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家族会議(1936年) 

監督:島津保次郎

主な出演佐分利信 高田幸吉 及川道子 桑野通子 高杉早苗 立花康子 志賀靖郎 藤野秀夫 水島亮太郎 河村黎吉 坂本武 斎藤達夫 飯田蝶子 鈴木歌子 小林十九二 二葉かほる 大山健二 日守新一 佐野周二?

 

兜町の重住商店の当主である高之(佐分利)は、同じ株屋の梶原定之助(河村)の娘・清子(桑野)と大阪の大株屋・仁礼文七(志賀)の娘・泰子(及川)の2人から想いを寄せられていた。

高之の気持ちは泰子の方にあるが、かつて仁礼文七の裏切りにより、高之の父が自殺に追い込まれた恨みから、彼女との結婚に踏み切れずにいる。しかもその泰子には、仁礼文七の秘書・京極連太郎(高田)が将来の婿の座の狙っているという噂も引っかかる。

 

亡き父に代わり重住商店を経営する高之

 

梶原定之助の娘・清子

 

仁礼文七の娘・泰子

 

泰子の婿の座を狙う仁礼文七の秘書・京極

 

この京極という男、丁稚からの叩き上げの仁礼の子飼いである。

京極は仁礼の命により東京製紙と大阪製紙との合併を企て、大株主の梶原から投資株を買い占めた。そのことを清子から知らされた高之は、株の大暴落を防ぐために、大阪へと急ぎ大株主の1人である父の盟友・池島信助(藤野)から大阪製紙の持株を譲り受けた。

 

池島の娘・忍(高杉)は泰子の親友であり、高之の来訪を歓迎する。忍は「高之さん、せっかく大阪まで来たのだから泰子に会って行かれたら?」と勧めるが、この騒ぎから高之は、泰子対する不信をさらに募らせていた。そこに偶然にも当の泰子がやって来きた。

高之に会い、心ときめく泰子だが、高之は挨拶もそこそこに宿に戻る。高之の心中を察し、「もうお終いよ。あの方、うちを嫌ろてはるに違いないわ」と嘆き悲しむ泰子であった。

 

高之は池島から株を譲り受けることで難を逃れようとするが・・・

 

池島の娘・忍 「泰子さんに会っていきなさいよ」と高之に勧める

 

高之の素っ気ない態度に悲しむ泰子

 

高之が宿に帰ると、そこにはもう1人の求婚者・清子が待っていた。恋のライバルである泰子の存在を知る清子は、居ても立っても居られず高之を追って大阪へとやって来たのだった。

高之に率直に「結婚して欲しい」と伝える清子だったが、高之からは、「あなたのことはそれほど深く考えてはいなかった」という素っ気ない言葉が返ってきた。

 

「来ちゃった〜!」高之を追い大阪まで駆けつけてきた清子

 

「私と結婚してよ〜!」と積極的な清子

 

「君のことはそれほど思ってないんだよ」と返す高之

 

ガ〜ン!何よそれ!

 

高之の対応にショックを受けた清子は、サイダーが入ったグラスを握り潰してしまう。

 

自暴自棄になった清子が心斎橋筋を歩いていると、自分の名を呼ぶ声が聞えてきた。それは京極だった。

高之にフラれた清子同様、泰子への狙いが思うように運ばない京極。同類相哀れむ2人は意気投合する。

泰子のことばかりではない。先の株の買い占めの件で、京極も高之に対し敵対心を抱いていた。「こうなったら断然貴女の見方や。胸のすくようにしてあげまっせ」と高之への復讐を誓う京極だった。

 

「おや清子はん、こんなところで何してまんの?」

 

「偶然お会いするなんて・・・ お久しぶりね」

 

失恋同士の清子と京極は意気投合する

 

さて、そんなことがあった翌日のこと。忍は高之と泰子の間を取り持とうと、自分が運転する車で2人を六甲山にある池島家の別荘に連れ出した。

忍が気を利かし、2人きりになったところで泰子は「うちのことがどうしてもお嫌いなんですね?」と高之の気持ちを確認する。

 

高之は仁礼との一件もあり、株屋という商売の危うさから、「僕がどんなに貧しくなっても、物質的な不幸を乗り越えて付いてきてくれますか?」と問い質す。「ええ」と答える泰子。互いの気持ちが1つになったところで泰子は、有馬にある別荘へと高之を招く。

 

ところがだ。仁礼からの指示で泰子を探しにきた京極が、その別荘に押し掛けてきた。素子のことで面目を潰された京極は、高之を殴りつけ泰子を強引に連れ帰る。

 

高之の返事にほっと胸をなでおろす泰子だが・・・

 

泰子を連れ戻しに来た京極

 

そんな中、仁礼の企てどおりに東京製紙と大阪製紙との合併は進んでいるようで、仲介役となった京極はまんまと新会社の専務の椅子が約束されていると言う。しかも京極は、清子の父・定之助を動かすなどの画策により、高之の持ち株は暴落。重住株店も危機に直面した。

これは高之だけの問題では済まなかった。仁礼と京極の謀略が東京の株屋と大阪の株屋との戦いにまで発展したからだ。

高之は母親・信江(鈴木)と相談の末、再び池島信助の援助を求め、店や家を担保に資金をかき集めるも、苦労の甲斐なく重住株店はとうとう破産してしまう。

 

高之は再び池島の助けを得ることができたのだが・・・

 

「東京の男ならしっかりしなさいよ!」と高之に噛みつく春子。春子の父親は重住商店の番頭であり、今回の倒産騒動で破産に追い込まれたから恨み言の1つも言いたくなるのは無理もない。これが直ぐ後に大きな事件を招くことに・・・

 

もはや絶望の淵にある高之が憂さ晴らしに立ち寄ったトンカツ屋に偶然にも京極がいた。京極は「俺が資金を貸すから挽回してみないか」と言う。この言葉に逆上した高之は、京極の申し出を突っぱねる。

高之が家に戻るとそこに忍がいた。抵当として池島のものとなった重住商店を忍が譲り受けたことを彼に知らせに来たのだ。そして忍は会社の経営を自分が引き継ぐから、高之に番頭になってほしいと言う。重住商店の再建と共同経営の提案である。高之は池島と忍の好意に深く感激した。

「資金を出すから立ち上がってみなはれ」という京極の言葉に怒り心頭の高之

 

「重住商店は私のものになったのよ。一緒に経営しない?」と高之に提案する忍

 

全てが上手くまとまりそうな兆し・・・

重住商店の倒産で泰子は高之に嫌われたと嘆きながらも、忍の勇気づけを励みに東京まで彼に会いに行く。

列車での長旅の末、高之にようやく会えたものの、高之の気持ちは変わっていた。泰子への愛に変わりはないが、株の勝負で負かされたことで、自分よりも京極のほうが相応しいと言うのだ。

しかし、「貴方から愛されていないと1日もいられない」と泰子からの熱烈な求愛にほだされた高之は、ついに泰子の愛を受け入れつつある。

 

這う這うの体で東京の高之の元へやって来た泰子は、着くなり気絶してしまう。

 

ついに高之は泰子の気持ちを受け入れる

 

そこに1本の電話が入った。忍からである。何と!泰子の父親・仁礼文七が殺されたとの知らせだった。

重住商店の破産を苦に自殺した高之の右腕・尾上惣八(水島)の娘・春子(立花)に刺されたのである。

 

仁礼文七の死亡を契機に、会社の経営は京極が引き継ぐことに。さらに京極は清子と、高之は泰子とそれぞれ結ばれた。

2組の幸福の陰には、密かに高之を慕っていた忍の采配と犠牲があったことを忘れてはならない。高之と泰子に対し、心からの祝福と気丈な態度で振る舞うも、涙をこらえる忍であった。

 

涙を隠すために独り自動車を運転する忍。

顔で笑って心で泣いて・・・ できる女はつらいね~!

 

(見どころ)

かいつまんで言えば、株屋間のマネーウォーズに5人の男女の恋愛模様が複雑に絡み合うストーリー。

設定としては面白いが、誰が誰とどうなのか、最初の20分くらいは登場人物の関係が掴みづらい。

高之が大阪の池島を頼り、協力を得るあたりからだんだん面白くなってくる。

『家族会議』というタイトルだが、この題名から内容を想像するにはかなり厳しいと言うか、全くマッチしていない。同じことが清水宏監督の『家庭日記』(1938年)にも言える。

とは言え、この作品の一番の見どころは、忍を演じる高杉早苗さんだろう。積極的に車を運転すれば、重住商店再建の立役者になるし、洋装のファッションも素晴らしく、当時の最先端の女性を見事に演じている。

それとは正反対に、か弱く、引っ込み思案な女性を演じた及川道子さん。ご本人は元々病弱だったのだろう、2年後に結核で亡くなったため、この『家族会議』が彼女の遺作となった。

 

 

一方、佐分利信さんには悪いが、『男の償ひ』といい、『母と子』や『花は偽らず』にしても、女性に対してはっきりしない中途半端な姿勢が目立つ。何となくモヤモヤ感が残る。

 

最初の観劇の場面にて、観客役のエキストラとして松竹三羽カラスの佐野周二さんと思しき人物が映される。こういう洒落っ気のあるサービスは嬉しい。

その他にも松竹俳優がちらほら出てくるので、探しながら観るとなかなか楽しめる。

●母の曲(1937年)  監督:山本薩夫 

主な出演英百合子 原節子 岡譲二 入江たか子  三島雅夫 丸山定夫 伊藤智子 水上怜子 小島洋々 佐伯秀男

 

 

 医学博士の波多野純爾(岡)を夫に持つお稲(英)は、日々幸せな生活を送っていた。

だが彼女には大きな悩みがあった。それは、貧しい家の生まれであるが故に、家族や周囲に対し強い引け目を感じていたのだ。

そもそも身分が大きく違うお稲と純爾が、なにゆえ夫婦の縁を結ぶことになったのか。

2人の馴れ初めは、20年前にさかのぼる。

純爾の家は父親の死により破産の憂き目に遭い、当時恋人だったピアニストの藤波薫(入江)との結婚を諦めた。

その傷心を癒すため、田舎の温泉に逗留していた純爾を献身的に支えたのが、宿の女中として働いていたお稲だった。

 

そして結婚した純爾とお稲。2人の間に生まれた娘の桂子(原)は、美しく心優しい娘に成長し、ピアノの才能にも恵まれた。

しかし、令嬢と呼ぶに相応しい桂子の姿が返って、下賎の生まれのお稲の存在を目立たせた。

女学校の母親会では、上流階級の夫人たちから陰湿ないじめを受けるようになった。

 

 

女学校の母親会にて、「人生の糧となった本は何か?」と問われたお稲は、正直に「沓掛時次郎」と答えたがために嘲笑の的になってしまう。

 

それでも夫の純爾はお稲に対し、慈愛の念を抱いている。

彼女が少しでも教養を身につけようと陰ながら精進していること。そして何よりも、自分や娘の桂子に対し常に献身的な愛を捧げてくれるからだ。純爾はお稲の真心に一涯をかけて報いることを心に誓うのであった。

 

純爾は研究のために3年間ドイツへと渡航することとなった。

彼の不在中、お稲は上流社会の立派な母親になろうと、英語やお花の稽古に精を出す。また桂子のほうも、「お父様がお帰りになったら聴かせたい」とピアノの練習に専念する。

 

ピアノの稽古に励む桂子。得意曲はメンデルスゾーンのGondelliedだ。

 

3年ぶりの一家団欒で、桂子はピアノリサイタルのチラシを純爾に見せ、連れて行って欲しいとおねだりをする。

純爾はハッと息をのむ。その演奏者こそ誰あろう、純爾のかつて恋人・藤波薫だった。

 

ピアノリサイタルのチラシを見せ、連れてってほしいとおねだりをする。

 

ピアニストとして華々しく活躍する藤波薫に嬉しさを覚える純爾だが、後日、2人は思わぬ場所で再会する。桂子と訪れた山中湖の富士ビューホテルにて、滞在中の薫とばったり出会うこととなった。

これに驚いたのは桂子である。崇拝するピアニストの藤波薫と父親が古くからの知り合いだったことに、感動を隠せない。

 

20数年ぶりの再会を懐かしみつつ、別れた当時の思いを互いに打ち明け合う純爾と薫。

だが、いまや2人の気持ちは大きく違っていた。お稲と桂子との幸せな生活を何よりも大事にする純爾は、「あの時きれいに諦めたのは正しかった」と振り返る。

方や薫は、「ここであなたとお会いできたのは、よくよくご縁があってのこと」と熱い気持ちが蘇ってきたことをほのめかす。

この会話を耳にした桂子は、自分の父親と薫がかつて婚約関係にあったことを知り大きなショックを受ける。

だからと言って、父親が母と結婚する以前のことを追及したとて意味のないこと。

しかしながら、このことが母を慕う気持ちへと変化したのだろう、桂子は「お母様に早く会いたい」と涙ながらに訴え、予定よりも早く自宅に帰る。

 

山中湖のホテルで偶然再会する純爾と薫。

 

桂子は純爾と薫がかつて恋人同士だったことを知ってしまう。

 

母親が恋しくなった桂子は純爾と共に家路に向かう。

 

さて、純爾と桂子が中山湖に滞在する間、お稲のところに龍作(三島)という男が訪ねてきた。

龍作は、お稲が実の兄のように慕う人物であり、純爾も彼の世話になった恩がある。夫婦共々旧知の仲なのだ。

あまり幸せそうに見えないお稲の顔色を心配した龍作は、それとなく彼女の近況をうかがう。

お稲は立派に育った桂子を自満に思いながらも、「あの人(純爾)が偉くなればなるほど、自分が惨めに思えてならない」と悲嘆を漏らす。

 

ところがだ、龍作がお稲宅を訪ねたことでちょっとした騒動が起こってしまった。

2人が一緒にいるところを目撃した母親会の1人・木村博士夫人(伊藤)の下品な勘繰りにより、「お稲さんは夫が不在の間に男を引っ張り込んでいる。何て淫らな人でしょう!」と他の夫人たちに吹き込んだのだ。

 

お稲を訪ねて来た龍作。旧知の仲の気の良い男なのだが、これがとんでもない騒動になる。

 

立場の辛さを龍作に漏らすお稲。

 

あることないことを電話で言いふらす木村博士夫人。

 

もちろんお稲に疚しいことは一切なく、純爾も桂子も彼女の潔白を信じている。しかし、世間の口に戸は立てられない。

純爾は学部長の木村博士(小島)からも、「お稲さんはいろいろと噂が立っているようだが?」と心配されるが、「彼女は僕の家内です!」と毅然とした態度を示す。

そんなとき、純爾は満州で流行する原因不明の熱病を調査するため、奉天の研究所へと旅立った。

純爾がいない不安を抱えながらも、夫の期待に応えようと努めるお稲であった。

 

そしてある日、女学校の友人たちを招き、桂子の誕生パーティーが開かれることとなった。

パーティー当日、ケーキやたくさんのご馳走、席の用意など準備に張り切るお稲と桂子。

しかしその裏では、お稲の噂を広めた張本人の木村夫人が、再び他の母親たちに電話をかけまくる。

「あんなふしだらな家庭にウチの律子(水上)を行かせるわけにはいかない」と。

結局、桂子の誕生パーティーには誰1人として来ることはなかった。

嘆き悲しむ桂子だが、泣きたいのはお稲のほうだ。こうした事態になったのはすべて私のせいだと自身を責める。

 

私の誕生パーティーに是非いらしてね~!

 

しかし桂子の友達は誰も来なかった。自らを責めるお稲。

 

パーティー不参加の一件により、桂子の友人たちの間にもお稲の悪い噂が広まった。

今まで仲良しだった律子も「あなたと遊んじゃいけないとママに言われた」と桂子を仲間外れにする。

とにかく、ここ数日に起きた嫌なことを忘れようと、お稲は桂子と共に山中湖のホテルを訪れる。

山中湖にて桂子は、加賀見(佐伯)という青年に出会う。この加賀見、好青年なのだが、どうやら桂子を仲間はずれにした律子とも知り合いらしい。

「律子さんも一緒だから、今日僕の別荘で開くパーティーに来ていただけませんか?ぜひ、お母様もご一緒に!」と桂子は加賀見から誘いを受けた。

 

再び山中湖のホテルを訪れた桂子だが・・・。

 

ここで桂子は結婚することになる加賀見のボンボンと知り合う。

 

気が進まないし・・・ 嫌な予感が・・・ 

案の定、お稲を陰湿にいじめてきた律子の母親・木村夫人をはじめ、その母親会の仲間も同じホテルに宿泊していたのだ。

ここでも嫌がらせを受けたお稲は、「ホテルにいるのが嫌になった。こんなところに来るんじゃなかった!」と桂子に訴える。

 

しかし、その様子をうかがっていたのが、母親会の夫人らと演奏会の打ち合わせをしていた藤波薫だった。

お稲が純爾の妻であることを知った薫はお稲を庇うが、同時にお稲も薫が純爾のかつての恋人だったことを知る。

だがここで2人の心は通じ合う。お稲は薫の励ましにより、桂子の幸せためにも心を強く持とうと決意する。

 

お稲の悲しみを受けとめ、相談に乗る薫。

 

そんな矢先、お稲のところに純爾の友人の井出弁護士(丸山)が訪ねて来た。離婚届けに判を押してほしいと言うのだ。もちろん純爾からの指示ではなく、木村夫人らの差し金である。純爾が日本にいない隙に、お稲を追い出そうという魂胆だ。

 

「純爾とあなたは身分が違い過ぎる。別れた方があなたのため」とお稲に離婚を迫る井出弁護士。

 

そこでお稲は藤波薫の家を訪ね、純爾との離婚を迫られたことを彼女に打ち明ける。

このときすでにお稲の心は決まっていた。

「このまま自分が居れば、桂子を不幸にするばかり。薫様が桂子の母親になることがあの子にとって一番の幸せ」とお稲は懇願する。

薫は自分が母親に成り代わったところで桂子が幸せになるわけではなく、お稲の申し出を受け入れることなどできない。

 

お稲は、薫に桂子の母親になってほしいと訴えるが・・・。

 

さて、中山湖で出会った青年・加賀見だが、桂子のことを気に入ったのだろう。いつの間にか2人の結婚話が進んでいた。

加賀見のほうから「ぜひ、お母様にお目にかかりたい」との申し出を受け、桂子も上機嫌である。

 

ついにそのときが来た。

家同士の交流が進めば、自分が桂子の母親のままでいることで、娘を不幸にしてしまうとお稲は苦悩する。

ここでお稲は決断する。自分はこの家を去るべきだと。

 

桂子が学校に行っている間、ついにお稲は「さようなら」と書置きを残して家を出て行った。

独りぼっちになった桂子は、藤波薫の元を訪れ彼女と暮らすことになる。

本格的にピアノのレッスンを受ける桂子だが、どうしても母のことが気がかりで身が入らない。

同様に桂子のことが心配でならないお稲は、藤波薫の家先へと足を運ぶ。聞えてきたのは桂子が奏でるピアノの調べであった。桂子にとってこの生活こそが理想的な幸せと確信したお稲は、本当の別れを決意する。

 

突然のお稲の家出に悲しみに暮れる桂子。

 

勝手なことをした井出弁護士に怒り心頭の純爾。

 

とうとう家を出たお稲だが、行く当てもなく龍作のところに身を寄せていた。

競馬のノミ屋をやっていた龍作は、これを機に真面目になろうと製薬会社の職にありついた。

さらに龍作はお稲にとって嬉しい話を持ってきた。桂子のピアノ独奏会がラジオで放送されるという情報である。

雑貨屋の店先の置かれたラジオから流れてくる桂子の演奏に聴き入るお稲。

その曲はかつて桂子が教えてくれた、メンデルスゾーンの「Gondellied=ベニスのゴンドラの歌」であった。

まさしく桂子からお稲に向けて贈られた曲である。

 

桂子の新聞記事をお稲に見せる龍作。

 

ラジオから流れる桂子の演奏に聴き入るお稲。

 

その後、桂子と加賀見の結納が交わされ、結婚式の日取りも決まった。

この間、薫は密かにお稲と連絡をとっていたようだ。

お稲は桂子の結婚式に招かれることはなかったが、薫の計らいで、式場と開催の日時が伝えられていた。

雨の中、桂子の晴れの姿を陰から見守るお稲。

そんなお稲の存在を認め、彼女の心中に思いを重ねる薫。

立場こそ違えども、いまや2人の間には、互いに共鳴し合う固い絆が結ばれていたのであった。

 

結婚式での桂子の花嫁姿。

 

桂子の花嫁姿を見て感涙にむせぶお稲。

 

(見どころ)

初々しくも美しい、17歳の原節子さん。『母の曲』は、そんな彼女の魅力を描くためだけにつくられた作品と言っても過言ではないだろう。

母親・お稲役の英百合子さんは松竹設立からの女優。若い頃はお嬢様役が多かったが、さすがに30歳過ぎるとそうもいかず、成瀬巳喜男監督の『妻よ薔薇のやうに』(1935年)では丸山定男の妾役を演じた。

主演格を演じるのは今回の『母の曲』が最後になると思うが、気品と美貌を兼ね備えた入江たか子さんがライバル役ではかなり分が悪い気もする。

それでも元下賎の女・お稲を見事に演じきったのはベテランたる英百合子さんの面目躍如。

 

因みに、『母の曲』は女流作家・吉屋信子の原作小説だが、アメリカ映画の『ステラ・ダラス』(1925年)を元ネタにしたと言われている。たしかにそう言われると、ほとんど同じストーリーである。

どこまでも謙虚で献身的なお稲に対し、部分的に下品な振る舞いが強調されるステラの姿が決定的な違いだろうか。

娘の幸せだけを願い、母親自ら去っていく結末は同じだが。

 

 『ステラ・ダラス』  こちらは1937年のリメイク版。

 

いずれにしても上流階級と下層民の確執がテーマとなっている。

これを最も象徴するのが龍作の言葉だ。

「俺たち下の世界の者は、いくら足搔いてみてももう一息のところで上の奴らと気が合わねぇ。どうにもならない隔たりがあらぁ」

ただし、桂子の結納のシーンで井出弁護士がこんなことを言う。

「こうやって見ると、何から何までお稲さんの気持ちが生きていることがしみじみ分かるような気がする」

お稲の存在が改めて高く評価されることで、大団円に転じると嬉しいのだが、そうはいかないのがこの時代の現実。

最後の最後までお稲に寄り添う藤波薫により、観ている側は何となく救われたような気もするのだが・・・。

 

桂子の友達・律子を演じた水上怜子さんは、嫌われ役が多いイメージがある。

田中絹代さん主演の『風の中の牝雞』では、時子に売春を斡旋するヤリ手ババアを演じた。

 

女学生役とヤリ手ババア役の水上怜子さん。

 

劇中に登場する山中湖の富士ビューホテルは、いまも存在し高級ホテルとして知られている。

調べてみると1936年の創業とのこと。映画作品に使われることで良い宣伝になったと思う。

下賎の私には、昔も今も泊まれないだろうが・・・。

 

創業頃の富士ビューホテル。

 

美しき隣人(1940年) 監督:大庭秀雄

主な出演:水戸光子 飯田蝶子 笠智衆 高倉彰 大塚君代 廣瀬徹 三浦光子 坂本武

 

 

丸の内の大手企業で働く秋元邦子(水戸)は、兄・信夫(笠)の出征で独りぼっちになった母親(飯田)と暮らすため、会社を辞めて郷里の信州へと帰る。

実家に到着するや否や、彼女の帰郷を聞きつけた幼なじみの青年・前田(高倉)が駆けつけてくる。

清は軍馬を育てる仕事に従事しており、邦子の家でも秋月という名の馬を育てている。

“馬”という共通の仕事を通じ、互いの想いが一層募る邦子と清。

 

東京から郷里の信州に帰ってきた邦子。

 

「きれいになったなあ〜!」と邦子の帰りを喜ぶ幼なじみの清。

 

秋月を軍馬の徴兵検査に出したその日、清は村の仲間たちと投資をして、軍馬育成の事業を満州に広げる計画を邦子に語る

邦子は「私も満州に連れていってほしい」という気持ちをほのめかす。「もちろん」と笑顔で即答する清。互いの心を確かめ合い、やがては結ばれることを夢見る2人であった。

 

出征した息子の信夫に手紙を書くため、読み書きを覚える母。

 

満州行きの話が進み始めたとき、東京から3人のスキー客が村にやって来た。

そのうちの1人、転んで足を痛めた陽子(三浦)という女性をたまたま通りがかった邦子が助け、宿まで送り届けてやる。

そこには東京の会社で一緒に働いていた津村(廣瀬)という男がいた。邦子が助けた陽子は津村の妹だったのだ。

偶然の再会を懐かしむ邦子と津村。

 

この出来事をきっかけに、同じ年ごろの邦子と陽子は意気投合する。兄の津村も邦子にまんざらでもない。

もともと邦子は前の職場で“会社のクイーン”と称えられ、惜しまれて会社を辞めただけにもっともである。

津村は、「貴女のような人を田舎に置いておくには惜しい気がしてなりません」と、邦子にもう一度東京にでてくるよう勧める。

しかし邦子としては、母との生活に加え、軍馬育成や清と満州に渡る夢がある。

 

転んで足を痛めた陽子を助ける邦子。

 

思わぬところで邦子と再会し驚く津村。

 

清は、この春に満州に行くことが決まりそうだと邦子に知らせるが、母親を独り残すことになる邦子は、踏ん切りがつかない。

そこで邦子は、清に先に満州に行ってもらい、自分は後から追いかけることを提案する。

邦子の意向を受け入れたものの、素直に喜びを表せない彼女の態度に釈然としない清。このあたりから邦子の方も清との間に気持ちのすれ違いを感じ始めていた。

 

いよいよ満州行きが決まりそうと邦子に話す清であったが・・・。

 

母親のことが気がかりで、直ぐに一緒に行くと言えない邦子。

 

邦子と清の幸せを訴える母。

 

ある吹雪の晩、邦子宅に1通の電報が届いた。嫌な胸騒ぎが

もしや・・・と思ったが、それは、兄の信夫が負傷して東京の病院に転院するという知らせだった。

無事な知らせに安堵するが、母親が気がかりなのは、邦子の満州行きのことだった。

「私のことなど心配しなくてもいいから」と、邦子の幸せだけを一心に願う母。

だが一方の邦子は、何にも増して母親のことが第一なのだ。

 

そんなとき、津村兄妹が邦子の家を訪ねて来た。これから東京に帰ると言う。

兄の信夫が東京の病院にいることを知る陽子は、「お見舞いに来るときは、お母様と一緒に是非東京でお目にかかりたいわ」と邦子と指切りを交わす。

 

 「東京に来られた時は是非お会いしましょうね。約束よ!」

 

 

さて、東京に戻った陽子は、信夫が入院する陸軍病院に見舞いに行く。元気そうな信夫の姿を見て安心する陽子だが、まだ母親と邦子が見舞いに来てないことを聞かされる。

軍馬育成の仕事は手を空けることができないし、第一この当時、

信州から東京へと出るのは経済的にとても大変なことだった。

信夫の面持ちから、そのことを察した陽子は、兄の津村に頼み邦子らが見舞いに来る旅費の一切を提供することを申し出る。

 

 

 

信夫が入院する病院に見舞いに行った陽子とその友達。

 

かくして津村は再度村を訪れ、邦子と母親を伴い東京に向かうこととなった。

3人の姿を駅で目撃した清は複雑な気持ちになる。

「お邦ちゃんは東京のヤツのほうが似合うぞ」と嫌なことを言う清の仲間たち。

信夫に想いを寄せる清の妹・しげ(大塚)に至っては、「私も東京に連れていってよ」などと言い出す。

 

邦子の満州同行もはっきりせず、ますます焦りと不満を募らせる清。満州に旅立つ日まで、あと5日に迫っていた。

 

邦子たちの東京行きを駅で目撃した清とその仲間たち。

 

津村と共に東京に向かう邦子と母。

 

兄の見舞いがてら、東京見物を楽しんだ邦子と母親だが、ちょうど村に戻ったとき、満州に向かう清たち仲間3名の壮行会が行われていた。

そのことを知った邦子は慌てて駅まで駆けつけるが、清を乗せた列車はちょうど出発したところだった。

満州行きの日が急きょ前倒しとなったため、清は邦子に宛てた手紙を残していた。

しかし、清からの手紙には「僕はお邦ちゃんを諦めることした。やはりお邦ちゃんは東京のほうが似合う」と書いてあった。それは嫉妬からではなく、国の大事に向かう男としての決断あった。

いずれにしても、些細な行き違いや一方的な誤解が不幸を招くことになったのだ。

今さら悔やんでも仕方のないことと気持ちを切り替えた邦子は、秋月の教練に精を出す。

 

村に帰ると誰かの壮行会が行われていた。だがそれは、清らを満州に送る会だった。

 

兄を見送る妹のおしげ。

 

「元気でいろよ。お邦ちゃんが村に帰ったらよろしく言ってくれ」

 

邦子が駅に着いたとき、清を乗せた列車は出発したところだった。

 

清から託された手紙を読む邦子とおしげ。だがそこには、邦子への別れの言葉が書かれていた。

 

清とのすれ違いに嘆き悲しむ邦子。

 

清のことを忘れようと、軍馬の調教に精を出す邦子。

 

そんなとき、怪我の治療を終えた兄の信夫が、邦子たちの村に一時帰還して来た。

信夫は清から届いたという手紙を携えてきた。そこには「一時の衝動に駆られた自分が浅はかだった。お邦ちゃんに許しを乞いたい。勝手ながらお邦ちゃんに満州に来てもらいたいと伝えてほしい」と書いてあった。

「どうだお邦、これが兄さんからのお土産だ!」と誇らしげな信夫。

 

清の元へ行くことを、早速、電報で知らせに行く邦子とおしげであった。

 

「どうだ邦子、嬉しいだろう!」

 

「本当に嬉しいわ! お兄さん、ありがとう!」

 

(見どころ)

戦時下のプロパガンダ映画であることは確かだが、そこにロマンスの要素が強く織り込まれているのは、戦況がまだまだ深刻な状況になっていないからだろう。

 

本作品が公開された昭和15年と言えば、内務省の指導による町内会の整備拡充に伴い、小単位の「隣組」が組織化された年である。

これは、住民同士の互助的な活動による結束力の強化を図った組織だが、新しく定められた制度の活動促進を狙うべく、作品タイトルを『美しき隣人』とした・・・というのは考えすぎだろうか。

 

邦子が清を追って満州に行けば、年老いた母親が独り残されることになる。予想される後の展開に対し、「お困りの家があれば隣組全員で支援してあげなさい」という当局側の意図を読み取ることができる。

 

「あの娘たちはなぜ泣いているんだろう」と気にかける村長と役場の職員。ここにも隣組の精神が反映されている。

 

心配のあまり声をかけてきた職員に対し、「嬉しくて泣いているのよ」と返すおしげちゃん。これから清へ電報を打ちに行くところだ。

 

大庭秀雄氏の監督作品には、今回紹介した『美しき隣人』の前後に『純情二重奏』や『花は偽らず』がある。どの作品も男女の気持ちのすれ違いや心の葛藤が巧みに描かれているものの、最後はきちんと収束を果たすことで、見る側に希望感を与えてくれる。

 

大庭秀雄監督は自身の『花は偽らず』に出演した森川まさみさんと結婚した。

 

信夫が入院する陸軍病院に慰問に来た松島詩子さん。

挿入歌の「高原の乙女」を熱唱するシーンも見どころの1つ。

 

水戸光子さんは松竹の若手看板女優の1人だが、戦前の作品で彼女が主役もしくは中心ヒロインを演じた作品は意外に少ない。

本作品に彼女が抜擢されたのは、洗練された都会的な雰囲気と明るい人懐っこさの両面を併せ持つ彼女特有のキャラクターによるものだと思う。

丸の内のオフィスガールから農村の娘への転身は、水戸光子さんだからこそ美しく演じられた役柄である。

 

それと、前にもコメントしたが、水戸光子さんは終戦の年に、『男はつらいよ』の初代おいちゃん役の森川信さんと結婚したものの、翌年に別れてしまった。

1年のうちに結婚と離婚を経験したせいか、戦後の出演作品に見る水戸光子さんからは、その眼差しに明るさがなくなったと言うか、表情にもどこか険が出てきたように感じる。

(森川信さんが参るほど、本来はキツイ性格なのだろうか?)

しかしながら、女優として箔がついたのは確かであり、以後、主演格の役を演じることが多くなったようだ。

 

因みに、昭和49年、フィリピンのルパング島から帰還した小野田寛郎さんが水戸光子さんのファンだったとか。お互いに直接対面することはなかったと思うが、およそ30年ぶりに見た水戸光子さんに小野田さん何を感じただろうか。

 

                      

                    *

さて、今回紹介した『美しき隣人』だが、本当はもっと早くアップしたかった。ところが1940年の作品ながら、あまりにも映像のクオリティが悪く、これが躊躇させる理由となっていた。

そこで思いついたのが、生成AIによる画像の鮮明化である。

前回アップしたR75/5の美人さんも、実は生成AIで合成した画像である。

 

だが実際に処理してみると、元の画像によっては水戸光子さんが水戸光子さんでなくなることが度々あり、これに頼るにはいささか限界を感じた。

そもそも生成AIは、水戸光子さんを感性的に認識していないのだ。

 

ほかにも、『風の女王』のイメージで三宅邦子さんの姿を劇画風に作成してほしいと指示したことがある。

すると、なんと!風の谷のナウシカっぽい女の子のイラストが生成された。

生成AIは、『風の女王』がどのような映画なのか知らないし、三宅邦子さんそのもののイメージもない。だから「風」と「女王」のキーワードから集めた情報だけで、画像を生成したのである。

 

人間の感性は人によって微妙に異なるものである。だからそうした諸々の条件を生成AIが包括的に取り込み、イメージ&データ化できるようになるには、まだまだ遠いと感じた。

 

世の中に、“メーターバイザー”なるバイク用のアクセサリーパーツがある。
 

スピード&タコメーターの前方に取り付ける小型の風防のことで、風の整流効果をはじめ、飛び石や虫の衝突、雨水やホコリからメーターを守るパーツである。

 

前々から我がR75/5に、このメーターバイザーを取り付けたいと思っていた。

高速道路走行時の風当りはそれほど苦痛に思ったことはなく、またR75/5のメーターは、ライトケースにビルドインの一体デザインだから特に必要なわけではないのだが・・・。

 

しかしながら、ヘッドライトのオン・オフ機能を兼ねたイグニッションキーがライトケースの頂点に位置しているのは、特に走行中は心理的によろしくない。

つまり、イグニッションキーをガードするものが欲しいということななのだ。

 

それと前にも書いたが、ニュートラルランプの点灯が何とも見づらく、メーターに直接日光が当たるとほとんど見えない。

だから昼間でもメータを陰で覆うものがあればいいと思っていた。

 

これらの要求を満たすには、メーターバイザーが最適なのだが・・・。

 

バイクメーカーから特定機種のオプションパーツとしてメーターバイザーがラインナップされている場合もあるが、R75/5専用のバイザーなど後にも先にも見たことがない。

 

また、汎用の製品が無数に出回っており、取り付けられなくもないが、どうにもデザイン的に合わないし、最大のネックとなるのは、バイザーの位置がイグニッションキーと干渉することである。

 

それなら・・・ ということで、連日猛暑の暇に任せてR75/5専用設計のメーターバイザーをつくってみた。

 

かくして完成したのがコレだ!

 

自分の姿が映り込んでしまった。

 

真横から見たところ。

 

イグニッションに干渉することなく、キーの操作も容易。

 

ステーは汎用品で、なるべく前方に伸びる形状のものをチョイスした。

スクリーンの部分は、透明でなくてもイイと思い、要らなくなった何かのリアフェンダーから切り出したもの。素材はABSだと思う。

この段階でフィッティングはバッチリでどこにも干渉しない。

 

どうせ塗装するなら・・・と、BMWらしいデザインにしたかったので、ブラックベースにホワイトの2本ラインを描いてみた。

いわゆる子持ちラインである。

Denfeldのステッカーは、ソレらしく演出するために貼ったもので、このメーカーとは一切関係はない。

“made in western Germany”の小さな文字が泣かせる。

 

以下は反省・・・

 

子持ちラインはプロの職人さんのように筆で描くことなどできないので、マスキングテープで塗り分けしながらウレタン塗料で塗装した。(ピンストライプの専用筆は1本1万円くらいするらしい)

 

しかし、どうにも子持ちラインの仕上がりが悪く、最後にクリア塗料を吹いて何とかごまかした。

どうせクリア仕上げにするなら、ピンストライプは樹脂テープでも良かった。

 

メーターバイザーといっても、装飾パーツ的な要素が強ければ、塗装の出来不出来で全てが決まる。

子持ちラインの幅も少し気に入らない。

 

う〜ん、点数をつけるとしたら70点くらいかな?

 

塗装面が劣化することがあったら、やり直そうと思う。

 

とは言え、いざ取り付けてみると、苦労して設計しただけあってシックリくる。遠目で見ると子持ちラインの出来も悪くはない。

 

暑かった夏もようやく終わり、秋風が似合うバイクになった・・・

と思いたい。

 

浅草観光に来た美人さんにモデルになってもらった。

 

 

港の日本娘(1933年) 監督:清水宏

主な出演:及川道子 井上雪子 江川宇礼雄 澤蘭子 逢初夢子 斎藤達雄 南條康雄

 

 

横浜の外国人居留地にある女学校に通う黒川砂子(及川)とドラ・ケンネル(井上)は大の仲良しだった。

しかし、砂子が恋焦がれるヘンリー(江川)という青年との交際が、彼女たちの人生を大きく狂わせる。

遊び人のヘンリーは、シェリダン耀子(澤)という女とも深い関係にあった。そればかりか、ハマの与太者たちともつるんでいる。

 

砂子のことを心配するドラはヘンリーをとっつかまえ、いつもの丘で砂子と会うよう約束をとりつけるが、そこにヘンリーは来なかった。

 

左が砂子(左)で右がドラ。最初は誰がどっちなのか分かり難い。


砂子の彼氏のヘンリー。

プレイボーイのヘンリーは、シェリダン耀子とも付き合っていた。

 

悩んだ挙句、砂子がヘンリーの居場所に行くと、彼は耀子と一緒にいた。「これからヘンリーと船上舞踏会に行くのよ」と言う。

ヘンリーへの気持ちが抑えられない砂子は、舞踏会の終わりを待ち伏せし、2人の後を追って行く。

ヘンリーと耀子が向かった先は教会だった。耀子は「神様の前で結婚の誓いをしよう」と言うのだ。

これに逆上した砂子は、ピストルを取り出し、耀子に向けて発砲してしまう。

 

「これからヘンリーと船上舞踏会に行くのよ」

逆上した砂子は、ピストルの銃弾を耀子に放ってしまう。

 

この事件がきっかけで、横浜の居留地を追われた砂子は長崎、神戸を点々とすることとなった。砂子は各地で女給をしていたようなのだが、逃避行にも疲れたのか、仲間のマスミ(逢初)と売れない画家の三浦(斎藤)を伴い、ついに横浜へと舞い戻ってきた。


すっかり変貌した砂子は、女給仲間のマスミを連れて横浜に戻ってきた。

 

砂子が横浜を去った後、ドラはどうしたかというと、何と! ヘンリーと結婚していたのだ。親友の彼氏であるにも関わらず・・・

だからこそ、砂子の帰郷を知った2人の心境は複雑である。しかも砂子は昔の面影を失い、すっかりやさぐれてしまったと聞くからなおさらだ。

 

砂子がハマのチャブ屋まがいのバーに居ることを知ったヘンリーは、彼女に会いに行く。身を堕とした姿をヘンリーに見られたくない砂子だが、自分の気持ちをごまかしつつも彼を迎える。

 

ヘンリーが砂子のもとを訪れた日、彼女が住むアパートメントの隣室に1人の女性が越してきた。砂子は居候の三浦から、「その女は仕事を探していたようだ」と聞かされるが、他人のことなど知ったこっちゃない。

(その女が一体誰なのか・・・? 後に砂子の人生を変えるきっかけを与えてくれる)

 

砂子のことが気にかかるヘンリーとドラ。2人はいまや夫婦である。

ヘンリーはバーで働く砂子に会いにいくが・・・。

 

翌日になって、ドラも砂子のアパートメントを訪ねてきた。大親友だった砂子に会わずにいられなかったのだ。

ヘンリーは真面目に働くようになったし、ドラとの夫婦仲も円満だ。しかし、落ちぶれた砂子にとって、2人の幸福を素直に喜べるわけがない。もともとヘンリーは砂子の彼氏だったのだ。

「ここは貴女の来るところではない」とドラを追い返す砂子。

 

だが今度はどういうわけか、砂子のほうからヘンリーとドラの住まいを訪ねて来た。

「まだ、結婚のお祝いもしてなかったから」と言うが、ヘンリーとドラにとって自分は疫病神のような存在であり、すでに幸せな家庭を築いている2人が受け入れてくれるのだろうかという不安もあった。

 

果たして、ヘンリーとドラは、砂子を温かく迎え入れた。ドラはご馳走でもてなそうとし、ヘンリーは音楽をかけ、砂子の手をとってダンスまでしてくれた。

しかし、楽し気に躍る2人の姿を見たドラは、心穏やかではない。ヘンリーは砂子に対する罪悪感と同情心から、焼け木杭に火がついたか・・・?

「砂子にヘンリーを奪われる!?」

 

ハッと我に返り、「もう、おいとまするわ」と言う砂子。砂子を送っていく道すがら、ヘンリーと彼女の間にかつての楽しかった頃の思いが蘇る。

「真面目な生活に戻ってほしい」と懇願するヘンリー。

砂子とて以前の自分に戻りたいのはやまやまなのだ。しかし、一旦身を堕とした砂子にとってそれは到底叶わぬことである。ヘンリーの優しさが身に染みるが故に、自暴自棄になる砂子。

 

砂子とヘンリーがダンスを踊る姿を見てドラはあらぬ疑念を抱く。

 

砂子のことを心配しているのは、ドラもヘンリーも同じである。

そこである日ドラが砂子の部屋を訪ねて行くと、画家の三浦から「ヘンリーは砂子のところに度々訪ねてくる」と聞かされる。

「私に内緒で・・・ 本当なのか!?」 疑心暗鬼になるドラ。

後日、ドラは砂子の部屋でヘンリーと鉢合わせしたことで、事態は悪化する。

「もしや、ヘンリーは砂子に対する責任と憐れみから、彼女と縒りを戻そうとしているのではないか?」

そんな疑念がドラの頭を駆け回るのであった。

だが、ヘンリーの気持ちは少し違っていた。彼女を不幸にしてしまったのは自分なのだという自責の念に苛まれていたのだった。

酒に溺れるヘンリー。

 

嫉妬心から三浦は「砂子とヘンリーは度々会っている」と嘘をつく。

砂子に対する2人の気持ちは今も変わらない。だからこそ悩むのである。

 

方や砂子はというと、ドラとヘンリーの関係を壊そうとした画家の三浦に対し怒り心頭である。

三浦は砂子に一途なあまり、ドラに出任せを言ってしまったのだ。

「真面目な世間とのつながりを失くしてしまった」と三浦を激しく咎める砂子。

ヘンリーとドラの存在は、人生をやり直したいと心から願う砂子にとってたった1つの頼みの綱だったのだ。

ついに砂子は、三浦を追い出してしまうのだが・・・。

 

ドラはヘンリーの子を宿していた。

ドラとヘンリーの幸せを心から願う砂子は、酒場で飲んだくれているヘンリーを説得しドラの元へと連れ戻した。

 


「子供ができたのだから飲んだくれている場合じゃないでしょ。早くドラのところへ帰ってあげなさい」

 

「雨降って地固まる」となれば良いのだが・・・。 

独り残された砂子は孤独のままであることに変わりはない。

自身のこれからを憂いつつ砂子がアパートメントに帰ると、隣室から出てきた三浦が声をかけてきた。

砂子から追い出された三浦は、何日か前に越してきたという女の部屋に居たようだ。

その女性に対し三浦は、「医者にも見放された可哀想な女」と砂子に同情を求める。

 

いぶかる砂子は女の部屋へと入る。

 

そこに居た女は・・・・誰あろう! かつて砂子が銃弾を放ったシェリダン耀子だった。生きていたのだ!

再び対峙することとなった砂子とシェリダン耀子。

だが、耀子は重い病に侵されており、「こうなったのも自業自得なのかもしれない」と観念する。

「最後に貴方に逢えて良かった」という耀子の言葉に救われた砂子は、「世間が許してくれるまで辛抱する」と人生をやり直すことを誓う。

 

「まさか、いまここでシェリダン耀子と再会するとは!」

しかし耀子は重い病に侵されていた。

 

再び横浜を去ることを決めた砂子は、ちゃらんぽらんだが心優しい三浦と人生の再出発へと旅立つ。

砂子を描いた絵を大事そうに抱える三浦に対し、「そんな絵は捨てておしまい」と言う砂子。

まさしく、これまでの自分との決別である。

 

人生の再出発を決意した砂子に笑顔が現れる。

三浦の顔にも喜びが・・・。

砂子の命で三浦は大切にしていた絵を海に捨ててしまう。


砂子と三浦の旅立ちを見送るヘンリーとドラ。

(見どころ)

横浜きってのモダンボーイと称された北林透馬の同名小説の映画化。登場人物それぞれの立場と心情が巧みに描かれる点で清水宏監督らしい作品に仕上がっている。誰一人として悪いわけではなく、それぞれが自分の幸せを求めているだけなのに・・・ つくづく人生は思うようにいかないものである。そんな人間模様の描き方が巧み。

 

舞台は横浜の外国人居留地ということでキャスティングも工夫されている。ヘンリー役の江川宇礼雄さんはドイツ人と日本人のハーフだし(本名:ウイリー・メラー)、ドラ役の井上雪子さんもオランダ人と日本人とのハーフである。砂子役の及川道子さんと耀子役の澤蘭子さんも、当時としては何となく日本人離れした顔立ちだ。

 

それと、異国情緒あふれる横浜の情景描写が良い。冒頭の1分10秒とラスト2分くらいの尺を使って、横浜の港を出て行く船のシーンが描かれている。

「なんだが哀しくなるわ、出て行く船を見ていると・・・・ 浜っ子の気持ちよね」というドラの台詞にも表されているように、港を出入りする多くの船に人生の儚さや無常観を感じるのが、横浜人ならではの心情なのだろう。


ヘンリーとドラと和解した砂子は、三浦と共に横浜を旅立つという希望のある終わり方に、清水宏監督作品らしさがあるが、私には何となくモヤモヤ感が残る。

砂子がシェリダン耀子を撃ったピストルは、一体どこで手に入れたものなのだろうか。

最初のほうに、与太者とつるむヘンリーをドラが非難する場面があった。そのときドラはヘンリーから何かを奪い取ったのだが、最初はそれが何なのか、よく分からなった。

改めてきちんと見直すと、ドラがピストルを取り上げた様子がはっきりと確認できる。

「こんな危ないものを持ってちゃいけない」と、ヘンリーに反省を求めるシーンなのだろうが・・・。

 

ドラがヘンリーからピストルを取り上げたことがよく分かる。

 

このことから、以下のような邪推に満ちた筋書きも考えられる。

 

ドラはヘンリーから奪ったピストルを砂子に手渡し、「これで耀子を撃ち殺したら、ヘンリーは貴女のものよ。勇気を出しておやんなさいよ!」とけしかけたのではあるまいか?

一方の砂子もピストルという強力な武器を手にしていたが故に、強気の行動に出たのである。耀子を殺し、思いを遂げたものの、殺人犯になった砂子は刑務所に入れられるばかりか、ヘンリーからも縁を切られる。その隙にドラはまんまとヘンリーをゲットする。全てはドラの計算づくである。

数年後、刑務所から出てきた砂子は、自分を落し入れてヘンリーまで奪ったドラに復讐を果たそうとするが・・・・というヘタなサスペンス劇場ばりの展開である。


しかし、耀子は生きていたし、彼女との和解が決定的な転機となり人生の再出発を決意する。心救われるラストが原作どおりなのだろうから、書き換えたのでは返って物語の良さを失ってしまう。

 

バーの客・原田を演じる南條康雄さん。『非常線の女』では、時子をモノにしようとする社長の息子役を演じた。出演作品は少ないようだが、金持ちキャラがはまり役の彼の存在は、横浜のモダンな雰囲気を盛り上げるのに大きく貢献している。

 

南條康雄さん

戦前の日本映画では珍しくオートバイが登場する。ヘンリーが乗るハーレー・ダビッドソンである。

黒澤明監督の『醜聞・スキャンダル』(1950年)でキャブトンに乗る三船敏郎さん、木下恵介監督の『お嬢さん乾杯』(1949年)でBSAに乗る佐野周二さんの姿もなかなか良かった。

BSAの初期のパラレルツインだろうが機種は不明。

この後のシーンで佐田啓二さんをタンデムに乗せて走る。

 当ブログのなかで一番人気の「酒井和歌子さんとデスモスポルト」のコーナー。

 

前々から間違いに気づいており、いつか訂正したいと思っていたので、この機会にお詫び方々訂正をする。

 

「デスモスポルト」とか「スポルトデスモ」とも呼ばれているようなのだが、正しいモデル名は「GTL300/500」である。同じシリーズでは、タンク、シート、サイドカバーのデザイン違いとキャストホイールの「GTV500」というのもある。
 


GTL300/500

 

YouTubeの「バイクとつむぎチャンネル」さんのDUCATI編を観て、これが判明した。

 

https://www.youtube.com/watch?v=4mpZhP5NNLM&t=720s

 

上記の2モデルはパラレルツインのシリーズであり、ドゥカティ史上、黒歴史的なマシンと言われているそうだ。

そのエンジンは5000Kmほどで寿命に達するとされ、このことから「悪魔と粉砕機」「麻痺したツイン」という不名誉なニックネームが冠せられている。

 

これ以前のシングルデスモからの連続性を感じられない唐突なエンジンなのだから、誰もが不思議に思うはず。

(一応は、デスモドロミック機構なのだろう)

 

なぜこんなのをつくったのかというと、政府当局からの押し付けによるものだとか。

その詳細な経緯は分からないが、リカルド社の設計図をもとにタリオーニ氏が嫌々つくった結果、出来損ないが誕生したというわけだ。自身の哲学に合わないエンジンだから、わざと失敗させたという見方もできる。

 

GTLのデザインはまあまあ許せるとして、GTVに至っては900SDのダーマのまんまデザインで、これも不評だった。

デザインはともかく、ドゥカティ固有の神話や性能が伴わず、ましてやすぐに壊れるのなら、黒歴史の烙印を押されても致し方ないだろう。

GTV500

 

900SD DARMAH

 

ところで、くだんの酒井和歌子さんは5000km以上乗ったのだろうか?壊れたのを機に手放したかな?

 

もしもお会いする機会があったら感想を聴いてみたい。

(絶対ないと思うが)

 

 

 ●夜ごとの夢(1934年) 監督:成瀬巳喜男

主な出演:栗島すみ子 斎藤達雄 小島照子 吉川満子 新井淳 澤蘭子 飯田蝶子 坂本武 大山健二 小倉繁 笠智衆

 

 

おみつ(栗島)は、幼い息子・文坊(小島)を女手一つで育てながら、港の安酒場で働いている。少しでも割の良い稼ぎをしようと、子供を人に預け、旅に出ていたが、大不況のご時世、日本国中探しても景気の良いところなどそうあるはずもない。

 

旅先から戻り、馴染みの船員たちにタバコをせびるおみつ。

 

しばらくぶりに自宅アパートに帰ると、早速、文坊にお土産をねだられる。だが、旅の間は独り食うだけがやっとで、土産が買えるほどのお金を残せなかった。

それでも、おみつが帰って来たことに大喜びする文坊。その姿を見るにつけ、我が身の惨めさを痛感するのであった。

 

文坊を預けていた懇意の夫人(吉川)から、「何度か、あんたを尋ねて来た人があったよ」と聞かされる。

おみつはピンときた。3年前に家を出て行った夫の水原(斎藤)だ。文坊の父親でもある。

「今さら何を?」と不信に思うが、とにかく仕事をしないことには母子2人食っていけない。

おみつは元いた船員相手のバーで再び働き始める。

 

自分の帰りを待っていた文坊を抱きしめるおみつ。

 

文坊を預かってくれた夫人は「あんたを尋ねて男が来たよ」と言う。

 

おみつを目当てに来る客は多く、事実、ナンバーワンだった。

しかし、バーの女将(飯田)は、おみつを高く評価したがらない。

給金アップを要求されては困るからだ。安い賃金でおみつを散々コキ使おうという腹である。

そんな女将におみつは金の無心をする。

留守の間、文坊を預かってくれた夫婦に幾ばくかのお礼をしたいと考えていたからだ。当面の生活費も必要である。

だが、根がガメツい女将に、その願いが通るわけがない。

 

そこに現れたのが、常連客の船長(坂本)だった。「オレに立て替えさせてもらおう」と申し出たのである。この船長もまた、おみつ目当てに店に通っている客の1人なのだから、魂胆は見え透いている。

当然、女将は良い顔をしない。「どうせ金を出すなら店に落せ」というわけだ。

 

店に出るとさっきの船員たちも来ていた。

 

「オレが立て替えてやるよ」とおみつに金を渡す船長。

 

自分が儲けられないのが気に食わないバーの女将。

 

船長から借りた金の一部を礼金として夫婦に渡そうとするが、人の善い2人はなかなか受け取ってくれない。「坊やと私の顔を立ててくれ」と半ば押し付けるように手渡すおみつ。

それはともかく、例の男が今日も訪ねて来て、いま部屋で待っているとのこと。

 

自分の部屋に帰ると、案の定、そこに居たのは水原だった。彼の身なりから、以前に増して落ちぶれた様が分かった。

「出て行っておくれ!」と拒絶するおみつだが、水原は心を入れ替えて親子3人の生活を築く意志を示す。

おみつは水原のこれまでの不実を責めるが、先の夫婦が間をとりなし、どうにかこの場を収める。

一度は惚れた男。2人の間には文坊という可愛い子供もある。水原の改心は、まさしく「ほんとうにさうなら」である。

一縷の望みを託しおみつは水原との生活を再スタートした。

 

おみつは水原との復縁を拒否するも・・・。

 

人の善い夫婦が間に入り、何とか元の鞘に。

 

子供好きな水原に文坊もすっかり懐き、おみつの顔にも笑顔と安らぎが戻ってきた。

残す問題は、水原の仕事である。親子3人暮らすには、まともな職に就かなくてはならない。もちろん、おみつとしても、水商売から足を洗うつもりでいる。

 

夫婦の口利きで、製薬会社を紹介してもらうも断られてしまう。どこもかしこも求職者で溢れているのだ。

すっかりしょげ返る水原。文坊のお守りくらいしかやることのない彼は、暇つぶしついでにおみつが働くバーを覗いてみる。

ところが間の悪いことに、借りた金のことでおみつと船長が揉めているところに出くわした。おみつを連れ帰る水島。

おみつに女給を辞めてもらいたいと願う水原は、「仕事を選んぢゃいられないし、他人の口も当てにはできない。血みどろになって働いて見せる」と言う。

 

仲よしの女給友達にも水原との新生活を披露する。

 

水原の改心に期待をかけるおみつだが・・・。

 

 

貸した金を巡るおみつと船長とのいざこざに出くわす水原。

 

昼間に見かけた「職工募集」の張り紙を頼りに面接を受けるが、ここでも断られてしまう。頑丈でバイタリティーのある人材を求めており、気弱そうな水原は不向きとされた。

とことん気落ちして家に帰った水原は、おみつに「オレはここには居ないほうがいい人間かもしれない」とさえ言い出す。「文坊の将来のため、石にかじりついても・・・」と励ますおみつ。

 

 「君のような弱気な男は要らんよ」とダメだしを食らう水原。

 

悪いときには悪いことが重なるもので、文坊が自動車事故に遭ってしまう。一命はとりとめたものの、腕に大怪我を負ってしまい、入院治療が必要だという。

だが、そんな大金はどこにもない。

おみつは、バーの女将に相談し金を工面すると言う。くだんの船長との金のトラブルから、「悪いようにはしないから」との話を受けていたのだ。

 

自動車に轢かれ文坊は大怪我を負ってしまった。

 

「文坊の将来のためにも」と、女将に相談しようとするおみつ。

 

水原は自身の不甲斐なさを痛いほど感じるが、「金のことなら、オレに任せてくれ。古い友達に頼んでみる」と言う。

しかし、そんな当てなどあるはずもない水原は、ついに窃盗を働いてしまう。

 

 

 

盗んだ金をおみつに手渡そうとする水島。

友達に借りた金ではないと察したおみつは、「坊やを前科者の子にしたくないから自首してくれ」と言う。

水原は警察に追われており、もはや絶望的である。

自首したところでどうなるものでもないと思ったか、港の堤防から身を投げてしまう。


水原は盗んだ金をおみつに手渡す。

 

水原に自首を迫るおみつ。

 

翌日、水原の遺体が引き揚げられた。現場にはおみつに宛てた遺書が残されていた。

「弱虫!意気地なし!死ぬなんて!世の中から逃げ出すなんて!」

泣き崩れながらも、文坊だけは強い人間になって欲しいと心底願うおみつであった。

 

「坊やだけは、きっと強くなっておくれ」

 

 

(見どころ)

小島照子さんは女の子だが、文坊という男の子役を演じている。「小島」という名前でもしやと思ったが、『人妻椿』や『男の償ひ』でも紹介した小島和子さんと関係のある人だろうか?

もしかして姉妹?ご存じの方は教えてほしい。


文坊役を演じた小島照子さん。

 

栗島すみ子さんは、日本映画黎明期からの元祖的な女優さん。斎藤達雄さんとは、『淑女は何を忘れたか』でも夫婦役を演じた。双方、正反対の物語であり、両極端なギャップを楽しむことができる。

 

しかし、子持ちで阿婆擦れのおみつが、物語の進展と共に美人に見えてくるから実に不思議なものだ。女優を撮らせたら天下一品の成瀬マジックか?はたまた栗島すみ子さんの大女優たる所以か?

引退前の最後の出演となった成瀬巳喜男監督の『流れる』では、山田五十鈴さんの師匠役を演じ堂々の貫録を見せてくれた。

場末の女給がだんだん美人に見えてくる。


『淑女は何を忘れたか』でも夫婦を演じた斎藤達雄さんと栗島すみ子さん。

 

そしてもうお1人、気になる女優さんがある。おみつの友達役を演じた澤蘭子さんだ。劇中ではモダンな洋装のせいもあるが、主人公のおみつよりも随分と目立つ存在である。

 

宝塚少女歌劇団から映画界に入り、帝国キネマ時代から多数の出演作品で活躍する女優さん。岡譲二さんの内縁の妻だったとか。

帝国から日活、松竹を経て、昭和11年に独立。翌年、アメリカに渡る船の中で音楽家の近衛秀麿氏と出会う。

これを機に、ハリウッドドイツ・ベルリンで近衛氏と同棲生活を送り、近衛子爵夫人として社交界の華となる。

 

「澤蘭子には触らんこと」というダジャレがあるが、『夜ごとの夢』でも別格の雰囲気を醸し出している。


 都会的なイメージの女給を演じる澤蘭子さん。


帝国キネマ時代の澤蘭子さんだろうか?

 

 

 

(再レビュー)

有りがたうさん(1936年) 監督:清水宏

主な出演:上原謙 桑野通子 築地まゆみ 二葉かほる 石山隆嗣 河村黎吉 忍節子 久原良子 爆弾小僧 水戸光子 葉山正雄

 


 

伊豆の天城街道を走る乗り合いバスを舞台にしたロードムービー。

川端康成原作。『伊豆の踊子』同様、この劇中にも伊豆半島の風光明媚な情景がところどころに描かれている。

 

タイトルになっている“ありがとうさん”とは、主人公であるバスの運転手(上原)のこと。

通行人が道を空けてくれるたびに、「ありがと〜!」と元気な声で挨拶することから、地元の人たちから“ありがとうさん”の愛称で親しまれている。

 

                 ありがと〜!

 

 

不況の波は伊豆の小さな村にも押し寄せていた。

ミカン相場の大暴落により、娘を東京へと働きに出すことに・・・ 

つまり、身売りである。

普段はバスに乗ることさえない貧しい家庭だが、せめて駅まで見送りたいと言う母親(二葉)は、娘(築地)と共にバスに乗る。

不憫な母娘に胸を痛めながらも、今日も一日ハンドルを握るありがとうさん。
 

さて、そのほかの乗客はというと・・・

貧乏な村を出て別の酒場町へと流れゆく黒襟の女(桑野)。

アコギな商売で大儲けしたか、威張り散らす髭の事業家(石山)。

さらに、村の老人ほか、山師と行商人らしき男等が数名。

 

東京に売られていく娘に付き添う母親

 

伊豆の美しい海岸沿いの道を走るありがとうさんのバス。

その道中、村の様々な人たちとすれ違う。

人力車の俥夫、大八車で怪我人を運ぶ人、ミカン収穫の娘など。

「あの人たちにバスに乗っている姿を見られたんぢゃないか」と気にする娘。

すまなさそうにする母親に対し、村の老人は「娘のある親は幸せだよ。男の子ぢゃ、働こうにも仕事なんかありゃせんよ」と言うものの、なんの慰めにもならない。

 

気休めにもならないことを平然と言う村の老人

 

娘の境遇を察し、黒襟の女はかつての我が身を思い出したのだろう。同情と憐れみの目を向ける。

髭の事業家は「そんな不景気な話をするんぢゃないよ」とばかりに、大袈裟に咳ばらいをする。対し、

心中、「この、クソオヤジ!」と咳払いで応戦する黒襟の女。

 

しかも、髭の事業家は後部席に座る娘の姿をやたらとチラ見する。「何ならワシが買ってやってもイイぞ」と言わんばかりにだ。

エロジジイの根性を見透かしたか、黒襟の女は、髭の事業家に何かと悪態をつく。

「バスの中にもタヌキがいるから気をつけなよー!」と。

 

険悪な黒襟の女と髭の事業家

 

娘の境遇は他人事とは思えない黒襟の女

 

娘を身売りしなきゃいけない家もあるかと思えば、裕福な者もある。すれ違った下りのバスに乗っていたのは、東京見物から帰って来た父娘(河村・忍)。

「ついでにこれ(娘)の嫁入り支度を整えてきた」と自慢話まで聞かされ、我が身の辛さを募らせる母娘。

 

ついに泣き出す娘。

 


水の江ターキーやトーキーを見てきたと嬉し気に話す父親と娘

 

「水の江ターキーって誰さ? トーキーって何よ?」

「男の格好をした女だよ。 だからトーキーって言うのさ」

 

売られていく娘が悪いわけではないが、とにかくこの日の車内は悲壮感に満ちていた。

 

娘の涙にいたたまれなくなったのだろう。

娘が座る最後部の座席につい気を取られたありがとうさん。

ハンドル操作を誤り、危うく車・乗客もろとも崖から転落しそうになる。

危機一髪であった。

 

車内の雰囲気を少しでも良くしようと思ったのか、乗客たちに手持ちの羊羹を振る舞う母親。

ここで、黒襟の女と髭の実業家の2人はハブられる。

 

「わしにも1つ・・・」と催促する髭の事業家だが、黒襟の女は「私だけは継子ね。ひがませるもんじゃないわよ」と拗ねたひと言を向ける。

「ちょっと言ってみただけ。私は甘党じゃないのよ」と、巾着からウイスキーのポケットボトルを取り出した黒襟の女は、ぐっとひと口あおって、他の乗客たちにも「おひとつ いかが?」と勧める。

 

体よく断る男連中に対し、「イヤで幸いだよ!こんな物でも友達が金を出し合って餞別にとくれたんだからね!」と啖呵を切る。

もらった羊羹を指先で持て余す様子を指摘された男連中は、バツ悪くご相伴にあずかることに。

「何だい、皆いける口ぢゃないか」と黒襟の女は機嫌を直す。

酒の勢いで男たちも機嫌がよくなり歌まで出る始末。

 

厚かましく羊羹をもらう髭の事業家

 

何だい、皆いける口ぢゃないか

 

天城峠のあたりか、バスは朝鮮人の一行を抜いていく。

徴用工として道路工事に働かされている人たちだ。

そのなかの朝鮮人の娘が「ありがとうさ〜ん!」と叫びながら必死になってバスを追いかけてくる。

それに気づいたか、ありがうさんは「さあ、ここで一休みしますよ」とトンネルの手前でバスを止める。

皆はバスを降りて、思い思いに腰を伸ばす。

 

ようやくバスに追い着いた朝鮮人の娘。

伊豆を去って、次は信州のトンネル工事に行くのだそうだ。

娘はありがとうさんにお願いがあると言う。

この地で亡くなった父親の墓に時々お水とお花をあげてほしいと。それを頼みにありがとうさんを追いかけてきたわけだ。

「あの道が完成したら、一度日本の着物を着て、ありがとうさんのバスに乗って通ってみたかったわ。でも私たち、自分でつくった道を一度も歩かずに、また道のない山に行って道を拵えるんだわ」と寂しげに語る。

ここにも、日本人とはまた別の悲劇がある。

 


ありがとうさんに頼みごとをする朝鮮人の娘


いよいよ終点が近づいてきた。行商人たちは次々と降りて行く。

 

ここで今生の別れとなるか‥‥ 

売られていく娘が母親に言う。「私がいなくなってから母さん病死しないと良いがね」と。

この機を逃したらもう後がないと思った黒襟の女は、ありがとうさんに耳打ちをする。

「シボレーのセコハン買ったと思や、あの娘さん、ひと山いくらの女にならずに済むんだよ。峠を越えてった女は滅多に帰って来ないんだよ」と。

ありがとうさんは自分のシボレーを手に入れるために、コツコツとお金を貯めていたのだ。

 


郷里の村に独り残される母親を心配する娘

 

お金なんて働けばいくらでも稼げるぢゃないか


そして、黒襟の女は終点でバスを降りたようだ。

 

さて翌日のこと、終点で折り返すありがとうさんは下りのバスを運転する。そこには娘と母親が乗っていた。

「また会うことがあったら、あの人にお礼が言いたい」と言う娘。

ありがとうさんに囁いた黒襟の女のひと言で、娘は身売りをせずに済んだのだ。

 

(見どころ)

この時代の映画では新しいグランドホテル型式をとった作品。

つまり、乗り合いバスといった特定の環境を舞台に、登場人物の人生模様や交錯する人間関係を描く手法である。

とは言え、個々の人物像や抱える事情が克明に描かれているわけではない。しかも、乗り合いバスのごくありふれた日常を描いているわけだから、手に汗握るような展開も事件もない。

だから、見ようによっては退屈かもしれない。

それだけに映画作品としての描き方が難しいと思うが、娘の身売りというエピソードが全体のイメージづくりやストーリー展開のポイントとなっていることは確か。

 

黒襟の女の最後のセリフ・・・ 

「たった20里の街道にもこれだけのことがあるのだから、広い世の中にはいろいろなことがあるのだろうね」。

この言葉に作品で描きたかった全てが盛り込まれていると感じる。

 

前にも書いたが、この作品を観て思い出されるのが、ジョン・フォード監督の『駅馬車:Stagecoach』(1939年)だ。まず、黒襟の女とクレア・トレーバー演じる町を追い出された女・ダラスの役柄が妙に重なる。

 

それから、黒襟の女が乗客たちに酒を振る舞うシーンだ。アル中の医者(トーマス・ミッチェル)が小心者の酒商人(ドナルド・ミーク)に酒をせびるシーンをイメージさせる。

 

『有りがたうさん』のほうは3年先。フォード監督がこの作品を観たかどうかは知らないが、何らかの影響を受けているように思えてならない。意外にもアメリカでは『有りがたうさん』の評価が高いから、そう思うのは私だけではないような気がする。

因みに、『駅馬車』の日本公開は1940年だが、清水宏監督がこれを観てどう感じたか、大いに興味があるところだ。

「なんだ… オレのパクリじゃないか!?」かな?

 


ジョン・ウエインとダラス役のクレア・トレーバー

商人から酒をせびるアル中の医者

 

それから、水戸光子さんや爆弾小僧、葉山正雄さんなどの人気俳優がキャスティングされている。どこに登場するか探すのも一興。

旅芸人役の水戸光子さん

黒襟の女のラストシーンに加え、心に沁みるのは、ありがとうさんと朝鮮人の娘とのふれあいのシーンだろう。

虐げられた人たちへの慈悲の思いが表れている。ささやかな優しさを素直に表現できるところが、いまの時代の感覚と大きく違うところ。
 

朝鮮人の娘の役を演じた久原良子さんは、『金環食』 『淑女は何を忘れたか』 『愛染かつら』でも桑野通子さんと共演したし、『春琴抄』や『人妻椿』 『絹代の初恋』などでも見かけた。あまり目立たないが、もっと注目されてもよい女優さんだと思う。


久原良子さん

 

朝鮮人の娘が天城トンネルに入るバスを見送る場面。現在の様子との比較。天城越えで有名な旧トンネルではなく、新しくつくったほうだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 母と子(1938年) 監督:渋谷実

主な出演:田中絹代 佐分利信 徳大寺伸 吉川満子 河村黎吉 葛城文子 水戸光子 斎藤達夫 松井潤子 磯野秋雄 葉山正雄

 

 

おりん(吉川)は、工藤(河村)という男の妾であり、2人の間にできた娘の知栄子(田中)と暮らしている。おりんにはもう1人、知栄子の兄に当たる孝吉(徳大寺)という息子があるが、嫡子のいない工藤夫妻の家に息子として入り、工藤の会社で働いている。

 

ある日、孝吉が久しぶりにおりん宅を訪ねたところ、「お父さん、かれこれ2カ月くらい来てくれないのよ」と愚痴を聞かされる。妹の知栄子からも「ゆっくり会いに来てくれるようお父さんに言ってちょうだい」とせがまれる。

おりんの娘・知栄子 「母さんの身体が弱くなったの父さんが来てくれないからよ」と訴える。

おりんの実の息子・孝吉 「そうそう大っぴらに来られる立場じゃないんだからね」


だが、知栄子は気づいていた。おりんが病気がちのせいで、次第に工藤から疎まれるようになったことを。

そろそろ潮時か・・・ 子供たちは立派に育ったものの、このまま捨てられたのでは母がどうにも哀れと思った知栄子は、工藤の会社を訪ね直談判する。

「忙しいから」と言い訳ばかりをする工藤だが、「おりんの養生のため気候の良い所に家でも買ってやろう」と提案し、不満を鎮めようとする。

しかし、そのときたまたま居合わせた調査課の寺尾(佐分利)に対する理不尽な𠮟り方を見て、知栄子はより一層、工藤への不信感を募らせる。

 

「おりんに対する気持ちは以前と変わっとりゃせんよ」

「キミ!私が頼んだこと、全然出来とりゃせんじゃないか!」

 

工藤からダメ出しを食らったことで、寺尾はすっかり不貞腐れる。

「言われたとおりにやったのに、どこがダメなんだ!?」

実に間の悪いタイミングで工藤の前に表れたため、その火の粉が自分に降りかかったというわけだ。

とんだとばっちりである。

 

そんな事情を知らない寺尾は、しょげ返って下宿先へと帰宅する。

寺尾が馴染みの大衆食堂に立ち寄ると、店のしげ子(水戸)がメニュー札をつくり替えているところだった。寺尾は「俺が書いてやるよ」と手伝うが、「コロッケ」を「コロロッケ」と間違えて書いてしまう。それほど気持ちがへこんでいたのだ。


「コロロッケ」である。

会社を辞めるという寺尾を励ますしげ子。

 

心配するしげ子に、寺尾は「専務からイジメにあった。何だあんな会社!もう辞めたくなったよ」と正直に打ち明ける。

「あなたの会社、いまとても景気が良いそうじゃない。短気を起こさないで我慢しなさいよ」と励まされても、辞めると聞かない。それどころか「会社を辞めて食堂を手伝おうか」とさえ言う。

この言葉をプロポーズと受け取ったしげ子は、「私、それでもイイのよ」と寺尾に熱いまなざしを向ける。

 

食堂を手伝うのは、結婚の意思表示か?その気になるしげ子。

 

しげ子の返事で強気になったのか、寺尾は「辞表を叩きつけてやる!」と息巻いて出社する。

ところがだ。工藤のあたりがはまるで違っていた。昨日の一件などどうでもよい素振りで、工藤は寺尾にあることを依頼する。

 

その依頼とは、おりんに月々の手当てを届けることだった。おりんは使いに来た寺尾をつかまえて工藤が用意してくれるという住居の相談をする。「僕は専門家ではありませんから」と言いつつも、設計図面を見ながらあれこれとアドバイスをする寺尾。おりんに気に入られた寺尾は、夕食までご馳走になる。

 

寺尾が家に帰ると食堂のしげ子が待っていた。しかも和装で丸髷のカツラまでつけている。寺尾との結婚を意識してのことだろう。すっかり奥様気分である。

「会社を辞める」と言って出社した寺尾だが、昨日とはうって変わって上機嫌で帰宅した挙句、「あんなのはウソさ」とこともなげ言う。元より会社を辞めることに反対のしげ子はほっと胸をなでおろす。

 

丸髷と和装姿で寺尾を出迎えるしげ子。すっかりその気である。

 

そんな最中、21歳になった知栄子に婿を取らせることが自分の責任と考える工藤は、「どこかに適当な男はいないだろうか?」と友人の岡部(斎藤)に相談する。知栄子の結婚相手として白羽の矢が立ったのが寺尾である。寺尾は岡部の紹介で工藤の会社に入社したらしい。さらに岡部は、おりんの別荘に抵当流れの茅ケ崎の物件を斡旋する。

 

ついに寺尾は工藤から知栄子との縁談を持ちかけられる。相手が知栄子と知り、「いよいよ僕にも運が向いてきた。この縁を逃すものか」とノリノリだ。もはや、しげ子のことなど眼中にない。

 

方や、久しぶりにおりん宅を訪ねた工藤は、知栄子に寺尾との結婚を勧める。

「あの人なら、きっと母さんに優しくすると思うわ」と知栄子のほうもまんざらではない様子。

 

あれよあれよという間に、知栄子と寺尾の式の日取りが決まった。工藤がおりんのために購入した茅ケ崎の新居への引っ越し準備も進んでいる。

引っ越しの手伝いに来た寺尾に対し、改めて知栄子は自身のことを

確認する。「妾の子ぢゃお嫌ぢゃありません?」と。もちろん寺尾は、「いまさら何をおっしゃるんです!」と即座に返すのだが・・・・・。

 

寺尾との縁談を喜ぶおりん。

「寺尾さんなら母さんを大切にしてくれると思うわ」

 

滞りなく茅ケ崎への引っ越しを終えたものの、おりんの体調がどうにも優れない。

母の体調を知らせんと知栄子は、工藤を訪ねる方々、寺尾の下宿先にも足を運ぶ。下宿先では、しげ子が布団の打ち直しに精を出しているところだった。それを手伝う知栄子だが、2人は自ずと寺尾の話題となり、しげ子は寺尾のことをつい嬉し気に喋ってしまう。

 

しげ子との会話から何かを察したのだろう、知栄子は、下宿屋のおばさんに「あの方、どちらの方?」と尋ねる。すると下宿屋のおばさんは、「至って気立ての良い娘さんなので、近々、寺尾さんと一緒になるんでございますよ」と何の気なしに答えてしまう。

 

激烈なショックを受けた知栄子は、寺尾が帰ってくる前に早々に立ち去ろうとするが、しげ子に食堂に寄って行かないかと引き止められる。(しげ子のほうだって目の前にいる知栄子が寺尾と結婚の話が進んでいるなんて夢にも思わない)

案内され、一旦は席に座った知栄子だが、しげ子がちょっと目を離した隙にいなくなってしまった。

 


知栄子はしげ子と暫し心を通わせたことで、しげ子が良い人であると確信する。

 

その後、工藤の元を訪れた知栄子は、「母の体調が悪いから会いに来てほしい」と懇願するが、工藤は「今週はダメだから、来週になったら行くよ」と先延ばしにしようとする。

そして知栄子は、「寺尾さんとのお話を取り消して欲しい」と申し出る。理由を尋ねる工藤に、「気の毒な人がありますの」と答える。しげ子のことだ。

しかし工藤は、「そんなことをいちいち気にしていたらロクな夫は持てんよ」などとふざけた言いグサでごまかそうとする。

 

 

 一方の寺尾は、しげ子から知栄子が下宿に来たことを知らされるが、知栄子と仲良くしようとしたことを寺尾から酷く責められる。「どうして私たちのことをあのお嬢さんに言ってはいけないの?」と問い詰めるしげ子に、寺尾は「ウチの会社は男女の風紀には特にウルサイんだ!俺が堕落社員と睨まれたらどうなると思うんだ!」と返すが、要は自分としげ子との関係を知栄子に知られたくないのだ。

寺尾は「俺は俺の不幸を望む人間とは付き合っていられないんだ!」としげ子に吐き捨て、下宿を出る宣言する。

 

知栄子と話をしたが故に寺尾から顔をぶたれたしげ子。

そろそろ化けの皮が剥がれるとも知らず、しげ子を責める寺尾。

しげ子との関係を知栄子に気づかれたのではないかと不安に思った寺尾は、おりんの見舞いを装って彼女の様子をうかがいに行く。

案の定、知栄子の態度は手の平を返したように冷たい。

 

 

寺尾は、「誤解しないでください。あの娘とは決して何でもないんです」と言い訳をするが、「あなたは私を手放したら出世の糸口がなくなるから、躍起になってるんでしょ?あなたが大事なのは私でも母さんでも、あの娘さんでもないのよ」と知栄子から図星を指される。

はっきりと婚約の解消を伝えようとしたところ、おりんの体調が急変し、そのまま亡くなってしまう。

必死に慰め、力になろうとする寺尾だが、もはや知栄子の心にこの男は存在しない。

 

ついに寺尾の本心を見抜いた知栄子。

 

(見どころ)
妾とその子供に対する処遇を中心にストーリーが展開するが、視点を変えれば、残された妾の母と子が今後いかに幸せを掴んでいくかがテーマとなる。作品名が『母と子』たる所以はそこにある。

 

気持ちが失せた妾に十分すぎるほどの処遇を施すのも惜しい。かと言って、手切れ金ゼロで犬の仔を捨てるような対応では、男としての面子が立たない。となれば、相場的に7割くらいのことをしてやれば適当だろうというのが、ケチで無責任な工藤のハラである。その後のことなど知ったこっちゃない。だから、おりんには抵当流れの別荘を与えたし、知栄子には寺尾という、たまたま手近にいたよく分からない男を当てがったのだ。

 

ところがだ。この寺尾という男は、実直に見えるだけのクセモノだったから始末が悪い。

本当のワルなら手練手管を発揮して、もっとまだマシな展開が期待される。野暮天のクセに、要領良く立ち回ろうとする根性が裏目に出て、おりんら家族の前で孝吉の陰口をつい口走ってしまう。人を貶めることで自分の株を上げようとする根性を見透かしたのか、おりんの妹・おとよ(松井)から「あの人大丈夫なの?」と人間性を疑われてしまう。

しげ子との別れにしてもそうだ。何も知らない彼女に理不尽な理由をつけ、相手を悪者に貶める悉く卑劣なヤツである。むしろ、工藤よりも寺尾のほうが胸糞悪い。

 

この工藤と対極にあるのが孝吉である。自分の信念に正直なあまり、実の母・おりんに辛く当たるが、それも全ては母の立場を案じてのこと。ここにも血のつながった「母と子」の姿を垣間見ることができる。

「僕は弱虫だよ。寺尾とは違うよ」という孝吉。寺尾に絶望した知栄子にとって、孝吉の言葉は痛烈な皮肉と受け止められた。

 

●東京の女(1933年) 監督:小津安二郎

主な出演:岡田嘉子 江川宇礼雄 田中絹代 奈良真養 大山健二 笠智衆

 

 

46分ほどの短めの作品のためか、物語の内容、展開共に極めてシンプル。

姉のちか子(岡田)と弟の良一(江川)は2人で暮らしている。

ちか子は会社のタイピストとして働いているが、大学生の良一の学業を支えるために、勤務後は大学教授の元で翻訳のアルバイトをしていると聞かされていた。

 

ちか子と良一は仲の良い姉弟

 

ところがある日、ちか子が勤める会社に警察が訪ねて来た。

「彼女の会社での素行はどうなのか?」と尋ねられる社長。

真面目で卒なく仕事をこなすちか子の評判は優良で、翻訳のアルバイトについても会社は承認している。

 

ちか子の勤め先に警察が調査にやって来た

夜の女として酒場で働くちか子

 

しかし、翻訳のアルバイトというのは嘘で、夜の酒場で働きながら売春をしていたのだった。

ついに、ちか子に対する売春容疑で警察が動き始めたわけだが、良一の恋人・春江(田中)は、巡査である兄(奈良)からちか子の容疑を聞かされた。大きなショックを受けた春江は、そのことを良一に話してしまったのだ。

姉の潔白を固く信じる良一は、春江と大喧嘩になる。

良一は、夜遅く帰宅したちか子を問い詰めたところ、真実であると告白する。

すべては自分の学業のためと理解しつつも、自暴自棄となった良一は家を飛び出してしまう。

 

社会的に自立したちか子は春江にとって憧れの女性。そんなお姉さまが売春だなんて・・・ショックを隠し切れない春江であった

姉の真実を知り良一は大いに苦悩する


翌日、ちか子は良一の行方を尋ねに春江の家を訪れる。そこに巡査の兄から電話が入り、春江は良一が自殺したことを聞かされる。

学生が自殺したことで、スクープを取らんとする新聞記者らがちか子宅に押し掛ける。「自殺した理由に心当たりはないか?」と聞く記者に対し、ちか子は「これといってありません」と毅然と答える。ちか子の売春容疑など知る由もなく、特ダネにならないと思った記者らは早々に立ち去っていく。

 

自宅に戻された良一の亡骸を前に泣き崩れる春江。その傍でちか子は「良ちゃんは最後まで姉さんをわかってくれなかったのね。このくらいのことで死ぬなんて・・・ 良ちゃんの弱虫」と涙ながらに呟く。

 

物語は、くだらないゴシップ事件を求める記者2人(笠・大山)の姿で終わる。殺伐とした世相を如実に表現しているが、人様の不幸を食い物にするマスコミ根性は昔も今も変わらない。

 


ちか子は春江から良一の自殺を聞かされることに

 

≪見どころ≫

『東京の女』が公開された1933年・昭和8年と言えば、五・一五事件の翌年。富裕層を守るばかりの政党政治への反発に端を発する事件であることはご存じのとおりだが、この事件以降も貧富の格差は広がるばかりだった。

 

元々、ちか子と良一は裕福な家で生まれ育ったのだろう。世界恐慌の煽りから親もろとも全ての財産を失い、たった2人で世の中に放り出されたと想像される。

不況を象徴する「大学は出たけれど」という言葉が流行した時代。良一の成長だけが生き甲斐のちか子は、売春をしてまで弟を大学にやることに対し、何ら犠牲とは思ってはいない。血を分けた者に対する女性特有の愛情(姉性愛?母性愛?)は男には理解できないのかもしれない。

方や良一は、自分のために姉が犠牲になっているというジレンマに苛まれ、自身の存在意義への不信から自殺という道を選んだのだろう。

春江の立場はさらに複雑である。ちか子が売春さえしなかったら、否、少なくともその容疑をわざわざ良一に伝えることなどしなかったら、愛する恋人が自殺するという最悪の事態には至らなかったわけだ。まずは自身の直情的な行動が悔やまれるが、ちか子を哀れに思うと同時に、恨んでも恨み切れない。

いずれにしても、世知辛い世の中を姉と弟の2人きりで生き抜いている、ちか子と良一の姉弟愛と絆は、我々現代人が考えるよりはるかに固い。

 

下衆な新聞記者役で登場する笠智衆さんと大山健二さん