1965年9月6日インド軍が国境を越えパキスタンに侵攻し、公式に第二次印パ戦争が開戦した日。
印パ戦争は、インドとパキスタンの間で行なわれた戦争のこと。
第一次(1947年)、第二次(1965年)、第三次(1971年)と、両国間ではこれまでに3度の戦争が行われている。
第一次と第二次はカシミール紛争の過程で、第三次はバングラデシュの独立に際して勃発した。
インド・パキスタン戦争ともいう。
第二次印パ戦争は、インドとパキスタンの間で1965年に行われた戦争。
第一次印パ戦争に引き続いてカシミール地方の領有をめぐって行われた。
第二次印パ戦争の経緯は、1945年9月2日に第二次世界大戦が終わった結果、イギリス領インド帝国は解体される(イギリスがインド植民地を手放す)ことになったが、1947年8月15日に正式に独立するにあたり、宗教対立の影響からヒンドゥー教徒中心のインド連邦とイスラム教徒中心のパキスタンとに分かれて独立することとなった。
イギリス領インドは直轄領および藩王国からなっており、ほとんどの藩王国は、インドまたはパキスタンに帰属することで、問題は少なかった。
しかし、いくつかの藩王国では問題が生じ、両勢力に挟まれたジャンムー・カシミール藩王国についても同様であった。
ハリ・シング
ジャンムー・カシミール藩王国は藩王のハリ・シングがヒンドゥー教徒であり、住民の8割がイスラム教徒であった。
そのため、帰属を決めかねていたが、インド・パキスタンの独立後、両国から帰属への圧力がかけられていた。
ハリ・シングは独立を望んだが、住民間ではパキスタンへ帰属を求め、暴動が行われるようになった。
10月21日にはイスラム教徒の民兵がパキスタンから進入を開始し、これに対抗するため、ハリ・シングはインドへ武力介入を要請、10月27日にはシュリーナガルへの兵力展開を開始し、第一次印パ戦争が勃発することとなった。
1947年から1948年の第一次印パ戦争後、カシミール地方については、両国で分割したままの実効支配が続き、最終的な帰属は決定されなかった。
停戦監視のため、国際連合インド・パキスタン軍事監視団 (UNMOGIP) が派遣されていたが、不穏な状態が続いていた。
1962年の中印国境紛争で、アクサイチンに中国人民解放軍が侵攻、中華人民共和国が実効支配をするようになると、パキスタンもそれに影響を受け、1965年8月には武装集団をインド支配地域へ送り込んだ。
これにインド軍が反応し、第二次印パ戦争が勃発した。
インド軍はパンジャーブでも攻勢を行い、パキスタンは守勢を取らざるを得なかった。国際社会の圧力により、両国は9月20日の国際連合安全保障理事会決議211を受諾し、9月23日には停戦となった。
その後は、UNMOGIPおよび国際連合インド・パキスタン監視団 (UNIPOM) により停戦監視が行なわれた。
タシュケントにおいて、1966年1月4日より和平協議が開始され、1月10日に両軍の撤退が合意された(タシュケント宣言)。
これに基づき2月25日までに、1965年8月以前の位置へと軍を撤退させている。