書換版「浪速駅」行廃線跡を過ぎるだけではありません | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

 

大阪あそ歩「市岡尻無川コース」は
10月22日(土)pm1:00出発
集合場所はJR大阪環状線・弁天町南改札口です。

「市岡尻無川コース」では
大阪臨港線「浪速駅」行廃線跡を過ぎります。
しかし、それだけではありません。

 

まず弁天町駅から、みなと通に向かいます。
昔の電車道には市岡高校があります。
ボクはこの学校の20期生であり
最初の着任校です。
何を話すやら、先輩がおられたらどないしょ?
写真図1 市岡高校

 

みなと通をひたすら西に、
港区役所の見えるあたりで
往時のこの地の名産品「新田西瓜」を

『五畿内産物図会』(大阪府立中之島図書館所蔵)の
挿絵でご覧に入れます。
不細工な恰好にがっかりしないでネ。

 

磯路の桜通りの紅葉はまだまだですが、そこを通りすぎ
市岡パラダイス跡地を訪ねます。
郊外型遊園地の嚆矢?市岡パラダイスの不思議空間を
昭和初期の写真で想像し、
みなと通に戻ります。

 

いよいよ尻無川に向かいます。
その手前に廃線跡を跨ぎます。
一目で、「廃線跡」はわかります。
大阪臨港線「浪速駅」は、
今から10年前、
2006年(平成18年)4月1日に廃止されました。
写真図2 西方向「浪速駅」跡地を臨む

 

*ウィキペディア「大阪臨港線」は
次のように綴っています。
 ja.wikipedia.org/wiki/大阪臨港線
 最終更新 2016年10月1日 (土) 20:25
◇京セラドーム大阪の南西に位置していた
境川信号場で分岐し、

  大阪環状線の外回り線の高架橋をくぐって

   商店街の南側を走行し、

   阪神高速17号西大阪線および国道43号と交差後は

   ほぼ直線で浪速駅まで線路が伸びていた。

   住宅地の中を抜けると工場地帯に入り、

   三十間堀川を渡ると浪速駅に到着する。

   浪速駅は大阪市営バス港営業所や、

   一般企業の物流センターなどに転用されている。

 

ここでは1928(昭和3)年開業当時の写真を交えながら
大阪港をめぐる鉄道の歴史を話します。
大阪の盛衰は、実は「港」が正直に語ります。

写真図3 東方向、南市岡方面を臨む

右手(南側)に「大阪木材相互市場」の看板が見えます。
もう、そこは尻無川の浜右岸です。
昔は浜が物資の揚げ卸し賑わっていたことでしょうに・・・。

 

廃線跡の前方(南方)には甚兵衛渡船場が見えてきます。
写真図4 甚兵衛渡船場

 

対岸は大正区です。
今日、運輸・倉庫が並ぶ、この一帯も往時、
錦絵「浪花百景」の櫨紅葉の名所でした。
見えないモノは画像でお見せします。

 

すぐ上流には、尻無川水門があります。
写真図5 西向きに尻無川水門を撮る

 

この水門は非常時には
どっちに、こけるのでしょうか?
反対にこけたら、高潮に喧嘩を売るようなものです。
しばし尻無川右岸の「都市奇観」を堪能します。

 

堤防下に降りて南市岡繁栄商店街に向かいます。
ここで再び、臨港線廃線跡を跨ぎます。

写真図6 臨港線廃線跡を東に臨む

削られた土手が見えます。
境川信号所のあった場所は、この先(東方)
です。
北側(左手)を大阪環状線が高架で通り抜けます。

 

ということで「市岡尻無川コース」は
市岡新田の時代に溯り、
近代大阪を「みなと」のアングルから捉えます。
けっして大阪臨港線廃線跡を過ぎるだけではありません

 

予約〆切は
前日10月21日(金)pm8:00です。(時間厳守)
予約先は大阪あそ歩事務局
         ↓ここをクリック
https://www.osaka-asobo.jp/course293.html

 

究会代表 田野 登