書換版 中島大水道上流を溯る(3) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

中島大水道起点・新太郎松樋の南東約400mの
淡路駅の地下道を抜け、
 駅の東側商店街を横断しますと、
これまた川跡を思わせる
 ゆるやかな曲線を描く道路です。
ほどなく高低差のある2本の
平行する道に出ます。


写真図1 高低差のある2本の平行する道
             7月9日撮影

写真の方向は西向きです。
 左手(南)の地面が高い方が旧淡路庄増島村。
 現在の東淡路4丁目で増島川の堤道。
 右手(北)は地面が低く旧新家村。
 現在の菅原5丁目で増島川の川床です。
この川堤、川床が中島のくびれです。
中島の下島(しもじま)と上島(かみじま)の境界です。

下島の方が上島より地面が高い?
 上下は淀川の流れに沿って
上流(北側)と下流(南側)によって区別するものです。
増島川の堤道の裏は小高くなっていて
現在は「東淡路公園」になっておりますが、
 昭和10年代の地図にはまだ、六角形の池が見えます。
 明治の測量部の地図を重ねますと
 この池の西から南に民居が集中し、
その周囲に田畑が広がっています。
 「字増嶋」とありました。

一柳正義氏に訊ねましたところ、
昭和28年の水害で淀川が氾濫した時、
この池から水が噴き出したとのこと。
底で繋がっているとのこと。
今のボクには理解不能です。

下島である増島川左岸のこの池一帯は
*国土地理院「明治期の低湿地データ」においても
低湿地の表記から外れています。
 *国土地理院「明治期の低湿地データ」
http://www.gsi.go.jp/bousaichiri/lc_meiji.html
閲覧日:2016/07/17
さらに南東に進みますと高架橋に出ます。



ここも進行方向からすれば
振り返る恰好になります。
 川跡の湾曲する道路の
左は旧増島村(東淡路5)、
 右が旧新家村(菅原5)です。

この高架は、現在、城東貨物線の高架ですが、
2018(平成30)年度末には
新大阪駅 - 放出駅間が開業すれば、
 *おおさか東線の一部路線となる予定です。
  *おおさか東線:
https://ja.wikipedia.org  
 最終更新 2016年7月22日 (金) 16:08
 閲覧日:2016年7月23日

しばらく城東貨物線の高架に沿って
増島川跡を溯ります。
 今回のゴールは和合橋跡(菅原3)です。

究会代表 田野 登