晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

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先週、語末の「春」の音読み「しゅん」を予告しましたが、

漢語の資料集を断念しましたので、

予定を変更して語頭に「春(はる)」を冠する語から

さまざまな「春」を探ることにしました。

テキストは『広辞苑 第七版』2018年、岩波書店です。

 

50音順に約100語挙げられている語彙を、次の15項目に分類しました。

〖「春」を冠する時候〗  〖「春」を冠する気象〗

3〖「春」を冠する昼夜〗  4〖「春」を冠する天文〗

5〖「春」を冠する風景〗  6〖「春」を冠する植物〗

7〖「春」を冠する動物〗  8〖「春」を冠する神・人〗

9〖「春」を冠する生業〗  10〖「春」を冠する行事〗

11〖「春」を冠する遊興〗  12〖「春」を冠する衣服〗

13〖「春」を冠する調度品〗 14〖「春」を冠する風情〗

15〖「春」を冠する情〗   

今回は≪1〖「春」を冠する時候〗≫を取り上げます。

 

「時候」といいながら寒暖といった感覚は

≪2〖「春」を冠する気象〗≫を立てていますので、その項に当てます。

はたして「時候」の何処に「春の湊」が出て来るやら?

【春待ち月】が挙げられています。

陰暦12月の異称」とあります。

原文の漢数字を算用数字に書き換えています。

今回、蒐集したデータに「陰暦」表記は、これのみで、

「陽暦」「新暦」「旧暦」も見えません。

断わらない限り「陽暦」「新暦」と考えます。

「異称」は、他に〖「春」を冠する植物〗〖「春」を冠する動物〗≫に見えます。

「陰暦12月」は、未だ暖かい「春」にならず待ち遠しい思いが感じとられます。

 

【春隣】【春の隣】が挙げられています。

後者には、次の記述があります。

◆春に近いことを空間的に隣と表現したもの。

晩冬、春の近づくのにいう。古今雑体「冬ながら―の近ければ」

 

「冬ながら」とあり、これも未だ「春」ではありません。

いったい、何時になれば「春」なのでしょう。

【春立つ】や如何?

◆春になる。立春の日を迎える。〈[季] 春 〉。

古今和歌集(春)「袖ひちてむすびし水のこほれるを―けふの風やとくらむ」

 

暦の上での「春」が来ました。

新暦では2月3日頃が「節分の夜」で4日頃に「立春」を迎えます。

「はる-さーる」とある項には【春さる】があてられいます。

◆ (「さる」は移動する意)春がくる。春になる。

万五 「ーればまづ咲くやどの梅の花

 

この「さる」に「去る」をあてれば大変です。

漸くやって来たのに、また去ってしまいます。

【春ざれ】があり、

「ハルサレとも。「はるさる」の連用形「はるさり」の転」とあり、

「春が来てうららかな景色になること」とあります。

 「うららかな景色」は何時まで続くやら?

【春先】は「春のはじめ。早春」とあって「春先の陽気」の用例が挙げられています。

【春方】や如何?

春方】は、「はる‐べ」にあてられて、次の記述があります。

◆(古くは清音)春の頃。万葉集(1)「―には花かざし持ち

「春の頃」の語義は【春つ方】にも見えます。

 

いずれにも見える「方」はへ【辺・方】の項の④に

「そのころ」とあります。

「春方には花かざし持ち」とあって御安心ください。

タイトルの【春の湊】や如何?

「湊」に冠された「春」とは、何時?

次の記述があります。

◆春の行き止まるところ。船のゆき泊まる港にたとえていう。

春の泊(とまり)。季語;春。

新古今春くれてゆくーはしらねども」

 

問題は「新古今春」の歌です。

*『日本古典文学全集』に当りました。

 *『新古今和歌集』日本古典文学全集26、第四版1976年、小学館

◆五十首歌奉りし時 寂蓮法師

暮れてゆく春のみなとは知らねども霞に落つる宇治の柴舟

 

「くれてゆく」に「暮れてゆく」があてられています。

頭注「春のみなと」には「春という季節の行き着くところ、の意」とあります。

「みなと」「とまり」につきましては1年半前、

真剣に考えました。

  ↓アクセス

https://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12850082713.html

≪ミナト「水門」の地形 暮らしの古典75話:2024-04-28 09:24:14≫

「ト」は狭まった場所のようです。

*折口の引用の続きを記します。(下線は原文では傍点)

 *初出1919年1月、文会堂書店『万葉集辞典』の

≪みなーと[水門]≫の項

◆みなは水の形容詞的屈折で、

 水之[ルビ:ミノ]ではあるまい。

   今日の湊といはれてゐるのは、

 すべて海湾の船泊りの事であるが、

   海から川へ入る川口の、波除けに便な地をいふので、

 海から川口へ狭窄した地形をさしていふのである。

 

「湊」を「海湾の船泊り」とし「波除けに便な地」としています。

「湊」はゆっくりお休みになる場所です。

写真図 「湊」イメージ

「暮れてゆく春のみなと」は、「春の暮れ」でしょう。

テキストの【春の暮】には

「春の終わる頃。晩春。暮春」とあります。

【春の限り】には「春の終り。春のはて。〈[季] 春 〉とあります。

今回は〖「春」を冠する時候〗に、「春の湊」を見つけ、

「春」を総浚えして、「歳暮」ならぬ「暮春」にまで行き着きました。

 

究会代表 田野 登

今年も歳末恒例の夕陽を見る会を阪俗研で行います。

昨日、2025年12月20日、午後、

東野利明会友、今村一善会友と三人で、

人工島「舞洲」「夢洲」を経て天保山まで下見をしてきました。

コンセプトは、二つの人工島の来し方行く末を探索することです。

片や「大阪オリンピック」会場誘致に落選し、

いささかの「自然」が見え隠れする「舞洲」。

もう片方は「大阪・関西万博」で賑わい、

今やIR建設が進む「夢洲」です。

 

本日、今村会友が詳細な時程を作成中ですが、

先だって当日の集合日時と場所を載せます。

 集合日時:12月30日(火)12:30 

 集合場所:JR西九条駅改札口

以下の記事は下見報告で、若干、当日変更があることをご容赦ください。

 

まず、大阪シティバスで北港ヨットハーバーに出ます。

写真図1 北港ヨットハーバー

オフシーズンなのか人気はありません。

「北港」から淀川河口の眺めや如何?

ロケーションも良くて洒落ています。

常吉大橋を渡って舞洲へ。

 

ボクの関心は「スポーツアイランド」よりは「人口の磯」です。

写真図2 舞洲の人工磯からの東の眺め

ここで漂着物を観察します。

たくさんの流木に驚きます。

「東太湖の波路の末」は、瀬戸内のターミナル終着地でもあります。

外国産の怪しげなモノはまさか?

舞洲上空は鳥が舞い、海辺には鴨が泳いでいます。

松の木立に沿って、視線を西の方、神戸・須磨・明石に遣りながら歩きます。

程なくジョギング「磯コース」であることに気づきます。

途中、トイレ付近で「地域猫」の世話をしている男性に話しかけたところ、

「この島には狐や狸、それにヌートバーもいますよ」とのこと。

「ヌートバーなら伝法港にも数年前おりましたよ」と返事しておきました。

 

気になるのは「新夕陽丘」の展望台です。

すっかり万博のバックヤードとされていた緑地の先、

立入禁止のフェンス越しに展望台が見え隠れします。

渚の先端まで行ったところから「新夕陽丘」を直登しました。

写真図3 「新夕陽丘」からの西の眺め

陸地の窄まった所が明石海峡で、今日では大橋の鉄塔で分かります。

 

なんやかやと議論した末に「市岡の森」などの冬枯れの木々を眺め、

やっとのことで、南側のシーサイドプロムナードに出ました。

写真図4 シーサイドプロムナードのゲート

正面に見えるのが夢洲です。

万博が行われた「洲」とはいえ、数年前の光景と変わらず造成中です。

彼の地がIR用地とは?

写真図5 シーサイドプロムからの夢舞大橋の眺め

暫く数十台のクレーンが冬空に突き刺さっている光景を右手に見ながら、

夢舞大橋に向かいます。

左手には松の木立が続きます。

会友の何方かさんが「こんなとこ、カップルで歩けば…」とか?

冬らしからぬ陽気とはいえ、お寒い冗句です。

ボクにとっては念願の「渡橋」となる夢舞大橋です。

長らく工事中で「立入禁止」区域でした。

その眺めや如何?

写真図6 夢舞大橋からの舞洲

先ほど歩いて来た舞洲が「緑の島」に見えます。

シーサイドプロムの岸壁には乗用車が並んで見えます。

釣り客のクルマです。

北の磯とは好対照です。

視線を前に遣れば、もう夢洲です。

どちらさんが声を発せられました。

「(バンパクの大屋根)リングが見える!」

たしかに対岸からは見えにくかったリングが夕暮れ時に微かに見えます。

画像では可視不能につき当日、お楽しみに。

しばらく歩いた末に、やっと大阪メトロ「舞洲駅」に。

今回は、バンパクの残骸をめぐるツァーでもありましたが、

下見では日没サスペンデッド。

駅構内の階段はこのとおりです。

写真図7 大阪メトロ「舞洲駅」の階段

毎日のように混雑する様子が発信されていた「舞洲駅」の20251220です。

帰りに大阪港駅で下車して天保山を下見しました。

いつものサンセット広場で三人揃って「乾杯」。

本番より2時間遅れで、疾くに日も暮れていました。

証拠写真として海遊館前の電光装飾をワンショット。

写真図8 海遊館前の電光装飾

会友以外の一般の方の参加を歓迎します。

途中、飲食物の買い物の時間は無さそうです。

途次では、「各自ご安全」をお願いします。

お問い合わせは、tano@folklore-osaka.orgまで。

 

究会代表 田野 登

 

2025年12月6日(土)第23回「福っくらトーク」

「なぜ正月はめでたいのか」の話題提供をしました。

その後、いつものように和やかにトークしました。

 

写真図1 ポスター

    「福っくらトーク」代表・玉尾照雄会友制作

 

大阪市の「福島区コミュニティサロン」も23回になりました。

写真図2 表紙

     回数の「22」はまちがいで「23」が正しい数字です。

参加された「野球小僧」会友からのレポート「古代からの歳末信仰」が届きましたので

紹介します。

 

◆福っくらト~クで、

田野先生による「正月はナゼめでたいか?」を聴かせて頂きました。

民俗学の折口信夫さんの古代人の信仰のお話を交えて、

仁徳天皇の時代から宮廷や貴族社会で行われた信仰では、年の瀬が大事。

「今を春べ』と詠むのは、貴族社会で行われていた歳末の信仰と結び付く。

尊いお方も物忌みをなさる精進潔斎をなされる。

冬から春への短い時期には、人間の魂が不安定になる。

1年間の清めをして、来年はまた別になる。

正月は時間を更新する時。

清めて清々しい気分で新たな年を愛でるべく、

1年間に積もった穢れを払い、

要らない物を空っぽにする時。

大きな寺院ではすす払い、大仏さんはお身拭いをする。

これは迎春の行事の論理にかなっているという

お話を聴かせて頂きました。

 

以下、田野による書き込み。

たしかに、このようなお話をしました。

 

写真図3 コンテンツ

 1 NHKBS「美の壺」ウラ話「睨み鯛」の真相

2 「正月」という言葉

3 初春の「芸人」の記憶

4 正月の門付け芸人の正体

5 「王仁博士難波津歌」の初春の祈り

 

野球小僧会友からの「古代からの歳末信仰」は

結論の≪5 「王仁博士難波津歌」の初春の祈り≫の件に

焦点を絞ったレポートでした。

今日、この国では、歳末の迎春の行事は、

慌ただしさに紛れて見えなくなっていますが、

12月13日の「コトハジメ」など、正月を先取りした行事であり、

何故か、これから冬という時季に春を寿ぐのが、この国の行事です。

≪1 NHKBS「美の壺」ウラ話「睨み鯛」の真相≫では

30分番組の冒頭の6分をご覧に入れました。

昨秋、明石の「魚の棚」(ウオンタナ)の

魚秀という「焼き鯛」の老舗での収録でした。

「ボクの子どもの頃は、にらみ鯛と云って、

三が日は膳に飾り付け、正月元日から三日までの

その日の干支廻りの者が睨みつけて三が日を過ぎるまでは

誰も箸を付けることは許されませんでした。

じっと我慢の子でありました」。

この情景を井原西鶴『日本永代蔵』の「世界の借家大将」に

「掛鯛」の由来にまで話しましたが、カットされた無念を晴らしました。

 

≪2 「正月」という言葉≫の冒頭のコマは次のとおりです。

写真図4 ≪2 「正月」という言葉≫

大伴家持歌

「三月春正月一日於二因幡国庁一賜二饗国郡司等一之宴歌一首」の

三月春正月一日」の宴のあった「正月」は、陰暦「三月春」でした。

「正月」って何時?から始めました。

 

≪3 初春の「芸人」の記憶≫はご近所の「神農商業組合長」の家にやって来た

門付け芸人である獅子舞一行の記憶から、

平成2(1990)年度実施の「大阪市民俗資料調査カード」の「露天商」が

「十二月十三日の事始め」に歳神である神農の祭りを報告しました。

 

写真図5 ≪4 正月の門付け芸人の正体≫の冒頭のコマ

ここからが「折口民俗学」の世界です。

画像は国立国会図書館が公開している

「『人倫訓蒙図彙』寛文6(1666) 年」です。

覆面をした男女は、寿ぎ詞を触れて廻る人たちで、

折口は、彼らを「神人」(下級宗教者)、「芸人」、

更に「乞食者」と称し、「零落した神」と考えていました。

歳末、初春、年越しには、めでたい言葉を触れて廻り

金品を貰う人たちが徘徊していた時代がありました。

 

正月がナゼめでたいのかは、冒頭の野球小僧レポートに纏められています。

なお、表紙にあしらいました浦江八坂神社には、

「難波津に咲くや木の花冬ごもり 今を春ベと 咲くや木の花」の歌を

詠んだと伝わる王仁博士を祀る王仁神社が末社として鎮座します。

以上が、2025年12月6日(土)第23回「福っくらトーク」の報告です。

 

究会代表

新いちょう大学校講師 田野 登

今週の≪暮らしの古典≫156話は「明けの春」とします。

ここしばらくは、折口を終えて「春」について考えます。

拙著『水都大阪の民俗誌』和泉書院2007年から

宮本又次「生い立ちの記」を引きます。

いきなり「春」が出てきます。

 

◆十日戎は、商家の子供にとっては、

 初春の楽しみの一つでもあった。

 「十日戎は午後三時頃に店をしめて、早仕舞になる。

 父につれられて、

 『えべっさん』におまいりした。

 父と母とが一緒になって外出することは

 あの頃はめったになかった。

 世間体がうるさいといった。(中略)

 『エベッサン』では竹の梯子や鳶口をかってもらった。

 お多福(おたやん)の飴や金太さんの飴、ねじあめもかった。

 宝恵かごの出るのを追っかけて見たりもした」とある。…

 

「十日戎は…初春の楽しみの一つ」とあります。

十日戎の頃、1月10日前後となれば夜明けが一年で一番、

夜明けが遅い時季です。

その時節に「春」を据える「初春」とは?

お正月気分の残る時季なのですよね。

 

気象庁の気象庁の「季節を表わす用語」に当りました。

https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/toki.html

「時に関する用語」の「季節を表わす用語」の説明に

「春 3月から5月までの期間」とあります。

1月は「12月から2月までの期間」で「冬」です。

 

「初春」の「春」を言葉の問題として考えてみました。

語末に「春」の付く単語を引くには、

*『逆引き広辞苑』が重宝です。

『逆引き広辞苑』1992年、岩波書店「はじめに」には、

次の記述があります。

◆本書では、『広辞苑第四版』の全項目の見出し・表記形の

 逆順排列とは別に、

 日本語の語構成の上で重要な語末要素を

 約六千*(6000)選定し、

 それぞれについて、

 その語末を共通にする語群を囲み記事として一覧表示した。

 日本語の単語は、

 語の末尾部分が品詞を規定するばかりでなく、

 意味内容の中枢部として働くことが多い。…

 

日本語の単語では、先ず語末に着目することです。

「語の末尾部分が…意味内容の中枢部」とあります。

「初春」の「春」に当りました。

「るは」を繰ります。

20項目ヒットしました。

◆明けの-/梅にも-/梅の-/老いの-/暮れの-/

 今朝の-/心の-/小-/竹の-/常(とこ)春/

 仲の-/初-/花の-/プラハの-/水の-/

 三(み)春-/行く―/宵の-/来(らい)-/

 我が世の-

 

「初-」は「初春」です。

『広辞苑 第七版』 ©2018 株式会社岩波書店では、次の記述があります。

◆春のはじめ。新春。新年。〈[季] 新年 〉。

万葉集(20)「―の初子の今日の玉箒(はばき)」

 

この場合の「初春」は「春のはじめ」というよりは「新春。新年」です。

写真図 年賀状図案の「初春」

春の初めに咲く梅の花が添えられています。

「初春」という言葉には、来るべき「春」を

あらかじめ祝すという予祝の意味が込められています。

この「初春」という言葉は、

今回のタイトルの「明けの-」にも見えます。

◆あけ‐の‐はる【明けの春】

初春。年のはじめ。〈[季] 新年 〉…

 

「新年」正月一日なら、これから二十四節気の「小寒」を控えて

寒暖を感知する肌感覚の「春」ではありません。

とはいえ、「年のはじめ」は、日没時刻が遅くなり始め、

春を感じることもあります。

「国立天文台 > 暦計算室 > 各地のこよみ > 大阪(大阪府) >」で

今年から来年にかけての日没時刻を確かめました。

https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/dni/2025/s2812.html

 2025年12月10日、11日

 10…16:47…

 この日が日没の「底」から転じる時です。

 2026年1月10日

 10…17:05…

 

十日戎の1月10日は、日没の「底」から18分も遅くなっていますので、

「初春」の光に「春」を感じることも宜なくもありません。

 

もう一度「るは(春)」を見わたします。

「水の春」なんぞ季語です。

「水がなまぬるく春らしくなること。〈[季] 春 〉」とあります。

厳しい冬から抜け出して心も和みます。

いま少し、「春」の時季に拘りますと

「明けの春」に対しては「明けの春」があります。

「行く春」は「暮れてゆく春。過ぎてゆく春。晩春」とあります。

「晩春」となれば「老いの春」にも挙げられていますが、少し意味深長です。

第一義は「老後の春」です。

「老いらくの恋」でもなさりそうです。

「春」は気分の問題です。

「小春」はほっこりとした女性を想像しますが、

「小春日和」の「小春」です。

「(暖かで春に似ているからいう)陰暦10月の異称。〈[季] 冬 〉」とあります。

「心の春」には「春のように陽気でのどかな心」ともあります。

 

豪放なのは「我が世の春」です。

「時流に乗って、何でも思いのままにできる得意の時期。

絶頂の時期」とあります。

平安時代の貴族の傲慢を「春」に譬えているようで

めでたい「春」もげんなりします。

次回は今回の「春(はる)」でカバーし切れなかった「春」が

「春(しゅん)」には見えます。

春には色気がありますよね。

 

究会代表

新いちょう大学校講師 田野 登

前回、折口信夫から「茂吉への手紙」の第15段冒頭に

「わたしは都会人で…野性を深く遺伝してゐる大阪人」とあるのを承けて

前回の結びに次のとおり記述しました。

◆次回は「大阪人・折口信夫」を俎上に載せます。

「大阪人が都会文芸を作り上げる可能性を持っている」に応えたか否かはともかく、

ある評者から「大阪人」と称された作者による

登場人物の大阪人ぶり」と照らすことにします。

この「評者」とは、フランス文学者で評論家の多田道太郎です。

織田作之助』(ちくま日本文学全集)1993年の巻末に

「オダサクはんのめでたいユーレイ」には、

「オダサクは大阪人…近松の伝統といえばいえなくもない根性を見る」とあります。

多田道太郎にあって「大阪人」は、織田作之助となります。

今回、そのオダサク『夫婦善哉』の作中人物「蝶子」「柳吉」に「大阪人ぶり」を探り、

折口の「大阪人」と照らすことにしました。

写真図 「夫婦善哉」じょなさんのイラスト

今更ながら折口の云う「大阪人」を検証しようとするのでしょう。

端緒は「江戸の通に対して、大阪はあまりやぼ過ぎる様」なる記述にあります。

≪暮らしの古典≫152話≪トッテラチンチン≫に『近世風俗志(守貞謾稿)二』巻之十

(女扮上) から次の箇所を引用しました。

   ↓アクセス

https://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12946269790.html

◆また今世、江戸婦女の卑なれども野ならざる

 婀娜(その人をあだものと云ふ)と云ひ、これに反すを不意気

 あるいは野暮(やぼ、野夫の訛か)、京坂にては不粋と云ふ。

 

京坂におきましては、「不粋」はあっても「野暮」とは謂わないようです。

折口の云う「大阪はあまりやぼ過ぎる様」には、やっぱり違和感があります。

因みに『夫婦善哉』には「やぼ」「野暮」は検出されませんでした。

『夫婦善哉』から「不粋」「粋」を探ります。

「不粋」から始めます。

ア) 不粋な客から、芸者になったのはよくよくの訳があってのことやろ、…

イ) おきまりの会費で存分愉しむ肚の不粋な客を相手に、息のつく間もないほど弾かされ歌わされ、浪花節なにわぶしの三味から声色こわいろの合の手まで勤めてくたくたになっているところを、安来節を踊おどらされた。

ウ) が、間もなく蝶子は先刻の芸者達を名指しで呼んだ。自分ももと芸者であったからには、不粋なことで人気商売の芸者にケチをつけたくないと、そんな思いやりとも虚栄心とも分らぬ心が辛じて出た。自分への残酷めいた快感もあった。

 

ア)、イ)は芸者であった時代の蝶子に向けての「不粋な客」による遊興時での

気の利かない言動です。

ウ)は蝶子自らの雇用する芸者たちに向かって名指しで呼び、

客たちに遊興の場を白けさせた言動です。

「不粋」とあるのは、何れも遊里の事情に通じない言動であります。

これに対しての「粋」や如何?

 

エ)柳吉は白い料理着に高下駄という粋な恰好で、ときどき銭函を覗いた。

オ)名前は相変らずの「蝶柳」の上にサロンをつけて「サロン蝶柳」とし、蓄音器は新内、端唄など粋向きなのを掛け、女給はすべて日本髪か地味なハイカラの娘ばかりで、下手に洋装した女や髪の縮ちぢれた女などは置かなかった。

カ)蝶子も客の手前、粋をきかして笑っていたが、泊って来たりすれば、やはり折檻の手はゆるめなかった。

 

エ)にはルビ「いき」が振られ、柳吉の服装を「白い料理着に高下駄」を「粋な恰好」と

表現しています。

『広辞苑 第七版』 ©2018 株式会社岩波書店の「いき【粋】」に次の記述があります。

◆(「意気」から転じた語)

①気持や身なりのさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気をもっていること

小説『夫婦善哉』に珍しく柳吉の晴れやかな恰好を、蝶子の眼差しと重ねて描写しています。

オ) の「粋向き」は、遊里に精通した趣味の傾向を指します。

カ)は、客の手前、遊興の雰囲気に相応しく振舞っていた蝶子が一転、

柳吉の件の浮気癖を嗅ぎつけて怒髪天を衝く場面であります。

そういった蝶子に「粋」を感じさせるのが次の描写であります。

キ)朝の間、蝶子は廓の中へはいって行き軒ごとに西瓜を売ってまわった。

「うまい西瓜だっせ」と言う声が吃驚するほど綺麗なのと、笑う顔が愛嬌があり、

しかも気性が粋でさっぱりしているのとがたまらぬと、娼妓達がひいきにしてくれた。

 

蝶子の売り声の綺麗さ、顔の愛嬌、それに気性の「粋でさっぱりしている」のを

挙げています。

蝶子は自ら芸者になり、ふしだらな柳吉に連れ添う中で、ヤトナ「雇仲居」への

転落、「サロン蝶柳」開店などなど浮沈を繰り返しながら、

ミナミ界隈を流離う一人の「大阪人」に見られる嗜みを

「やぼすぎる」とは、云い兼ねます。

「手紙」で斎藤茂吉に向かって

「わたしは都会人です。

併し、野性を深く遺伝してゐる大阪人であります。

其上、純大和人の血も通ひ、微かながら頑固な国学者の伝統を引いてゐます」と

名乗ったのは折口信夫です。

幼少期に大阪市中及び郊外に様々な人たちを見た「大阪人・折口信夫」です。

その後、大阪を発ち東京で学び住んだ折口です。

彼の「大阪人」への眼差しと感性だけで言い尽くされるものではありません。

東京住まいによる感性が被さっていると思われます。

 

「茂吉への手紙」の初出は1918(大正7)年6月、折口30歳の時です。

折口17歳で上京して13年が経ちます。

大阪人・折口信夫」の感性に揺らぎがあっても不思議はありません。

本論考は歌人間の18段落から成る私的な遣り取りの第9段にのみ見える

「野性的都会人」と理解される「大阪人気質」を対象に論究しました。

「○○人気質」は古今東西、しばしば取り上げられてきた話題です。

今回は折口の茂吉に向けての書簡の一段落の言説を取り上げました。

今日、公開されているものの「私信」であります。

そこには、折口と茂吉との関係性が反映していました。

バイアスのかかった「私情」を読み解くことによって「○○人気質」を

論究したことになります。

≪暮らしの古典≫では、152話から4回に亙っての連載でした。

12月16日の新いちょう大学校での講義では「大阪人・折口信夫」に「論」を

付けて話すことにします。

「大阪人」も「京のお人」も「江戸っ子」も多様であることは言わずもがなです。

 

究会代表 

新いちょう大学校講師 田野 登