こんにちは。学習アドバイザーの佐藤正治です(^^)
私が子供の頃、観光地に行くと時々コンピュータを使った占いがありました。
大体は星占いかバイオリズムを使った占いだったように記憶しています。
バイオリズムというのは生理状況や知性などの調子が一定周期ごとに変化するものを波状のグラフで表したものです。
それなりの値段だったので実際にやったことはないのですが、バイオリズムの波線がドットインパクトプリンタで印刷されていたのは、いかにもコンピュータっぽく格好良く思えて気になっていました。
実際問題として、単純に生年月日からきちんと周期が決まるとは思いませんが、誰でも調子のいい時悪い時というのはあるでしょう。
例えば、一日のうちで朝起きてから1時間くらいした時はとても集中して勉強できるが昼食後はとても眠くなってしまうとか、一週間のうちで水曜日が一番調子が良くて、月曜日が一番調子が悪いといったものです。
勉強をする上でも、この調子の変化をしっかりと把握しておくことは役に立ちます。
勉強のスケジュールを決める時に、苦手な科目は調子のいい時にするようにすれば効率が上がりますし、調子が悪い時でも好きな科目、得意な科目であれば大きく影響を与えないで済みます。それでもダメなら、休憩のための時間にしてしまえばいいのです。
但し、この調子の変化を活かすには二つ条件があります。
一つは規則正しい生活をしていること。
不規則な生活をしていたのでは、身体の調子もそのたびに狂ってしまいます。
特に人は朝起きる時間を一定にしないと調子を崩しやすいようです。
ですから、出来る限り早い内から試験本番に併せて朝型の生活をするようにしていくことが大切になってきます。
もう一つは記録を付けることです。
自分の調子の変化のパターンを知るためには、いつどのように感じているのかが分からなければなりません。
そのために、簡単なものでよいので日記を付けるのが有効な手段です。
1,2ヶ月日記を付け続けると段々と調子の一日の、一週間の変化が見えてきます。
そうすることで自分の調子の変化に合わせた勉強のスケジュールを決めることができるようになります。
また、一緒に調子がいい時の状況も分かる範囲で書いておくと、調子が悪い時の役に立ちます。
一定の変化のパターン以外にも、調子を変化させるものはあります。
自分の調子を良くするものが分かっていれば、調子が悪い時に調子がよい時と同じようにすれば、調子が良くなる可能性が高まります。
こう言うことが積み重なっていくと、自分なりの「自分操縦マニュアル」ができあがっていきます。
あまり気張りすぎると、却って長続きしませんから、軽い気持ちで少しずつかきためていってみてください。
「自分操縦マニュアル」ができあがると、うまく調子の変化をコントロールできるようになりますよ(^^)
こんにちは。学習アドバイザーの佐藤正治です(^^)
先日、電車に乗ったところ、車内のテレビで怪談牡丹灯籠のあらすじを流していました。
日本ではぞっとする話を聴いて、涼をとる習慣があることから、幽霊と言えば夏の風物詩になっています。(ちなみにイギリスでは冬の風物詩だそうです)
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』なんていう川柳もありますね。
怖い怖いと思っていると、枯れたススキ(尾花)も幽霊というものですね。
また、昔のことはよく分からない不思議な出来事は妖怪の仕業だと考え、怖れていました
人はよく分からないものには不安を持ちやすく、一旦不安を持つと、放っておけばどんどんその不安が大きくなりがちなものです。
目標を掲げたはいいものの、
「自分に本当にできるのだろうか?」
「こんな目標絶対無理に決まっている」
などと思うのはこのためです。
不安を解消する第一歩は不安を感じるものの正体を知ることです。
目標を達成できるかどうかと不安になるのは、その達成に至る道筋がはっきりと見えないからです。
例えば「○○高校、合格!」という目標を掲げたとしても、合格するために何をすればよいのかが分からなければ、不安になります。
そこで、まずは何をどの程度やれば、合格できるのかを調べてみるのです。
学校や塾の先生に相談すれば、どのような教材をつかって、どの程度まで勉強すればよいのかが分かってくると思います。
やるべきことが分かったら、次は目標を細分化します。
例えば、合格するためには○○という200ページの問題集を完全に解けるようになる必要があるとします。
そのためには最低4回は繰り返す必要があるとしたら、期限までに800ページ学習する必要があるわけです。
このままだと、量の多さに不安に思うことも多いでしょう。
そこで、これを一日あたりの分量に直すのです。
例えば4ヶ月でやり終えるとするなら、一日あたりは7ページになります。
こうすると「今」何をするべきかが明確になります。
後はやるべきことをクリアしていけば、不安はなくなっていきます。
目標が達成できるかどうか不安な原因は、やるべきことがよく分からず、どうしたらそれが達成できるのかが分からないことです。
やるべきことを明確にして、それを実行することで、不安をなくし、やる気をアップさせてください(^^)
先日、電車に乗ったところ、車内のテレビで怪談牡丹灯籠のあらすじを流していました。
日本ではぞっとする話を聴いて、涼をとる習慣があることから、幽霊と言えば夏の風物詩になっています。(ちなみにイギリスでは冬の風物詩だそうです)
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』なんていう川柳もありますね。
怖い怖いと思っていると、枯れたススキ(尾花)も幽霊というものですね。
また、昔のことはよく分からない不思議な出来事は妖怪の仕業だと考え、怖れていました
人はよく分からないものには不安を持ちやすく、一旦不安を持つと、放っておけばどんどんその不安が大きくなりがちなものです。
目標を掲げたはいいものの、
「自分に本当にできるのだろうか?」
「こんな目標絶対無理に決まっている」
などと思うのはこのためです。
不安を解消する第一歩は不安を感じるものの正体を知ることです。
目標を達成できるかどうかと不安になるのは、その達成に至る道筋がはっきりと見えないからです。
例えば「○○高校、合格!」という目標を掲げたとしても、合格するために何をすればよいのかが分からなければ、不安になります。
そこで、まずは何をどの程度やれば、合格できるのかを調べてみるのです。
学校や塾の先生に相談すれば、どのような教材をつかって、どの程度まで勉強すればよいのかが分かってくると思います。
やるべきことが分かったら、次は目標を細分化します。
例えば、合格するためには○○という200ページの問題集を完全に解けるようになる必要があるとします。
そのためには最低4回は繰り返す必要があるとしたら、期限までに800ページ学習する必要があるわけです。
このままだと、量の多さに不安に思うことも多いでしょう。
そこで、これを一日あたりの分量に直すのです。
例えば4ヶ月でやり終えるとするなら、一日あたりは7ページになります。
こうすると「今」何をするべきかが明確になります。
後はやるべきことをクリアしていけば、不安はなくなっていきます。
目標が達成できるかどうか不安な原因は、やるべきことがよく分からず、どうしたらそれが達成できるのかが分からないことです。
やるべきことを明確にして、それを実行することで、不安をなくし、やる気をアップさせてください(^^)
こんにちは。学習アドバイザーの佐藤正治です(^^)
今日は終戦記念日でしたね。
毎年、八月に入ると今日までテレビでも戦争に関する番組がいくつも放映されます。
そういう番組を見ていると、色々大変なことはあっても、今の自分の状況が恵まれていることを感じます。
それにちなんでというわけでもないですが、ちょっと「なぜ学校の勉強をしなければならないのか」について話したいと思います。
勉強すること自体は面白いことだと私は思います。ただそれは自分の興味対象と重なったり、自分のしたいことに直結している場合に限られると思います。
私自身、自分の興味のある科目については進んで勉強しましたが、興味のない科目については勉強することは苦痛でした(^_^;
でも、興味などというのはちょっとしたことでころっと変わります。
私自身、2度ほどそういう経験があります。
一つ目は大学時代。
大学に入るまで自分は文系でしたが、経済を勉強しようなどという考えは全くありませんでした。
とにかく数学が嫌いだったからです。
ですから、大学を受験するときも経済学部は一切受けませんでした。
けれども、たまたま受講した教養科目の経済学の授業を受けて、すっかり経済学というものが面白く感じられるようになりました。
その結果、大学時代取った授業を見ると経済学系が一番多かったという入学前にはまったく考えられなかったような結果になりました。
もう一つは塾に転職したとき。
数学がとにかく苦手なのはその時も変わっていませんでした。
それでも中学生の数学の授業をしなければならなくなって、仕方なく数学の勉強を始めました(^_^;
最初は本当に嫌々やっていました。
何せ私の数学嫌いは中学時代からだったので、中学生の数学自体、よく分かっていないところがありました(^_^;
けれども、やっているうちに段々と数学のパズルのような面白さを感じられるようになってきました。
まだまだ、数式が美しいという所までは行きませんが、それでも以前に比べると数学に対する興味はずいぶん深まったと思います。
ですから、本当ならば少しでも面白いと思えるところを見つけて、勉強することを面白いと思って欲しいと思っています。
しかし、どうしても面白いと思えないこともあると思います。
それでも私は例え面白いと思えないものであっても頑張って学校の勉強をして欲しいと思います。
それには二つ理由があります。
一つは学び方を学んで欲しいからです。
勉強は大人になってもずっと続きます。
どんな仕事についても、何かしら勉強することは必ずあります。
世の中は常に変化し続けていて、必要とされる事柄は常に変わっていくからです。
もし、まったく求められる事柄がまったく変わらない仕事があるとしたら、それは世の中から必要とされていない仕事なのだと私は思っています。
よく「学校の勉強なんか社会に出たら何の役にも立たない」という人がいます。
それは半分正しく、半分間違っていると思います。
確かに特に中学校以降の勉強が直接仕事に役に立つことはほとんどないと言えるでしょう。
本を読んだだけでは役に立たないこともいくらでもあります。
そういう意味では学校の勉強は役に立たないというのは正しいと言えます。
しかし、学校で学ぶのは英語や数学などの教科そのものだけではありません。
それらを学ぶことで学び方を学んでいるのです。
この学び方というのは一生役に立つ技術です。
仕事で必要になったことを調べたり、その知識を覚えたりといったことを効率よくできるようになるからです。
勉強には実際に体験を通して学ぶことも、書物などから学ぶこともあります。
学校の勉強は役に立たないという人は実際に体験を通して学ぶことを偏重している人と言えるかもしれません。
けれども書物などから学ぶことによって、足りない経験を補ったり、自分の体験をより深く理解することができるようになります。
実際には両方の勉強が必要なのです。
ですから効率よく書物から学ぶ技術を身につけることは、体験から得られる学びもより深くすることに繋がるのです。
ですから、勉強をするとき、どうやったらこの科目を効率よく学ぶことが出来るのかと考えながら勉強することは一生役に立つ技術を身につけることに繋がるのです。
そのために学校の勉強をおろそかにして欲しくないのです。
もう一つは自分自身を守るためです。
世の中には知らないと損するということは無数にあります。
例えば私は以前会計事務所に勤めていたのですが、税金に関する法律を知っているだけで場合によっては数百万円、数千万円、税金の金額が違ったりすることがありました。
法律関係でもいくらでもあるでしょう。場合によっては知らずに犯罪を犯してしまうかもしれません.その結果、最悪人生を棒に振ることがあるかもしれません。
あるいはそんな専門知識でなくても、知らないだけで命に関わることがあります。
先日も代替医療のみに頼った結果、赤ちゃんが死亡するという事件がありました。
代替医療全てを否定する気はありませんが、盲信した結果命に関わることがあります。
あるいは科学的に怪しい代物に生活に影響出るほどお金をつぎ込んでしまうという話も珍しくありません。
効果があれば儲けものくらいで済ませられればいいですが、盲信することで生活を傾かせては大問題です。
別に高度な知識がなくても、中学までで身につけるような常識的な知識と物事の考え方を身につけていれば、避けられることもたくさんあります。
世の中にあるそんな命や生活を危険にさらすようなものから身を守るためにも、最低限の知識が必要なのです。
そのためにも学校で学んだ知識というのは役に立つことがたくさんあります。
また、これは気をつけないと身につけられませんが、学校は考える力を身につけるところでもあります。
私自身、時々ハッとするのですが、考えることを止めてしまっていることがあります。
テレビや新聞や他人の意見を鵜呑みにしてしまっていると言うことです。
考えるということはとても面倒なことです。
ですから、ちょっと気を抜くと考えることをやめてしまいかねないのです。
先日、ある社長さんから「最近は幸か不幸か、あまり考えない人が増えているから、端的な広告を出すとよく売れる」と言うような話を伺いました。
歴史を学ぶと、考えないで他人の意見に流され続けるとどうなるかという例をいくつも知ることが出来ます。
数学や理科を学べば、おかしな理屈で説明されているものを見分けることが出来ます。
英語や国語を学べば、世の中にあふれている情報を適切に自分の物にすることが出来ます。
学ぶこと考えることで自身の身を守れるようになって欲しいのです。
本来勉強することは楽しいことだと思います。
そして、効果を上げるためにも少しでも楽しい所を見つけて欲しいと思います。
それでも、学び方を身につけて、自分の身を守るために、嫌な勉強もして欲しいと思っています。
今日は終戦記念日でしたね。
毎年、八月に入ると今日までテレビでも戦争に関する番組がいくつも放映されます。
そういう番組を見ていると、色々大変なことはあっても、今の自分の状況が恵まれていることを感じます。
それにちなんでというわけでもないですが、ちょっと「なぜ学校の勉強をしなければならないのか」について話したいと思います。
勉強すること自体は面白いことだと私は思います。ただそれは自分の興味対象と重なったり、自分のしたいことに直結している場合に限られると思います。
私自身、自分の興味のある科目については進んで勉強しましたが、興味のない科目については勉強することは苦痛でした(^_^;
でも、興味などというのはちょっとしたことでころっと変わります。
私自身、2度ほどそういう経験があります。
一つ目は大学時代。
大学に入るまで自分は文系でしたが、経済を勉強しようなどという考えは全くありませんでした。
とにかく数学が嫌いだったからです。
ですから、大学を受験するときも経済学部は一切受けませんでした。
けれども、たまたま受講した教養科目の経済学の授業を受けて、すっかり経済学というものが面白く感じられるようになりました。
その結果、大学時代取った授業を見ると経済学系が一番多かったという入学前にはまったく考えられなかったような結果になりました。
もう一つは塾に転職したとき。
数学がとにかく苦手なのはその時も変わっていませんでした。
それでも中学生の数学の授業をしなければならなくなって、仕方なく数学の勉強を始めました(^_^;
最初は本当に嫌々やっていました。
何せ私の数学嫌いは中学時代からだったので、中学生の数学自体、よく分かっていないところがありました(^_^;
けれども、やっているうちに段々と数学のパズルのような面白さを感じられるようになってきました。
まだまだ、数式が美しいという所までは行きませんが、それでも以前に比べると数学に対する興味はずいぶん深まったと思います。
ですから、本当ならば少しでも面白いと思えるところを見つけて、勉強することを面白いと思って欲しいと思っています。
しかし、どうしても面白いと思えないこともあると思います。
それでも私は例え面白いと思えないものであっても頑張って学校の勉強をして欲しいと思います。
それには二つ理由があります。
一つは学び方を学んで欲しいからです。
勉強は大人になってもずっと続きます。
どんな仕事についても、何かしら勉強することは必ずあります。
世の中は常に変化し続けていて、必要とされる事柄は常に変わっていくからです。
もし、まったく求められる事柄がまったく変わらない仕事があるとしたら、それは世の中から必要とされていない仕事なのだと私は思っています。
よく「学校の勉強なんか社会に出たら何の役にも立たない」という人がいます。
それは半分正しく、半分間違っていると思います。
確かに特に中学校以降の勉強が直接仕事に役に立つことはほとんどないと言えるでしょう。
本を読んだだけでは役に立たないこともいくらでもあります。
そういう意味では学校の勉強は役に立たないというのは正しいと言えます。
しかし、学校で学ぶのは英語や数学などの教科そのものだけではありません。
それらを学ぶことで学び方を学んでいるのです。
この学び方というのは一生役に立つ技術です。
仕事で必要になったことを調べたり、その知識を覚えたりといったことを効率よくできるようになるからです。
勉強には実際に体験を通して学ぶことも、書物などから学ぶこともあります。
学校の勉強は役に立たないという人は実際に体験を通して学ぶことを偏重している人と言えるかもしれません。
けれども書物などから学ぶことによって、足りない経験を補ったり、自分の体験をより深く理解することができるようになります。
実際には両方の勉強が必要なのです。
ですから効率よく書物から学ぶ技術を身につけることは、体験から得られる学びもより深くすることに繋がるのです。
ですから、勉強をするとき、どうやったらこの科目を効率よく学ぶことが出来るのかと考えながら勉強することは一生役に立つ技術を身につけることに繋がるのです。
そのために学校の勉強をおろそかにして欲しくないのです。
もう一つは自分自身を守るためです。
世の中には知らないと損するということは無数にあります。
例えば私は以前会計事務所に勤めていたのですが、税金に関する法律を知っているだけで場合によっては数百万円、数千万円、税金の金額が違ったりすることがありました。
法律関係でもいくらでもあるでしょう。場合によっては知らずに犯罪を犯してしまうかもしれません.その結果、最悪人生を棒に振ることがあるかもしれません。
あるいはそんな専門知識でなくても、知らないだけで命に関わることがあります。
先日も代替医療のみに頼った結果、赤ちゃんが死亡するという事件がありました。
代替医療全てを否定する気はありませんが、盲信した結果命に関わることがあります。
あるいは科学的に怪しい代物に生活に影響出るほどお金をつぎ込んでしまうという話も珍しくありません。
効果があれば儲けものくらいで済ませられればいいですが、盲信することで生活を傾かせては大問題です。
別に高度な知識がなくても、中学までで身につけるような常識的な知識と物事の考え方を身につけていれば、避けられることもたくさんあります。
世の中にあるそんな命や生活を危険にさらすようなものから身を守るためにも、最低限の知識が必要なのです。
そのためにも学校で学んだ知識というのは役に立つことがたくさんあります。
また、これは気をつけないと身につけられませんが、学校は考える力を身につけるところでもあります。
私自身、時々ハッとするのですが、考えることを止めてしまっていることがあります。
テレビや新聞や他人の意見を鵜呑みにしてしまっていると言うことです。
考えるということはとても面倒なことです。
ですから、ちょっと気を抜くと考えることをやめてしまいかねないのです。
先日、ある社長さんから「最近は幸か不幸か、あまり考えない人が増えているから、端的な広告を出すとよく売れる」と言うような話を伺いました。
歴史を学ぶと、考えないで他人の意見に流され続けるとどうなるかという例をいくつも知ることが出来ます。
数学や理科を学べば、おかしな理屈で説明されているものを見分けることが出来ます。
英語や国語を学べば、世の中にあふれている情報を適切に自分の物にすることが出来ます。
学ぶこと考えることで自身の身を守れるようになって欲しいのです。
本来勉強することは楽しいことだと思います。
そして、効果を上げるためにも少しでも楽しい所を見つけて欲しいと思います。
それでも、学び方を身につけて、自分の身を守るために、嫌な勉強もして欲しいと思っています。