復活の御近所探検隊・ウラ ヨコハマ編その7 | 大江戸探検隊 改め「快遠隊」がゆく!

復活の御近所探検隊・ウラ ヨコハマ編その7

さて、「ウラヨコハマ」の”ウラ”の出典の一つでもある島太郎ネタの内、

慶運寺編のつづきでございます。

 

さて、前回も出てまいりました、

慶運寺版「浦島太郎伝説関係資料」

文字を読める様に、いつもより大きめにUPしてみました。(by 染之助染太郎)

 

この文中にある、浦島親子塔というのが〜〜〜…

はい、こちら。

 

別の角度で。

 

これによると、「浦島大夫(父)の廟所」

「浦島太良(太郎本人)の齢塚」というのが、

この寺にはありますよ、と書いてあろうかと思いますが…

 

この石塔以外には、それに当たる廟所も塚も他には見当たらず。

 

一応、隣接している墓地内もぐるっと探してみましたが、他人様のお墓の間を

物欲しそうにうろちょろとするのも憚られ、また、このお寺の和尚さんらしき

方にも未だ行き合う事もなく。

 

一度、この寺の関係者(檀家?)と思われる老婦人から話しかけられたものの、

亀の手水舎をひとしきり解説された後はいまいち会話が噛み合わずに、

詳細は聞けずじまいのまま…

 

(この辺が、人見知りでイタイケなイケメンイラストレーターの私の限界…汗)

 

でも、前出の慶運寺版「浦島太郎伝説関係資料」(この更新の一番上、及びこの後の、

抜粋拡大で読者サービス part2を参照のこと)に出ている写真を見る限り、どうもこの

石塔以外に廟所も齢塚も独立しては存在していないのではと推測。

 

 

 

 

さて、続きまして、いよいよ浦島太郎関連の本丸、浦島太郎が龍宮城から玉手箱と

一緒に持って帰ったという浦島観世音が安置されているお堂というのが〜〜〜

はい、こちら。

 

その名も浦島観世音

 

ちょっとズームダウンして

この左端に見切れているのが、先ほどの親子塔。

 

 

で、その親子塔の右隣(この写真の観音堂の向こう側辺り)が、

例の突然亀の形に生え変わる植え込みがある位置でございます。

 

因みに、この観音堂の鬼瓦が水木しげるっぽくて素敵!

 

そんでもって、

こちらがその内部。

(扉は開かれていないので、用意されたのぞき穴から撮影)

 

お三方の像が確認できます。

 

真ん中が、こちら、ご本尊・浦島観世音

よく見ると、亀に乗っておられます。

 

ほんで持って、向かって左側が亀化竜女神(乙姫)

右側が浦島太郎なんだそうです。

 

む〜〜〜〜ん、立ち位置的には、

キャンディーズでいうと、

ランちゃんが浦島観世音が(センター)で、ミキちゃんが乙姫(向かって左)で、スーちゃんが浦島太郎か…

 

海援隊でいうと、

武田鉄矢が浦島観世音(センター)で、千葉和臣が乙姫で、中牟田俊男が浦島太郎か…

 

かしまし娘でいうと、

正司歌江が浦島観世音(センター)で、正司照枝が乙姫、正司花江が浦島太郎か…

 

レツゴー三匹でいうと、

レツゴー正児が浦島観世音(センター)で、レツゴーじゅんが乙姫で、レツゴー長作が浦島太郎か…

(…っていうか、正式表記は「レッツゴー」じゃなくって「レツゴー」だったのね…)

 

アクマイザー3でいうと、

ザビタンが浦島観世音(センター)で、ガブラが乙姫で、イビルが浦島太郎か…

 

マカロニほうれん荘でいうと〜〜〜〜〜〜…

(検索したけど、特に立ち位置が決まっていなかったみたい…汗)

 

む〜〜〜ん、出てくるトリオの選出が、明らかに昭和色一色なのが我ながら…汗

そんなことはどうでもよろしい。笑

 

 

閑話休題。

 

ここで、前出の町の案内板(神奈川宿の歴史)をもう一度ご覧いただきたい。

(読みやすい様に、原寸で再アップ←読者サービス)

これによると、この観音像は浦島太郎の遺品としております。

ところが…

 

ここで、今回の一番最初にアップしていた…

慶運寺版「浦島太郎伝説関係資料」↑

(抜粋拡大で読者サービス part2)と、

 

前出の…

蓮法寺版「浦島太郎伝説関係資料」↑

(抜粋拡大で読者サービス part3)とを併せ読むと

 

一旦、龍宮城から現世に帰還後、三百余年が過ぎていたと悟った浦島太郎は

「再び神奈川の浜辺より亀に乗って龍宮城に戻り、

再び帰ることはなかった」とあります。

 

つまり、この表記を信じると、浦島太郎の消息、生死は不明ということになります。

 

そんでもって、更に慶運寺のサイトの浦島伝説のページを見ると

 

「江戸名所図会には、浦島太郎は雄略天皇22年(478)に龍宮へ行き、淳和天皇時代の天長2年(825)に故郷へ帰ってきたと記され、此の間347年になる。此れは、日本紀・日本後紀の記事の引用で、おとぎ話の浦島太郎は龍宮へ行き3年たつて故郷(丹後)へ帰ったのに、すでに三百年もたってゐたと云ふ話は、このやうな古典に基づいて作られたものであらうと思われる(住職推定)」

 

…とあります。

 

太郎自身の体感時間で3年の間に、現世では347年余りの時間が経過していたという事は、

浦島時間1年に対し、現世では約115年が経過しているという計算になります。

 

次に、故郷に帰ってきたという825年から、2020年現在までに1195年が経過している

計算になります。

 

これを元に、1195年の間の浦島時間を計算すると、1195÷115=10.391となって、

浦島太郎にとっては、わずか10年と数ヶ月程度の時間経過となります。

 

ここから導き出される私の見解は、つまり…

 

浦島太郎はまだ生きてんじゃね?

 

…という事なのであります。

 

(なので、今後、横浜の神奈川区近辺で、腰蓑つけてうろちょろとしている

不審な人物を見かけたら要注意! だってそれは、もしかしたら再び龍宮城

から令和の御代に帰って来た浦島太郎本人の可能性大なのであります!)

 

(その前に、カメラを片手に神奈川区近辺をうろちょろしているオイラが、

警官から職質されちゃう可能性の方が高そうなのが気がかりだけれど…汗)

 

 

この様に、昨今ではいわゆる「ウラシマ効果」と呼ばれるこういったSF的要素、

あるいは科学的要素(アインシュタインの一般相対性理論以来、この浦島伝説の

時間のパラドックスが、まんざら絵空事ではないのかも…と注目されて来ているとか)が、

他の太郎民話、伝説と比べて、学術的にも浦島伝説を一種特別のものにしているのかと思います。

(私が大好きな『古代の宇宙人』でも、アメリカの番組なのにもかかわらず、

度々浦島伝説は取り上げられてますし…笑)

 

また、多くの現代の浦島太郎伝説では省かれておりますが、龍宮城における乙姫様を交えた

歓待には、他の多くの異類婚姻譚にも共通する、結婚生活=男女の契りを描写した、

良い子には決して聴かせられないかなりセクシャリティ満載の場面もあるとかないとか。

 

更に、この神奈川区に伝わる浦島伝説では、前述の様に「太郎は再び龍宮城へと戻った」

としているので、一般的に知られている玉手箱やら、それに付随するたちまち白髪の老人に…

といった展開がないのも特徴かと。

 

 

…ってな事で、いつになく学術的な考察を交えてお送りした今回のウラヨコハマ探検報告。

ここで終わっておけばいいものを、豈図らんや、まだまだこれでは終わらないのでありました!

 

なぜなら〜〜〜〜…

 

激写した写真が、まだまだたんまりと残っているから〜〜〜〜!!

 

…そんなこんなで、次回は慶運寺から、いよいよ浦島太郎が再び龍宮城へと

旅立ったという浜辺方面へと歩を進める事になります。

 

つづく。