「大江の岸」の世界(2) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

 

前回、「大江の岸」の場所を「八軒屋の浜」とする説を
検証すると予告しました。

「大江の岸=八軒屋の浜」説を取る『摂津名所図会』
「大江岸」には、「(八軒家の浜)より
南の方一堆の丘山」とありました。
東西に「大江の岸」が連なっていることになります。


後拾遺和歌集巻九羈旅は、
「渡辺や大江の岸に宿りして
 雲居に見ゆる生駒山かな」でした。

八軒家浜南の場所では、真正面は八軒家浜で
生駒山は東を向いて遠望となります。
『摂津名所図会』「大江岸」には「西北は大江也」とあります。

 

古歌に歌われる「大江の岸」に後拾遺和歌集に次いで
時代が古いのは「堀河百首」です。
『広辞苑』に「1105年(長治2)以降成る」とあります。
 新村出編2008年『広辞苑第六版』岩波書店

*『国歌大観』の「五月雨」は433番歌に続き、
「隆源」とあって、次の歌が載っています。
     *『国歌大観』:『新編国歌大観』第四巻、私家集編Ⅱ、1986年、
       角川書店、堀河百首
445:さみたれは日数つもれど
  わたのべの大江のきしはひだらざりけり

適宜、漢字を当てます。
◆五月雨は日数積もれど
 渡辺の大江の岸は浸らざりけり

 

五月雨の時季の浸水を歌題として取り上げています。
どちらの方向からの水でしょう。

 

*「夫木和歌抄」に次の歌が載っています。
 *「夫木和歌抄」:『新編国歌大観』第二巻、私撰集編、1984年、
   角川書店、夫木和歌抄巻23雑部五703頁
詞書は「おほえ、摂州/題不知、扶桑 良暹法師」です。
10686:わたのべやおほ江の岸に水こえて
   こや野のきはに舟つなぐなり

適宜、漢字を当てます。
◆渡辺や大江の岸に水越えて
  小屋野の際に舟繋ぐなり

 

「大江の岸」が冠水しています。
急遽、舟を汀から丘側に繋留しています。
「大江の岸」は大川(旧淀川)に沿った東西に連なる岸で、
越えてくる水は、かつての海からの水でしょう。

 

現在の大阪市中央区には「大江」を称する施設が
小学校、公園などに散在します。公園を読図しますと
「北大江公園」は「中央区石町1」
「中大江公園」は「中央区糸屋町2」
「南大江公園」は「中央区粉川町6」に位置します。
「大江」の地名が南北に連なっていることになります。

「大江の岸」は大川と交わる川筋に沿った
南北の岸辺であれば、「熊川」は、
大川上流から入り込んだ「隈川」かも知れません。

 

考古地層学研究者の*趙哲済氏は、
中世の上町台地の北西部について次のように記述しています。
  *趙哲済氏:趙哲済
  「むかしの上町台地と周辺低地をめぐる地図の旅 4中世」
   (『葦火』179号、2015年12月)
◆(中世前期ごろ)難波砂州の北端部では、
 道修入江も干あがって、畠地に利用されています。
 ほぼ現在の位置に落ち着いた大川岸には
 渡辺の港が活気をみせており、
 現在の松屋町筋には渡辺から逢坂に至る浜道が、
 四天王寺から南には熊野街道が通っていました。

 

今から「八軒家船着場」からの「熊野かいどう」碑を
余所目に、
今日午後に「浜道」を阪俗研の仲間と探索することにします。
松屋町筋からの「雲居に見ゆる生駒山」の実見を
試みます。
「熊川」が「隈川」であれば、「北大江」となりますが、
如何でしょうか?
五月雨時、間近の今日6月6日です。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登