中島大水道起点・新太郎松樋の南東約400mの
淡路駅の地下道を抜け、
駅の東側商店街を横断しますと、
これまた川跡を思わせる
ゆるやかな曲線を描く道路です。
ほどなく高低差のある2本の
平行する道に出ます。
写真の方向は西向きです。
左手(南)の地面が高い方が旧淡路庄増島村。
現在の東淡路4丁目で増島川の堤道。
右手(北)は地面が低く旧新家村。
現在の菅原5丁目で増島川の川床です。
この川堤、川床が中島のくびれです。
中島の下島(しもじま)と上島(かみじま)の境界です。
下島の方が上島より地面が高い?
上下は淀川の流れに沿って
上流(北側)と下流(南側)によって区別するものです。
増島川の堤道の裏は小高くなっていて
現在は「東淡路公園」になっておりますが、
昭和10年代の地図にはまだ、六角形の池が見えます。
明治の測量部の地図を重ねますと
この池の西から南に民居が集中し、
その周囲に田畑が広がっています。
「字増嶋」とありました。
一柳正義氏に訊ねましたところ、
昭和28年の水害で淀川が氾濫した時、
この池から水が噴き出したとのこと。
底で繋がっているとのこと。
今のボクには理解不能です。
下島である増島川左岸のこの池一帯は
*国土地理院「明治期の低湿地データ」においても
低湿地の表記から外れています。
*国土地理院「明治期の低湿地データ」
http://www.gsi.go.jp/bousaichiri/lc_meiji.html
閲覧日:2016/07/17
さらに南東に進みますと高架橋に出ます。
ここも進行方向からすれば
振り返る恰好になります。
川跡の湾曲する道路の
左は旧増島村(東淡路5)、
右が旧新家村(菅原5)です。
この高架は、現在、城東貨物線の高架ですが、
2018(平成30)年度末には
新大阪駅 - 放出駅間が開業すれば、
*おおさか東線の一部路線となる予定です。
*おおさか東線:https://ja.wikipedia.org
最終更新 2016年7月22日 (金) 16:08
閲覧日:2016年7月23日
しばらく城東貨物線の高架に沿って
増島川跡を溯ります。
今回のゴールは和合橋跡(菅原3)です。
大阪民俗学研究会代表 田野 登