今回のタイトル「謡坂」は東海道の諸国にある「ウタウ坂」であります。
前回、「「南国土佐」の近世は、
拙著『水都大阪の民俗誌』2007年、和泉書院において
取り上げた世界と糊代がありそうです。
次回は『南路志』の書誌紹介から始めます」と予告しました。
櫻井徳太郎『民間信仰の研究 下』に取り上げた『南路志』とは如何なる書物でしょう。
フィールドの『南路志』について*『南路志』「解説」の冒頭に次の記述があります。
*『南路志』:『南路志上巻』闔国之部、横川末吉「解説」
高知県文教協会、1959年、国立国会図書館所蔵
◆序/文化10年(1813)武藤致和父子*(子・平道)の編纂した南路志120巻のうち、
闔国之部(内土佐国七部の事蹟)はこのたび高知県文教協会によって、
南路志上下2巻として出版されることとなった。
此の書は文化10(1813)年武藤致和父子が編纂した土佐国七部の事蹟の記録で、
「闔国」の「闔」の字音は「コウ」で、土佐国じゅう残らず載せた書となります。
「凡例」には次の記述があります。
写真図1 南路志凡例 巻1巻2 国立公文書館所蔵デジタルアーカイブ

◆(上略)闔国にハ凡古書に出せる本国にかゝる事蹟をさくりて各門をわかち抄出す。
四国南海道・土佐或ハ国造・国司・配流の類也。
又七部の村々を記して神社・仏閣・名所・旧蹟をはじめ、
或ハ古人の由縁又は古文書其他産物・奇談・詩歌・人物等に至る。
本ブログでは「野神」関連の語彙を探索しますので、「旧蹟」を浚えることになります。
このような体裁の『南路志』について横川末吉「解説」に次のとおり記述しています。
◆憶測を許されるなれば事実の尊重からきたのではあるまいか。
たしかに武藤氏の学問には前述のように
厖大な古実の蒐集のなかに埋没した封建的知識人の成果の一面はある。
しかしながら他の一面には
近世的合理主義より成長した実証主義的見解を強く表している。
「近世的合理主義より成長した実証主義的見解」と
時代による制約を認めつつも「実証主義的見解」を高く評価しております。
以下、*『南路志』より「野神」および関連語彙を含む記事47項目を対象に推論します。
本ブログでは「野神関連語彙」として『南路志』見出し語のうち、
「野」を冠する語であって、民俗宗教との関連が認められる語彙とします。
*『南路志』:『南路志上巻』闔国之部、高知県文教協会、1959年、国立国会図書館所蔵
「野の神」「野々神」「野宮」「野々宮」「野守」が「野神関連語彙」です。
以下、「野神類」と表記します。
今回は「野神類」の祭祀場所を探りました。
小字名𦳝を糸口に地形を推測し、まず微高地を探ります。
「-山」は以下の3件に見えます。
① 野ノ神[岡山]同/社記云野宮共云少之林を牛馬神と奉崇
:第9之2「安芸郡中」「元村」野神[高田]:第9之2「安芸郡中」「田野村」
③野神[大野山赤井]社地四歩:第9之2「安芸郡中」「田野村」
㊳野神[茶山牛馬率先掛祭来]祭礼七月七日:第10之1「香美郡上」「須留田村」
㊸野々神[野塚]当村窪氏扣山ニ五輪有之牛馬を祭:第6之1「長岡郡春」「片山村」
≪㊸野々神≫は山に塚が築かれ、五輪塔が信仰の対象として祀られていました。
「-岡」は以下の3件です。
④同*(野神)[土生岡]:第9之2「安芸郡中」「田野村」
⑩同*(野神)[安田岡]同*(祭礼)五月五日/九月九日
:第9之3「安芸郡下」「伊尾木村」
⑮野神 同[*(井口ノ岡)耕作牛馬祭神]同(*祭礼)九月九日
「-野」は以下の2件です。
⑭野神 同上津野:第9之3「安芸郡下」「井口村」
㊺野神[小野]十六屋敷:第6之2「長岡郡夏」「大埇村」
「林」も見えます。
㊽野神[野神]林十間四方:第6之3「長岡郡」「久礼田村」
「-ホキ」が見えます。
⑦野神[東ホキ]牛馬守護神 同*(祭礼)五月五日/九月九日
:第9之2「安芸郡中」「馬路村」
此の「ホキ」は『広辞苑 第七版』2018年、岩波書店に、
「山腹のけわしい所」とあります。
此処の「野神」が祀られているのは崖っ淵でした。
「-谷」がみえます。
⑥野神[市カ谷]同*(祭礼)九月九日:第9之2「安芸郡中」「西嶋村」
この「市カ谷」は『高知県の地名』「布村」によりますと、
布村の中心は河口海浜に形成された集落であって、
「市が谷」は自然堤防上に位置していたと読み取られます。
此の地名「-谷」も微高地でありました。
「ウト-」が見えます。
㉛㉜野神[ウトノ口無神体大松一本を祭]同*(祭礼)九月十五日
:第10之1「香美郡上」「夜須村」
「ウト」につきましては*柳田国男に記述があります。
*柳田国男:『定本柳田國男集』第4巻、1963年、筑摩書房、
初出1910年6月『遠野物語』聚精堂、九三
◆ウトとは両側高く切込みたる路のことなり。
東海道の諸国にてウタウ坂謡坂などいふは
すべて此の如き小さき切通しのことならん。
タイトルの「謡坂」が出ました。
「ウタウ坂」というのは「ウト」「切り通し」の洒落言葉であって、これまた山間です。
低湿地や如何?水辺に目を転じます。
「-島」「-川ノ上」「淵ノ本」「-井」が見えます。
⑲同*(野神)[西ノ島]無社:第9之3「安芸郡下」「川北村」
⑧同*(野神)同*[穴川ノ上]御神躰石 同*(祭礼)五月五日/九月九日
:第9之3「安芸郡下」「伊尾木村」
㉖野神[淵ノ本]祭日ナシ:第9之3「安芸郡下」「入河内村」
㊵野神[下井]:第10之1「香美郡上」「深淵村」
≪⑲同*(野神)[西ノ島]のある「川北村」について『高知県の地名』「安芸市」に
次の記述があります。
◆川北村 現行行政地名 安芸市川北
安芸川と伊尾木川に挟まれた沖積平野北部に位置する。
写真図2 沖積平野イメージ画像
河川の両側に見えるのは自然堤防

次に「-田」「-畝」に目を凝らします。
②野神[高田]:第9之2「安芸郡中」「田野村」
㊼野々神[西野田]祭礼五月十五日別当瑞松寺社床拾代四歩社地九代弐歩
地分牛馬祭場此所ニ而野々神祭候由:第6之2「長岡郡夏」「野田村
⑰同*(野神)クホタ神体石社地ハ昔ハ弐丁斗艮ノ方ニ有
:第9之3「安芸郡下」「川北村」
㉟野神[中竹ノ上畝]同*(祭礼)五九月九日:第10之1「香美郡上」「中西川村」
≪⑰同*(野神)クホタ…昔ハ弐丁斗艮ノ方ニ有≫の「昔」は
『高知県の地名』「安芸市」から読み解くことができます。
◆旧安芸郡の西部を占め、南は土佐湾に面し、
安芸川・伊尾木川二河川によって形成された安芸平野を中心に、
その周辺部の広い山地からなる。
宝永4年(1707)10月4日、大地震による津波で安喜浜村の半分がつぶれまた流れ、
川北村久保田・松田島村まで津波が押し寄せた。
「川北村久保田・松田島村まで津波が押し寄せた」とありますので、
往時、上流の北東に位置していた社地の移動は宝永津波によるものと推測されます。
次回は、祭祀地がマチバ、神社仏閣にあった事例を取り上げることから始めます。
大阪民俗学研究会代表 田野 登