市岡尻無川コース「川筋の生業を訪ねるツァー」 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

昨日2015年3月22日(日)午後、
大阪あそ歩の市岡の2コースの下見に歩いてきました。
先程は安治川コースをアップしました。
実施日は4月1日午後でした。
今からアップしますのは市岡尻無川コースで
実施日は4月4日午後です。


市岡尻無川コースは弁天町を発ちまして
まずは〽波路の末の澪つくしの

市岡高校に向かいます。

市岡は直木賞の直木三十五、芥川賞作家の柴崎友香の
卒業した学校であり、
叙情詩人・三好達治の在学した学校でもあります。
市岡はボクにとっても母校で、最初の勤務先であって
民俗学を始めたのは、その時代です。


電車道「みなと通」を西に行き、
磯路桜通、夕凪交差点、市岡パラダイスは
安治川コースと共通の
市岡コース必須の観光スポットです。

写真図1 市岡パラダイス跡地





大正14(1925)年開園の郊外型遊園地
市岡パラダイス跡地では
市岡パラダイスにまつわる
ちょっと怖い都市伝説2題を語りましょう。
〽夕焼け小焼けで日が暮れて
出てくるのは何でしょう?


かつての夕凪堤に沿って夕凪交差点に戻ります。
この交差点の北東角には
昭和8(1933)年に超モダンな一岡ビルが建ちました。
現在はこの写真です。
写真図2 一岡ビル跡地


実はこの奇抜な建物も現在は廃墟なのです。
現地で話しましょう。


かつての三樋、福崎を行きますと
細長い空地が見られます。
細長いのは線路の跡地だからです。
その先(南西)には貨物の浪速駅がありました。
写真図3 線路の跡地




富士ゼロックスの建物の見えるあたりは
*地図を読みますと線路が分岐しています。
*地図:「最新大大阪市街地図」1935年、日文研所蔵
この地図には線路に「大阪水陸連絡線」とあります。
当時、大阪の街と大阪港とは線路で直結していました。
兵隊さんも、この駅かアジアに運ばれて行ったと聞きます。


福崎をさらに行きますと甚兵衛渡船場です。
櫨紅葉がなくとも、ここからの眺めはすばらしい!
「海」を感じさせます。
写真図4 甚兵衛渡船場から尻無川下流の眺め




渡船「きよかぜ」の先(南)には

大正内港に架かる千歳橋が見えます。


甚兵衛渡船場から先は尻無川右岸を遡ります。
本番はクルマに注意せねばなりません。
水辺の奇観に気を取られてはなりません。

川筋の生業をかいま見ることができます。

川は物資輸送の動脈でありました。
大阪では川岸を「浜」といいます。
江戸で云う「河岸(かし)」です。
浜は仕事場でもあります。
材木屋には「附売浜」の看板があります。

写真は石屋の浜です。
写真図5 石屋の浜




浜は荷揚げ場です。
上流に向かって行きますと
淡路島の南淡出身の
瓦屋の倉庫が立ち連なり出します。
屋号を見れば出身地がわかります。

「揚ゲ場」と記した表札が掛かっています。
写真図6 瓦屋の倉庫




倉庫は浜納屋の造りになっています。
実見はしていませんが、
所々にベルトコンベアが見えます。
船で輸送されてきた商品を
水面から水揚げするのに用いられているのでしょう。

大阪でもハマで水揚げし、
材木などはハマで商っていた時代がありました。
写真図7 堤防下からの瓦屋も浜納屋




正面の鉢巻きを巻いた蛸のようなのは

京セラドーム大阪です。


写真に水辺に迫り出している納屋が見えます。
その手前にはプレジャーボートが見えます。
これは新しい光景です。


この界隈もボクが調査をしていた、
昭和の末までは
櫓や櫂の職人や船具商が店を構えていました。 
ところが
しばらく舟との関わりが薄らいできたところに
今回、プレジャーボートを「発見」しました。

どうやら行政主導の「水都」イベントに
取り上げられなかった水辺の生業が
見えてきました。

知っているようで知らなかった
水辺の大阪に
かつての大阪を発見する。
そんなガイドをやってみたいと思います。


市岡新田の名産品「新田西瓜」をお見せするのは、
どこにしましょう?
夕凪、三樋から福崎にかけてのあたりかな?
なぜ?
その事情は本番でお話しします。


市岡尻無川コースの参加お申し込みは
   ↓ここをクリック
https://www.osaka-asobo.jp/course293.html


究会代表 田野 登