2026年2月4日(水)、立春の朝を迎えました。
昨夕は「宝船」を戴きに大阪市大正区を歩きました。
その前に東大阪市稲田桃ゆかりの場所を訪ねた折、
念願の幸福堂で「おかげもなか」を年寄夫婦二人のお茶うけにと買い求めたのを
朝食後、口にすることにしました。
写真図1 幸福堂「おかげもなか」
まぁ餡で丸々太った最中です。
甘さは適度です。
昔、伊勢参宮の道筋だったとかで、
稲田桃ゆかりの店舗の銘菓であります。
道端に咲く桃の花に元気を貰って東に旅したのでしょう。
今回、2度目の「稲田桃行脚」は、2月1日(日)午後、
荒本の図書館で調べ物をしての後、
旧楠根川跡を辿って楠根・稲田に入ることにしました。
図書館を出て、楠根リージョンセンターに電話しますと
稲田桃に関する資料を預かっていますとのこと。
まぁ天気も良いことですし、遠回りして行きますとお返事をしました。
図書館前のフランス系の大型スーパー・カルフール跡は、
モノレール駅になるとかで、広大な空地のままです。
写真図2 旧楠根川跡
この跡地を南東から北西にかけての斜めに走る土地が旧楠根川跡です。
図書館を北に歩き北西に向きますとモノレールの橋脚だけが出来ています。
開通すれば、南北の移動に不便な東大阪市にとっては少しは助かります。
機嫌よう道なりに行き交差点まで来て、北側のコースを取りました。
楠根東歩道橋を遠く南に見た時、これは川跡から外れたと思いました。
致し方なく、どんどん西に向けて歩きました。
気が付けば、楠根を過ぎて稲田です。
道を訊ねましたところ、ほんそこは観音寺さんとのこと。
観音禅寺なら、種が交雑しているもの、稲田桃の名所と聴きました。
今回は、アポなしですので網越しに楼門を撮りました。
写真図3 観音禅寺楼門
どっしりとしていて禅寺の風格があります。
まるで浦島が潜った異界への門です。
通用門と思しき門には「桃源門」の扁額が掛かっています
石柱には「大阪府文化財指定 桃霞の鐘」とも刻まれています。
アポをとっておればの思いを残しつつ、南に行きますと
大銀杏で有名な稲田八幡社まで出ていました。
こうなれば、桃の若木が植わっている旧楠根川跡までと思い、
楠根小学校前まで出ました。
写真図4 東大阪市立楠根小学校前
旧楠根川跡の袂にピンク色の花が咲いています。
色は濃く花弁がぼってりしていて、それは梅の花でした。
梅の花なら稲田のお屋敷にも見えました。
前回1月6日の腰痛に苦しみながら、まさに艱難辛苦の行脚から
ひと月ばかりの間に季節は確実に進んでいるようです。
道なりに東に向けて行きますと中学校があり、
楠根、稲田、徳庵を繋ぐ「二車線道路」に出ました。
「二車線道路」は、このあたりでは「大きな道路」と何人から聞いた道路です。
前方(南)に、あのアールの掛ったユニークな
「桃の広場」の建物らしきものが見えています。
やっぱりそうでした。
写真図5 楠根リージョンセンター
バスで帰るつもりでいたものですから
言付物を受け取り、礼を申し、あたふたとセンターを出ました。
停留所でダイヤを見直してみて、日曜日には便がないことを知りました。
「勿怪の幸い」とはこのことです。
一本しかない二車線道路を北に、JR徳庵駅方面に歩けば、
きっと桃の銘菓のお店、この辺りでは「餅屋さん」に行ける。
腰は、前回と違って、コルセット無しでも大丈夫です。
先ほど歩いた道を逆に歩きました。
ボクは逆戻りすることを厭いません。
それまでと違うモノを見て、違うことに気づくからです。
大阪バスの一駅北は「稲田楠根」でした。
西側の学校は「東大阪市立楠根中学校」でした。
それにしましても近鉄バスの時代の「桃江橋」やら「鷺島橋」や如何?
地形が変わっても残されていた停留所の名が異なるバス会社の路線となって、
消えて行ったのでしょうか?
「桃江橋」の「桃」が消えて寂しいと思うのは、
偶さかのよそ者の意識であって、
生活者にとっては、そのような情報は役に立たないものなのでしょう。
そうこうしているうちに桃の銘菓のお店「幸福堂」を見つけました。
今では「福のもゝ」「おかげもなか」を看板に挙げています。
写真図6 「福のもゝ」幸福堂
ボクは、何処に行っても旅人気分です。
かつての名産「桃」を知り、かつての「伊勢参り」を知ります。
ご主人から、暫く聴き込んで店を発ちました。
銘菓「福のもゝ」については、原稿を書く段になって電話で訊ねました。
金のホイルに包んで300度で焼き、白餡が入っているとのこと。
桃の実の形をした焼き菓子です。
名産の桃に幸福を託した「金ピカ」の銘菓を口にし、
縁起を担ぎたいものです。
「稲田桃行脚」の続篇は以上です。
また発見でもあれば稿を重ねます。
大阪民俗学研究会代表 田野 登









