全然知らなかったのですが

高校からの友達の
ご主人さんが

闘病生活を送っていたらしく
 61歳という若さで
亡くなられました

知らせを受けて
仕事を 少し早く終わらせて
お通夜に行きました

私たちは 仲良し5人組で
高校を卒業してから
結婚しても
ずっと交友は続いていたのですが
ここ数年は 便りのないのは良い便りだと
勝手に思い込んで
すっかりご無沙汰していました

そんな中の訃報だったので
本当に青天の霹靂
亡くなられた原因は 癌の転移で
最後の数ヶ月は
緩和ケアに入院していたそうです

良い医師を探して
ありとあらゆる手を尽くしたけど
残念な結果になりました
何でも 1つ
願いが叶うなら何がしたいかと問うと
"会社に行って皆んなに会いたい"と
言いましたと
喪主である友達は
挨拶で話していました

式場の入り口の
メモリアルコーナー
故人の好きだったものが並べられていて
そして 家族写真も

友達に会うことはあっても
ご主人さんとは もう何十年も
会ってないので
記憶の中で
若かった人が
一気に60歳になった遺影に驚き
末期であろう 痩せ衰えて
髪が抜けてなくなった写真にさらに驚く

友達は40代は ご主人さんから
離婚したいと言われたと
悩んでいた時期がありましたが
お孫ちゃんが誕生したとか そんな便りもあり
なんだかんだで
夫婦仲睦まじく暮らしていると
信じていました

闘病生活では 医師から
「次のお正月が最後の正月になります」と
余命宣告されても
家族で支え合い
それから 3回もお正月を迎えられたそうです

山あり谷ありの人生だったと思います
でも最期は 良き伴侶として
お互いが 唯一無二の
存在だったんだと思うと
本当に感動して
胸がいっぱいになりました

 お通夜には 5人組の他のメンバーも
参列していたので

終わってから
葬祭会館のロビーで しばし立ち話

亡くなられたご主人さんの病状の
経緯を知っていた友達から
詳しい話を聞きながら
その短すぎた人生の無念を思うと同時に
そんな中でも
お孫ちゃんを含め
3世代家族の温かい愛情に見守られて
眠るように亡くなられたと聞き
せめてもの救いだったと
胸を撫で下ろしました

人生は儚い
そう思えて
私が「皆んなは元気にしてた❓」と訊くと
なんと 友達の1人は
国の指定難病にかかっていました

だから もう体力的に
旅行には行けないよ〜と
若い頃は 彼女と2人で
よく旅行に行ったし
どこに行っても めちゃくちゃ楽しかったのに
なんという現実よ

もう1人の友達も
ご兄弟さんが病気で車椅子生活になり
80代のお父さんが
その人の世話をしているらしい

もちろん結婚など お慶びのニュースも
聞けましたが
そんな 残念な話も多くて

否が応でも 気づかされました
私は幸せだったんだ

離婚したのは私だけで
どう考えても
ご主人さんに守られている皆んなの方が
幸福度が高いと思うのに
意外とそうとも限らなかった

本当に恥ずかしい話なんですが
私の頭の中は 
週末の天気予報と山登り
考えてみれば 今が人生で一番幸せです

外に出て さらに2時間も立ち話をして
解散したのですが
この日は いろんな気づきを得ました

夫婦愛への感動
改めて友達を愛おしいと思ったこと
そして 自分自身の幸せ

家に帰り 香典返しの
お礼状を読むと
故人の 仕事への情熱と
それを支え続けた友達の想いが綴られていて
"家族を守ってくれてありがとう"
という言葉に
また感動

いつもなら
お礼状は 捨ててしまうのですが
感動を残しておきたくて
そっと引き出しにしまいました