大阪市の存廃が問われる投票が間近に控えております。
市外在住者であるボクには
投票権がありません。
そんなボクの《大阪市章「澪標」のメッセージ》は、
ヘソを曲げて綴るのではありません。
ボクの知り得る限り、
大阪市章「澪標」(みをつくし・みおつくし)の情報を
発信したいのです。
まず*大阪市HPに当たりました。
敢えて、全文を挙げます。
*大阪市HP:「市名 市章 市歌 市の花 市政」2014年2月27日
https://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/page/0000010271.html
◆みおつくし(澪標)というのは、
古歌にもよまれているように、
昔、難波江の浅瀬に立てられていた水路の標識です。
摂津名所図会には
クイの上部に板をX型に打ちつけたものだけが見られますが、
天保年間の絵図には今の市章と同じ形をしたものが描かれています。
大阪の繁栄は昔から水運と出船入船に負うところが多く、
人々に親しまれ、港にもゆかりの深いみおつくしが、
明治27年4月、大阪市の市章となりました。
この記事をぼーっと読んでいては、みおつくし(澪標)は、
「難波江の浅瀬に立てられていた水路の標識」であって、
大阪の繁栄の象徴として
「港にもゆかりの深いみおつくし」が
大阪市章として選ばれたとしか、読み取られません。
写真 明治34(1901)年頃天保山に立つ澪標
『澪標』大阪府立市岡中学校創立30周年記念誌1931年10月
大阪府立市岡高校同窓会室所蔵
今日、2020年10月20日、YouTubeを開いてみますと、
懐かしい「みおつくしの鐘」が聞こえてきました。
まずは【夜の10時に道頓堀に
鳴りひびく「みおつくしの鐘」の音】をお聴き下さい。
↓ここをクリック
www.youtube.com/watch?v=cBVUj4CTdnk
6,800 回視聴•2014/11/26
投稿者のコメントは次の書き出しです。
◆大阪道頓堀の戎橋の上にいるときに
「みおつくしの鐘」が鳴りました。
「みおつくしの鐘」は午後10時になると鳴ります。
この鐘の由来について、縷々として綴られています。
◆1955年、大阪市の地域婦人団体協議会(現在は地域女性団体協議会)が、
当時15万人の会員の発意によって、
青少年をまもる愛の鐘建設運動に取り組み、会員の募金を中心に、
毎夜10時を鐘のメロディーで知らせる「時報装置」と、
母の愛を象徴する「記念鐘」を製作、
同年5月5日に大阪市に寄付され、
旧市庁舎塔に設置されたもの。(以下略)
現在も、市内のすべての区で
毎夜10時に鐘のメロディーが鳴り響いているとあります。
木造の造形物としての澪標でなく、形も素材も変えて
鐘の「みおつくし」がメロディーを響かせているのです。
それは、好悪はともかく「青少年をまもる母の愛」の表徴です。
ここまで書き連ねてみて、
「みおつくしの鐘」云うたら、
本来の「水路の標識」と何の関係があるの?
1955年昭和30年当時の、青少年の非行防止のため、
母親たちの余計な愛の押しつけ?
昭和30年代に小学、中学時代を過ごした
ボクは如何に思っていたでしょう。
「みおつくし」は「みをつくし」で
「身を尽くし」であって、
それは「澪標」、「水脈つ串」は掛詞であります。
平安貴紳の歌の近代的的翻案がありそうです。
大阪市HPにある
「難波江の浅瀬に立てられていた水路の標識」では、
今日、読みとられないメッセージが
「みおつくしの鐘」にはあると今のボクは考えます。
大阪市章「澪標」は、
単に「繁栄する港」に立つ棒杭ではなさそうです。
いずれ、明治27年4月大阪市会議事録を挙げて、
或いは今日にも通じるメッセージを読み解くことにします。
大阪民俗学研究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登