いつになく
考えさせられました
少し接点があった 
ある女の子のことが きっかけです

その子は 
赤い車椅子に乗っていて

その色を見た瞬間
あっ、と察知しました

車椅子生活が長くて
たぶん 
これからも そうなんだと

赤い車椅子 = 個人の物なので
赤い色が
一時的でないことを示していました

その子の年齢は
私の子供と同世代
だから余計に 関心を持ったんだと思います

付き添っている お母さんと
その妹さんとおぼしき お二人は
車椅子の女の子に お茶を飲ませていて

その姿に
妙に 違和感があったのは

その子のアゴに
お茶が 溢れても大丈夫なように
プラスチックの容器が
あてがわれていたから

もう 大きいのに
お茶も1人で飲めないなんて
生まれつき 身体がどこか
不自由なんだな くらいに見ていました

で、その子の事情を知って
愕然としました

4年前に遭った交通事故が原因で
右半身マヒになり

コミュニケーション能力も 完全にゼロになり
意思の疎通が 
全くできない状態になったそうです

世の中には
交通事故が 原因で
こんな状態になる人もいるんだと

久しぶりの衝撃的な話に
心が固まって
その子から しばらく目が外せませんでした

コミュニケーションが取れなくても
その子のお母さんは
頻繁に 話しかけながら

甲斐甲斐しく
身の回りの世話をしていました

その姿には「介護しなければ」
という疲れた雰囲気は 全くなく

むしろ お母さんの方から
その子に関わってあげたいという
意欲的な気持ちが 傍目にも感じ取れました

こんなに丁寧に
お世話してあげるなんて
やっぱり 親だなぁと感心しながらも

同じ年頃の子を持つ親として
その心中は いかばかりだろうと考えると
それは 察するに余りありました

4年前までは
普通に 育っていた子供が

ある日を境に 
こんな状態になってしまうんです

それでも 直後は
子供が 一命を取り留めたことで
家族は
ものすごく喜んだと思います

生きていてくれれば
それだけで 十分だって

状況が落ち着いて
いろんなことが 冷静に見え始めた時
初めて 
現実的な問題にぶつかったと思います

これほど愛情を持って
お世話をしているなら 尚更
親の死後のことも心配していると思います

精神面だけでなく
体力的にも キツいと思います
全く意思の疎通のない相手を
24時間 お世話するって
どれだけ大変なことでしょう

痛みの訴えすらしないと
話していたので それならば

たとえば お腹が痛くても 
どこかに 脚をぶつけて痛くても
訴えがないなら

介護者が 外から見て
憶測で判断するしかありません

お腹が空いても 体調を崩しても
トイレに行きたくても
寒くても 暑くても
どこかが痒くても 苦しくても
何も言ってくれない子供

そんな子供の世話をする日々を
これからも果てしなく 
繰り返していくなんて

そこに どんなに深い愛情があっても
やはり その苦労は 
相当なものだと思います

本来なら 恋愛もし
青春を謳歌している年頃の女の子です

娘さんを持つ親なら
いつか 花嫁さんになって
幸せになってくれる日を夢見て 
育てて来たと思うんです

まさか 
子供の介護をする日が来るなんて
想像もしてなかったでしょう

あまりにも残酷です
現実には こんな事も起きるんですね

もう つくづく思いました

何があっても!

もう 何があっても絶対に
息子たちに
不満を持つのは止めようって

元気で 健康で
暮らしてくれることが
どれほどありがたいことか

普通に暮らす
そんな 人として基本的なことでさえ
こうして叶わなかった子供さんもいるんです

無事に 大きくなってくれることは
当たり前のことではありません

とても感謝すべき
奇跡的なことなんですね

こうして 
何かを失った人を見てしか気づけないなんて
情けない話ですけどね

その女の子は

普通の生活を送れる ありがたみを忘れて
不足なところにばかり
目を向けていた 傲慢な私の

曇った心の窓のワイパーを
動かしてくれたんですね