正月の「ホガイビト」 暮らしの古典55話 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

今週の《暮らしの古典》は54話「正月の「ホガイビト」」です。
早くも今日から「極月」。
「極月」(ごくげつ)を「きわまりづき」と訓むことにします。
段々とお正月が近づいている気がしてきます。
年々、正月気分が失せてきたと云われています。
今に始まったことではなさそうです。
*1936年「正月雑片」を今回も引用します。
   *1936年「正月雑片」:船本茂兵衛「正月雑片」
            1936年1月『上方』61号
◆正月情調が人と時代に圧されながら
 ヂリヂリと失つて行くのは寂しいことである。(中略)
 萬歳、獅子舞、猿廻しの物乞ひも市中では顧みられなくなつた。

「物乞ひ」と括られた人たち「萬歳、獅子舞、猿廻し」は、
さぞかし昭和11年当時、既に街頭から消え失せていたのでしょう。
このような生業の人たちが見えにくくなったのは、
明治の「開化」の時代の法令にまで溯ります。
拙著『水都大阪の民俗誌』和泉書院、2007年
《5 近代大阪の都市民俗の展開》を引きます。
◆開化の時代、新政府は、町内・路傍の景観を
 文明開化の世に相応しい空間に換えることにだけ終始したのでない。
 さまざまな生業に糊口を啜る人たちの暮らしをも換えた。
 『大阪府布令集』明治元(1867)年2月24日、
 大阪裁判所は「非人小家頭ノ勤方」に町中での吉凶の際の
 貰い物を差し止めている。
 明治4(1871)年2月30日付「四ケ所長吏ヘ金品私贈ノ禁止」に、
 年末・年始・節季における施し物を集めることを禁止している。

この法令が効果覿面で忽ち、「非人小家」「四ケ所長吏」への
金品の施しが無くなった訳ではなさそうです。
翌明治5(1872)年4月22日付「乞食ノ取締」にあっては
辻芸・門芝居を「賤敷遊業」渡世とし、停止することを命じています。
年末・年始・節季における施し物を受ける一連の生業を
スパッと斬り捨てて良いものでしょうか?
写真図1 イラスト猿回し   
神主の格好をしているサル

『広辞苑 第七版』 (C)2018 株式会社岩波書店に
「ほがい‐びと【乞児】」の項があります。
◆人の門戸に立ち寿言(ほがいごと)を唱えて回る芸人。
 物もらい。こじき。

言祝ぐ(ことほぐ)ことの代償に金品を受けるのが、
彼ら門付け芸人・大道芸人でありました。
彼らは「ホガイビト」であります。
《「まれびと」の末裔たち(後)》に引いた
折口信夫の1930年「大阪詠物集」抄の歌を再び挙げます。
  *「大阪詠物集」抄:初出1930年「春のことぶれ」梓書房
          『折口信夫全集』24、1997年、中央公論社
◆西の宮えびす舞し
 朝戸あけて、まづ聞く耳の すがしさや。
 えびす舞しよ。何を献(オマ)さむ

折口は「西の宮えびす舞し」の演技に新年到来の清々しさを感じています。
折口の「まれびと」概念と重ね合わせますと、
この新年の訪問者に神々しさを感じ取ったのかも知れません。
いっぽうの柳田國男は、この「人形使い」に何を見たのでしょう。
初出1913年の*「夷下し、稲荷下し」を引きます。
 *「夷下し、稲荷下し」:『定本柳田國男集』第9巻、1962年、筑摩書房
            初出1913年6月『郷土研究』
◆此輩*(夷下しと称する口寄業者)に就ては自分は何もまだ知つて居らぬが、
 神子の類でもさう上等の部では無いといへば、
 常陸の水戸鹿島其他の地に住する夷大夫(ルビ:えびすだいふ)と云ふ
 札配り(常陸国誌)、或は又摂州淡路などから出て遊芸を以て旅行する
 夷下しと称する西宮支配の人形使ひ(賤民考)などは、
 此部落の段々本業から離れねばならなんだ者の末であらう。

柳田は「人形使ひなどは、夷下しの部落の者の末」と推察じています。
折口の1930年「大阪詠物集」抄の歌の17年前のことです。
大正初期の柳田は「上等の部では無い神子の類」について
初出1913年5月「所謂特殊部落ノ種類」をはじめ
いくつか記述しています。
初出1914年11月*「夙の者と守宮との関係」は、その一つです。
 *「夙の者と守宮との関係」:『定本柳田國男集』第9巻、1962年、筑摩書房
              初出1914年11月『郷土研究』
◆夙部落の利害代表者が右の弓削夙人の伝説を援用したことは、
 此徒が少なくも或時代に遊芸を以て
 主たる生業の一つとして居たことを自ら承認する者である。
 而してそれは必ずしも古い時の事では無かつたと見える。
 同じ振濯録の中にも、
 萬歳と称して歳旦に人家の門に祝言を唱へる者は志久の一種だとある。

柳田はホガイビト「萬歳」を出自による階級的観点から捉えています。
引用箇所の続きを載せます。
◆御承知の通り大和は萬歳の多く出る地方である。
 又伊勢から獅子頭を舞はして来る者も志久と謂ふとある。
 獅子舞のことは自分の書きたいと思ふ一項目であるが、
 伊勢国には殊に盛んである。
 播州などでは之をば伊勢の大神楽と謂つて居る。
写真図2 神野知恵氏講演ポスター   大阪府立中央図書館
   「家をまわる芸能の在り方を考える~伊勢大神楽を中心に~」


「伊勢の大神楽」は、
《「まれびと」の末裔たち(後)》に神野知恵氏講演
「家をまわる芸能の在り方を考える~伊勢大神楽を中心に~」を挙げて
「門付け芸・獅子舞は現代も生きています」と紹介しました。


究会代表
大阪区民カレッジ講師
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登