浦江塾で「田辺聖子「福島界隈」論の裏話を | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

今度の浦江塾は、今年は閏年で、
3月7日(土)です。
どなたも発表者がおられない時は、ボクの出番です。
福島区歴史研究会会報に掲載される研究ノート
「「軍国少女」の生きた福島界隈
 -田辺聖子『私の大阪八景』を読む」(以下「原稿」)の
裏話を話すことにします。

 

『私の大阪八景』著者の田辺聖子にとって「福島」は、
ふるさとです。
『写真で見る福島の今昔』(1993年)の序文に
「戦火に消えた「わが町」」を寄せています。
その一節に、昭和初期の「福島界隈」を彷彿させる記述があります。
◆電車みちには雑貨屋、酒屋、クリーニング屋、
 お菓子屋もありお医者さんもあった。
 私のうちは表通りから裏通りへ抜けられたが、
 裏通りには子供相手の屋台も一日じゅうきた。
 紙芝居に一銭洋食、ちょぼ焼き、しがらきわらび餅…。
 幼い私はどれを見ても欲しくなって
 何度も一銭をねだりに、かけて戻った。
 裏通りには八百屋さんも髪結いさんもあった。
 町内だけで日常の用が足りるという、
 便利でのどかな、なごやかな町だった。
 
はたして昭和初期の「福島界隈」は、
65歳の田辺聖子が描く
「便利でのどかな、なごやかな町だった」のでしょうか?

 

今のところ、今回の発表のコンテンツは?
1 解題「田辺聖子『福島界隈』」論の裏話
2 『福島界隈』のバイアス
3 「軍国少女」の生きた昭和初期
4 晩年の田辺聖子にとっての「福島」
5 私の「福島界隈」への眼差し

写真図 現在の「福島西通」交叉点

《2 『福島界隈』のバイアス》では、
原稿では控えめに記述した
主人公「トキコ」にとっての在日朝鮮人「タケ子」への
気持ちに焦点を合わせます。


《4 晩年の田辺聖子にとっての「福島」》では、
写真館裏口での著者の祖母と
炎天下、行商に来た朝鮮人のお婆さんとの
しみじみとした、やりとりを取り上げます。

76歳の田辺聖子は、
「大阪の下町では庶民たちにとっては、
朝鮮人は肌狎れした存在」と記しています。

 

祖母が朝鮮人のお婆さんに寄せた心情は、『私の大阪八景』では、
主人公小学生のトキコが感じ得なかった
大人が抱いた憐憫の情です。
戦時下にあっての時代性が感じ取られる心情です。

 

原稿は、福島界隈を
表通りと裏通りとに分節して論究しましたが、
今回の「裏話」では、口頭発表とて、
『私の大阪八景』の記述に見られる
「軍国少女」の生きた昭和初期のバイアス「偏向」を
避けずに解析し、話そうと思っています。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登