世界遺産と文化財と観光化にゆれる万田坑 | ■まるごと博物館た~い! NPO法人大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ ブログ

世界遺産と文化財と観光化にゆれる万田坑

たんと0号です。
みなさまにお伝えし、ご一緒に考えていただけないかと思うことがあります。

2月21日の投稿のパンフレットや写真をみてもお分かりのように、昨年の工事開始以来閉鎖されていた万田坑は、4月25日のオープンに向けて、荒尾市によって整備されつつあります。わたしはそれらを静かに見守ってきました。

一昨年から工事が始まり、まずは取り付け道路が整備されました。そして、その道路の途中のオヤ?という場所に「万田坑ステーション」が建設されました。昨年の4月、ステーションはオープンしましたが、その内容は個人的には期待外れのものでした。そして、ステーションの近くを歩くと、我々が事前協議で「出来るだけ景観やかつての万田坑周辺のものを壊さないでつくってください」と要望したにもかかわらず、万田坑旧正門のまん前にあった売店の門柱が破壊されて道路がつくられていました。それから後でわかったのですが、取り付け道路の交差点付近(万田炭鉱館の向かい)は、万田坑の従業員用の社宅の基礎を破壊してつくられていました(ただし、社宅の建物は平成2年頃にすでに会社によって解体されていましたが)。

昨年秋からは、この交差点付近の社宅跡を駐車場として整備しはじめました。確かに万田坑施設は車を止めるスペースに乏しいのですが、社宅跡を駐車場にするのはまずいのではないか、と思っていたところ、どうやら社宅跡がある種の遺跡に準じるものと判断したのか、アスファルトで固めるようなことはしていませんが、社宅跡の草木ぼうぼうの土地の樹木がほとんど取り払われてしまいました。また、こうしたことで、沈殿池や社宅跡がハッキリわかるようにはなったのですが、昭和26年の閉坑、平成9年の閉山(閉坑後もポンプや竪坑が稼働していた)という歴史をたどり、産業遺産としてひっそりと眠っていた万田坑のある種の「雰囲気」がなくなってしまいました。こんな感じです。
■まるごと博物館た~い! NPO法人大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ ブログ-駐車場工事(ファンクラブ撮影)駐車場工事の様子(ファンクラブ撮影)

そして、万田坑が世界遺産暫定リスト記載の「九州・山口の近代化産業遺産群」の1つの構成資産となった昨年1月からほぼまる1年間、万田坑施設の重要文化財・史跡エリアは、櫓の補修と巻揚げ機室の補修の工事で閉鎖され、本年4月24日までは閉鎖されている予定です。昨年夏からは煉瓦造の巻揚機室の補修にとりかかり、本年1月、養生のシートが取れました。
ところが、養生シートが取れてビックリ!かなり姿が変わってしまっていました。

画像で示してみましょう。クリックすると拡大します。
■まるごと博物館た~い! NPO法人大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ ブログ-工事前(ファンクラブ撮影)工事前(ファンクラブ撮影)

■まるごと博物館た~い! NPO法人大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ ブログ-工事後(荒尾社パンフより)工事後。窓と屋根の直下に注目(荒尾市パンフより)

■まるごと博物館た~い! NPO法人大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ ブログ-工事前妻側、丸窓に注目(写真は荒尾市ホームページより転載)工事前(妻側、丸窓に注目、荒尾市ホームページ掲載の写真)

■まるごと博物館た~い! NPO法人大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ ブログ-工事後妻側(ある方の撮影で許可を得て掲載)工事後(妻側、工事前と角度が違うが丸窓と△の部分の屋根直下に注目、ある方の撮影した写真を許可を得て掲載)

よく見比べると、耐震補強のために屋根の少し下に茶色い鉄板が入っていますし、
万田坑が会社の施設として使われていく過程で、ブロックやレンガでふさがれていたものにガラス窓がはめられています。また、妻側(三角形の部分)の丸窓はかつて「三」「井」(三井)とデザインされていたものがなくなり、ここにもガラス窓がはまっています。つまり、万田坑創業当時の明治末期のようすに「復元」されているのです。外観ばかりでなく、建物の内部は耐震補強のため、鉄骨ブレースが入りましたし、来客安全対策のために階段も新しくなってしまいました。

実は、工事後の状態というのは、日本の文化財や文化財を活用した観光スポットとしては特に問題ではないのですが、これでは「産業遺産の世界遺産」からは遠ざかり「観光スポット」になってしまってゆく過程なのではないでしょうか。
そして、最大の問題は、こうした過剰な復元や景観操作によって、世界遺産の基準に合致しないようなものになってしまっているのではないかということです。それも暫定リストという本登録前の大事な時期ですから...。
もし、これによって万が一万田坑が世界遺産の本登録にノミネートされないということになると、当然三池炭鉱全体、場合によっては九州山口の近代化産業遺産全体が世界遺産から遠のくことになりかねません。

わたしは、行政当局が、万田坑整備により観光による集客・地域浮揚の側面だけに力を注いでいることを危惧しており、地域住民を交えた保存管理計画が必要ではないのか、ということを昨年12月に文書で申し入れました。ただ、もう一方で、お客様の「おもてなし」に関わる万田炭鉱館や市民ガイドの育成をNPOとして担っており、確かに駐車場は不足しているし、整備の工事に入ったのであれば、あそこやここの来客安全性なども気になっていることも伝えていました。そういう意味では、あからさまな観光化を危惧しつつも、既に既定路線で工事が決まった(あるいは工事中の)状況下で安全性を言わねばならなかった、ということで、結果的に文化財の価値を減じることを手伝ってしまった可能性すらあります。このあたり、認識・普及不足と当局への提案・申し入れ不足を今回、大変自己省察しております。

結論から言うと、ユネスコ世界遺産、その中でも特に近代化産業遺産世界遺産の価値観というのは、日本における江戸時代までの寺社仏閣保護を念頭に置いた文化財保護法的な価値観でもなく、「きれいに整備された観光地」でもなく、ましてや世界遺産の名前で集客して地域浮揚を図るといった、従来型の団体観光とは異なったものだ、ということです。

ファンクラブ理事のなほこさんも、個人のアメブロですごく含蓄のあることを書いておられるので紹介します。あわせてごらんください。こちらです。

みなさんは、どう思われますか?
コメント、よろしくおねがいします。