大正時代の小学校の遠足 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


みなさんは、「遠足」という言葉を聞いて
どのような情景を思い出しますか?

いつの頃のことでしょう?
幼稚園では、どこに連れて行かれましたか?
小学校低学年では?高学年では?
中学校、高校では?


6月27日(土)の阪俗研セミナー
「堀江の子どもの世界Ⅲ」では、
大正時代の小学校の遠足について
宮本又次の記録に基づき考えます。


いったい、その時代の
大阪の子どもが連れて行かれたのは
神社・仏閣ばかりです。
例えば北河内なら
四條畷神社です。
それでは南河内ではどこでしょう?


遠足というのは学校教育の一環でありながら
宗教色の強い行事だったのですね。
民俗宗教というべき側面もあります。
今回、PowerPointでお話しする内容の
一部を載せます。


●「(遠足では)大和の社寺へ連れて行かれたこともある」とある。
 大阪の商家の小学生の遠足の遠出は、
 大和の社寺まで及んでいた。
 当時すでに鉄道が敷設されていたので
 日帰りができた。
 「五、六年生のとき一泊で、
 伊勢神宮(神宮司庁:三重県伊勢市宇治館町)に
 おまいりした。
 関西鉄道で湊町(*浪速区湊町)から乗った」とある。
 伊勢神宮参拝の場合、一泊を要した。
 この記述が遠足の記事に続き、
 この記事のすぐ後に
 「中央公会堂(*中央区中之島)が落成し、
 小学校からつれられていった」と続くからには、
 学校の行事と考えられる。
 テキストに修学旅行という名称は、用いられていないものの、
 それに類する学校行事であった。
 この伊勢神宮参拝を目的とする学校行事は、
 当時、教育の一環として行われた宗教行事でもあったのだろうが、
 「お伊勢さんをお参りする」のは、
 大阪人にとって小学校卒業を以て
 「一人前」とする人生儀礼でもある。


ボクの小学校6年の時を思い出します。
宮本又次の約40年後のことです。
昭和36(1961)年の頃は、
近鉄特急に乗って「お伊勢さん」へのお参りでした。
鳥羽では水族館で海女さんの
アトラクションを見学し、
日和山にエレベーターで登って
山から富士山を見たような記憶があります。
帰りは五十鈴川の橋を渡って
内宮に参り
生姜板を土産に買って帰りました。


それが大阪の小学校の
修学旅行の定番だったのでしょうか?
さすが小学校卒業で「一人前」というには
幼すぎましたが・・・・・。


宮本少年は13歳の時、
京都のあるお寺に家族と参ります。
ボクも同じことを体験しています。
「十三参り」です。
続きは本番で話します。

ボクの興味は
変わったようで変わらない
変わらないようで変わった習俗を探究することです。

セミナーを今回、初めての方も
歓迎します。
前回までのテキストも用意しますので
明日26日㈮中にご連絡ください。

詳しくは次の頁をご覧ください。
  ↓ここをクリック
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12006359714.html  


究会代表 田野 登