田蓑の島の「かざめ」なる蟹(6) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

大阪道頓堀、戎橋南詰、
お馴染みの「かに道楽」本店では
立体看板の「かに」が目を惹き、
焼き蟹の香ばしい薫りが鼻をくすぐります。

平安時代の都人は
田蓑の島の「かざめ」なる蟹を
いかに入手し、調理し御膳に上せていたのでしょうか?
《田蓑の島の「かざめ」なる蟹(2)》では、
歌の詞書を頼りに住吉の神主が都人に
「かざめ」なる蟹を贈った事例を挙げましたが、
今回は制度としての蟹の貢納から探ります。

「*延喜式第三十九 内膳司」の項を引用します。
延長五(927)年12月26日の記事です。
*延喜式第三十九 内膳司:『国史大系』第二部・第十冊、
1961年、黒板勝美編輯、吉川弘文館

◇年料
  山城国。《半角割注:氷魚(ヒヲ)。鱸。》
  摂津国。《半角割注:擁釼(カサメ)。*皮蘭。》
    *:頭注 蘭、九本作 菌

 

摂津国の擁釼(カサメ)は
「年料」としての恒例の貢納なのでしょう。
*『国史大辞典』の「贄」(にえ)に当たりました。
   *『国史大辞典』:『国史大辞典』第10巻1989年、
                            吉川弘文館、(勝浦令子)

先ずは「贄」とは何でしょう。
◇神に供する神饌、または天皇へ貢納される食料品の総称。

蟹は贄として捕獲され、供されていたようです。
引用の続きを載せます。
◇これらによると、贄として献納された食料品は、
  海水・淡水産の魚類を中心に、
  貝類・海藻類・調味料・獣類・果実類などの生鮮品や加工品からなる、
  多彩な山野河海の珍味である。

引用文の続きからは「年料」の制度上の位置づけが分かります。
◇律令制下の贄貢納体制の中で、その全体像を把握できる時期のものは、
   平安時代の『延喜式』内膳司のものである。

    これは
   (一)諸国貢進御贄(中略)と、
   (二)年料

   (大宰府や諸国からの献納。同宮内省に規定される

   諸国例貢御贄の主要部分にほぼ対応する)の
   二つに大別できる。

貢納される際、生き物である蟹が
はたして生かされたまま、都へ移送されたのか、それとも
何らかの手が加わって、
加工された食料品として移送されたのでしょうか?

《田蓑の島の「かざめ」なる蟹(3)》に挙げた
『日本三代実録』の元慶3(879)年正月3日の記事には、
「摂津国蟹胥」の文字が記されていました。
「蟹胥」として、神饌、食膳に供されていたのです。
「蟹胥」は、「カニヒシコ」のルビが振られて
近世の地誌『五畿内志』(『摂津志』)にも見えます。
このブログでは、しばらく連載した文献です。
『摂津志』なのですから、「田蓑の島」の場所が
見えてくるかもしれません。

時間が来ましたので
次回廻しです。

究会代表 田野 登