大大阪時代の聖天川接続井路(4) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

前回に引き続き、『鷺洲町史』1925年
「第三編 第三期 大正土木」より、
架け換えられた橋を取り上げます。

 

第二川上橋の架け換えは
大正11(1922)年5月)に「腐朽の為め」行われました。
第二川上橋は、「字南中開」と「字西三ヶ坪」の間に
流れていた聖天川に架かっていた橋です。

写真図 「鷺洲町衛生組合管内地図」1929年

地図では「浦江中貳丁目」と「浦江南貳丁目」に

架かる橋で×印が付いています。
現在の鷺洲3-9、鷺洲3-10と
鷺洲1-10、1-11の道路に架かっていた橋で、
都市機構鷺洲第2団地9号棟の南西端を南に
渡る道路上に位置します。
「腐朽」とありますので木橋であったのでしょう。

あと無名の2橋が架け換えられています。
そのうちのひとつは、
大正11(1922)年7月、大徳メリヤス会社工場側
洫川に架設されていた橋で、
これまた「橋梁腐朽」とありますので、
風雪に晒され木橋が往来に耐えきれなくなったのでしょう。

 

昭和4(1929)年「衛生組合地図」では「浦江上貳丁目」に
「大徳メリヤス工場」が見えますが、
すでに井路は見えません。
「大阪番地入地図:海老江」西部逓信局/編、大正7(1918)年
(大阪市立中央図書館所蔵)に照らしてみましたところ、
「字北八反田」の「(浦江)332」と「349」の間に水路が見えます。
この水路に架かっていた橋なのでしょう。

所は、現在、鷺洲小学校の北西、

鷺洲5-10を南北に流れていた井路に
東西に架かっていたと推測します。

残りのひとつの無名橋は、
鷺洲第一小学校の南東に架かっていた橋です。
◆(大正)13年1月現町役場前木橋は、
 10数年前の架設にして
 最早修繕をなす能はざる迄に腐朽したるを以て、
 不用に帰せし海老江の東出口橋々材を以て
 之が架換を行ひ、
 本町の古名を取り永久に記念すべく
 鷺嶋橋と名づくるに至れり

《記念すべき古名を名乗る橋
2018-12-01 13:58:06》をご覧下さい。
  ↓ここをクリック
https://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12422857144.html

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登