どこかの国の対テロ対策訓練は刃物レベルのテロリストへ対する対テロ訓練ばかりしているが、銃で武装したテロリストに対しては専門の対テロリスト部隊が対応するのが当たり前だ。
ロシアの対テロ訓練の動画。
恐ロシア・・・・。
生かして捕らえるつもりはないね・・・・降伏や投降なんて認めないし、そんなこと言う暇なんてない攻撃だ。
ロシアの対テロ部隊と言えば、アルファ部隊が知られている。
ソ連KGBおよびロシア連邦保安庁の特殊部隊。
任務は、テロ対策、人質解放、輸送手段、国家施設の奪取と関連した過激派対策といったロシア国内のみでの活動である。
もっとも、一般には本来の任務とは逆に、ソ連のアフガニスタン侵攻の際に、ハフィーズッラー・アミーン大統領の官邸を襲撃した部隊として知られている。
アルファ部隊は、現在、同じく旧KGBの特殊部隊ヴィンペル部隊と共に、連邦保安庁の憲法体制擁護・テロ対策局特殊任務センターの下にある。
隊員は、全員が将校であり、その能力は、ロシアの特殊部隊の最高峰に位置すると言える。
隊員は、フルフェイスのチタン製ヘルメットを装着していることから、Heavy Faceのあだ名で呼ばれることもある。
装備の大部分はAK-74、AS Val、PP-91、MP-443など他のロシア連邦特殊任務部隊と変わらないが、部分的にはグロック17、H&K MP5、M4カービン、ARX160、L96A1など、欧米製の装備を配備している。
1974年7月29日、ソ連KGB議長ユーリ・アンドロポフとKGB第7局長アレクセイ・ベスチャスヌイ将軍の発議により創設された。
1985年までは、書記長とKGB指導部の個人的従属下にあった。
正式名称は、1991年8月までソ連KGB第7局破壊工作対策課「A」グループだった。
当初、隊員数は、40人を超えなかった。
主として特殊訓練を受け、健康状態が空挺軍勤務に適したソ連KGB職員から選抜された。
ソ連崩壊時までに、隊員数は約500人を数えた(キエフ、ミンスク、クラスノダール、エカテリンブルク、アルマ・アタに班)。
ロシアの「A」グループは、ロシア連邦警護総局 (GUO) に入り、本来の任務の外、1993年までロシア連邦大統領の警護を保障した。
1995年8月、アルファ部隊は、GUOの管轄下からロシア連邦保安庁(FSB)に移管された。
1998年、ウラジーミル・プーチンは、FSB長官在任時、アルファ部隊とヴィンペル部隊の再編について命令した。
それに従い、重複する機構の削減のため、両部隊からは、本部、並びに狙撃手、爆破手、通信兵等の補助部隊が解散された。
単独で残された戦闘グループは、対テロリズム・センター(現特殊任務センター)に集中させられた。
アルファ部隊の地域部隊として、1990年3月、ハバロフスクに支部が設置され、その後、エカテリンブルク、クラスノダール、アルマ・アタ、キエフ、ミンスクが追加された。
1991年のソビエト連邦崩壊により、キエフ、ミンスク、アルマ・アタの支部は、独立したそれぞれの所在地が属する国家に帰属することとなった。
- キエフ支部は、ウクライナ保安庁隷下のアルファ部隊 (ウクライナ)へ再編。
- ミンスク支部は、ベラルーシ国家保安委員会隷下のアルファ部隊 (ベラルーシ)へ再編。
- アルマ・アタ支部は、カザフスタン国家保安委員会隷下のアルイスタンへ再編。
1996年、対テロセンターが設立され、全地域部隊は同センターに編入された。その後、これらの地域部隊は、FSB支局の地域特殊作戦課(региональные отделы специальных операций、略称РОСО)に移管された。
1999年、地域特殊作戦課は、地域特殊任務課(региональные отделы специального назначения、略称РОСН)に改称された。
モスクワ郊外でおこなわれたロシア内務省の部隊による訓練の模様が公開された。
映像では、雪原から近付き、装甲車の支援の下でテロリストに支配されたビルに突入し、人質メンバーの解放を目指す訓練や、アスレチック施設のような設備を利用した訓練が見られる。
対テロ作戦には一つの組織だけでなく軍や警察だけじゃないのが普通なのかも知れない。