前回、折口信夫の問題として
異相としての「頬被り」が
挙げられるのは
大正6(1917)年6月初出の
小説「身毒丸」からだと書きました。
後になって難癖を付けるのは嫌ですから、
玉手御前が父・合邦の家に帰って来る場面の
「忍び兼たる頬冠り」とある衣裳について
「頬被り」でない説も挙げておきます。
*『歌舞伎登場人物事典』の〔演出・扮装〕の記述がそうです。
*『歌舞伎登場人物事典』:河竹登志夫監修2006年
白水社、「玉手御前」
●(上略)扮装は、
黒または紫紺の留袖で裾模様に藪柑子などを描く。
蔓は、町人風の丸髷または
武家奥方の勝山、
公家風の下げ下地を用いることもある。
花道の出に被る頭巾も、演出により黒または紫になる。
「頬被り」でなく「頭巾」とあるのです。
なるほど、写真で見ても
けっして賤しげな恰好ではありません。
この記述は『歌舞伎登場人物事典』の
「玉手御前」という項目で
「古井戸秀夫」の署名があります。
同事典の項目「俊徳丸」の
〔演出・扮装〕の記述はいかがでしょう。
この方の署名は「和田修」です。
●本作では玉手御前が中心で
いくつかの型がある。(中略)
合邦庵室の場では、
肩入れのついた藤色綸子の着付けの
やつしなりで、病鉢巻きで目を被布で覆う。
「やつしなり」とあります。
「身をやつす」というものです。
ちなみに『広辞苑』第6版の
「やつし事」には、次の記述があります。
●歌舞伎で、
仔細あって
身を落とした身分ある人物や
金持の息子などが、
いやしい姿でする演技。また、その劇。
「やつす」のは賤しいなりをすることです。
いくらお芝居で美しく演じられようとも、
それは賤しい身なりの様式に拠るところの
演出なのです。
この段に至って
折口にとっての「頬被り」の
小説「身毒丸」における記述を記します。
今回は図書館に全集本が貸し出されていて
手にすることができませんでしたので
*文庫本を引用します。
*文庫本:河野多惠子編
『大阪文学名作選』2011年
●あけの日は、
東が白みかけると、
あちらでもこちらでも蝉が鳴き立てた。
昨日の暑さで、
一晩のうちに生れたのだろう、と話しおうた。
草の上に、露のある頃から、
金襴の前垂を輝かす源内法師を先に、
白帷子に赤い頬かぶりをして、
綾藺笠を其上にかずいた一行が、
仄暗い郷士の家から、
照り充ちた朝日の中に出た。
そうして、だらだら坂を静かに練っておりた。
制吒迦は、二丈あまりの花竿を竪てながら、
師匠のすぐ後に従うた。
主人公「俊徳丸」ならぬ「身毒丸(しんとくまる)」は
「白帷子に
赤い頬かぶりをして、
綾藺笠を其上にかずいた一行」の一人です。
旅芸人です。
この田楽法師の群れにいるのが
「身毒丸(しんとくまる)」です。
小説「身毒丸」は大正7(1918)年9月の発表ですから
折口信夫20歳の作品です。
次回は、「身毒丸」の境涯を見ることにします。
田楽法師の群れに表徴される人々に
託された折口信夫の心意を読み解こうと思います。
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大阪民俗学研究会代表 田野 登