難波八十島の追跡(1) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

 

本ブログは、日本民俗学会会員限定のオンライン開催の
日本民俗学会第72回年会(2020年10月4日)に公開発表した
「海辺の天皇即位儀礼伝承―難波八十島の追跡」を
発表要旨本文に沿って
アップ画像に若干の自注・写真を加えたものです。
オンライン動画に使用した文献画像は、
断らない限り大阪府立中之島図書館所蔵文献の複写物です。

 

タイトル写真

◆海辺の天皇即位儀礼伝承-「難波八十島」の追跡-
 【自注】
  動画の「コンテンツ」は、次のとおりです。
  1 大阪の古称「難波」/2 天皇即位儀礼「八十島祭」
  3 近世西成郡の八十島/4 東生の八十島
  5 今日の「難波八十島」伝承

発表要旨本文
《1 大阪の古称「難波」》
大阪の古称は「なには」(「なにわ」)だが、
*いろいろな漢字表記がみえる。
難波・浪速・浪花・浪華が一般的で、
いずれも波・浪の漢字が当てられている。
 【自注】*動画には、次の記事も掲げています。
  「ナニハ(一説に「魚な庭にわ」の意という)
  大阪市およびその付近の古称。
  参考
  なんば【難波】大阪市中央区道頓堀以南、
  浪速区の北部にわたる一帯の汎称。
  私鉄・地下鉄の難波駅がある。

 【写真①】近鉄・阪神「大阪難波駅」

 

《2 天皇即位儀礼「八十島祭」》
*神武東征伝説には、「なには」伝承の古層がみえる。
 【自注】*『日本書紀 前篇』1977年、吉川弘文館、
    「神武天皇(即位前紀戊午年)」私蔵本

「浪速渡」における「なみはや」言辞が
「なには」に訛ったとする地名起源であるが、
 【自注】*『葦火』178号、2015年10月、
  趙ほか「古代はじめの古地理図」大阪市博物館協会、
  大阪文化財研究所裏表紙

現代都市大阪の伝承にも海辺が見え隠れする。

「仁徳記」には、難波碕における国見歌とされる歌が記されている。
そこに謳われる島々を国土創生を語る「大八洲国」になぞらえ、
*「原八十島神祭歌謡」と称する説がある。
 【自注】*本田義憲、1968年10月「原八十島神祭歌謡をめぐる覚書」
    『萬葉』第69号

摂津国の八十嶋は、文献上では
嘉祥3(850)年9月の文徳天皇即位の記事に
*「向摂津国祭八十嶋」とみえる。
 【自注】*『国史大系 六国史[3]日本後紀』
     経済雑誌社、1913年、
     「文徳実録巻第二」文徳天皇 嘉祥三年九月
 
*「延喜式」八十島祭の条には、 
祭場を*「難波津」と記し、
 【自注】*『増補改訂国史大系第26巻 弘仁式・延喜式・交替式』
     1937年、「延喜式巻三 臨時祭」

 【写真②】*「難波津」比定地

後には大川尻の隈*「熊川」も記され、
長暦元(1037)年に住吉代家浜にて祭祀するに至り、
 【自注】*『続々群書類従』第5『平記(行親記)』1969(1909)年 
     *『葦火』178号、2015年10月、
      趙ほか「古代はじめの古地理図」

 【写真③】熊川想定地

元仁元(1224)年、後堀河天皇を最後に 
難波における天皇即位儀礼・八十島祭は廃絶する。

以下、《3 近世西成郡の八十島》は
次回に続けます。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登