこと]をあげました。
↓ここにアクセス
https://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12773358053.html
「追儺」は『広辞苑 第七版』 ©2018 株式会社岩波書店に次のようにあります。
◆宮中の年中行事の一つ。
大晦日の夜、悪鬼を払い疫病を除く儀式。
舎人の鬼に扮装した者を、内裏の四門をめぐって追いまわす。
大舎人長が鬼を払う方相氏(ルビ:ほうそうし)の役をつとめ、
黄金四つ目の仮面をかぶり、黒衣朱裳を着し、手に矛・楯を執った。(以下略)
これでは追儺での「悪鬼」は追い回されるばかりです。
これでお仕舞いなら「鬼味噌」です。
またまた新村出編2008年『広辞苑第六版』岩波書店からの受け売りをします。
◆おに‐みそ【鬼味噌】
①塩気が多くて味のからい焼味噌。
②外見は強そうだが実は弱い人のたとえ。よわみそ。
太平記[33]「唐橋や塩の小路の焼けしこうそ桃井殿は―をすれ」
外見は厳つい恰好でも
「よわみそ」を演じる役まわりなのでしょう。
撒く豆が煎った大豆でない所がありました。
それは「備後国岡山領」の一部です。
◆103 節分の事/豆打候は鬼は外、福は内と唱へ申候。
その豆は豆からにて煎り申候。
或はしきみの葉を用ゐ候も稀には有之、
打候に黒豆を用ゐ候所も御座候。
逆にいえば、どこもかしこも大豆とは驚くべき一致です。
今日では、スーパーマーケットの宣伝に
落花生での豆まきが謳われています。
この情報を検索しました。
ヒットしたのは
「阪急百貨店公式通販 HANKYU FOOD (hh-online.jp)」でした。
雪国の節分では大豆の粒なら雪に埋もれてしまうとか、
(阪神間での積雪など年に一度もないのに・・・・)
落花生なら殻に入っていて衛生的とか、
生産量が増えて大豆より安価だから鹿児島・宮崎でも落花生優勢とのこと。
「諸国風俗問状答」のおしまいに
「鬼は外、福は内」の掛け声の異同を挙げます。
その場所は若狭国の港町・小浜です。
「若狭国小浜領風俗問状答」を引きます。
◆103 節分 豆まきの事
鬼は外、福は内と申候。
又小浜問屋の中には
大荷(ルビ:おほに)は外にまきらはしきを忌むて、
福は内おには内と唱る家も稀に御座候よし。
問屋で大きな荷物を追い払っては大変です。
結局のところ、今から200年も昔の文化年間でも
この列島では一斉に「鬼は外」を唱えていたようです。
これだけでは、おもしろくないので
次回は民俗語彙の伝説から鬼の行動、
禁じ手を使って無慈悲で醜悪な「鬼」の形相を炙り出すことにします。
大阪民俗学研究会代表
大阪区民カレッジ講師
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登