「驚異のドライブ体験①」現代の驚異 | 戦車のブログ

戦車のブログ

戦車のことなど書いてます。
アメンバー・メッセージ、ペタは受け付けていませんので御了承下さい。
ブログの内容・文章・画像を許可無く無断転載を禁じます。
悪質な場合は著作権侵害となりますのでご注意下さい。

 

 

「自動車と戦車の運転はこんなに違います」とり文があるがこんなに短い文なのに大きな誤りが二つもある。

 

まず、動画で紹介されているのは戦車ではなく、ブラッドレー歩兵戦闘車だ。

 

そして戦車や戦闘車は運転じゃなく操縦という。

 

なので戦車の運転手じゃなく操縦手と呼ぶのだ。

 

 

M2 ブラッドレー歩兵戦闘車は、アメリカ合衆国で開発された歩兵戦闘車(IFV)である。

 

アメリカ陸軍では、4両のIFVで機械化歩兵小隊を組み、M1戦車とIFVに随伴して下車した歩兵分隊チームが互いの弱点を補いながら戦闘に臨む体制をとっている。

 

A2型以降のM2 ブラッドレー歩兵戦闘車(IFV)は、各車両ごとに下車戦闘する歩兵分隊6名が搭乗しており、歩兵分隊24名に加えて機械化歩兵小隊の小隊長でもあるIFVの1号車の車長が下車して戦闘指揮を行うことが多く、同様に他の3両の車長も下車する。

 

IFVの車長が欠けた4両のIFVは、それぞれ残る2名の内、砲手が車長代行となり、予備砲手が砲手を務める。

 

下車戦闘歩兵の27名は9名ずつ3つの歩兵分隊となり、3名の元車長が分隊長となって戦う事になる

 

 

湾岸戦争では、M1エイブラムスよりも多くのイラク軍車両を破壊したが、12両のブラッドレーが損傷し、20両が失われた。

 

敵の砲火で失われたのは3両で、友軍による誤射が最も多かったことを受け、赤外線識別パネルの追加と識別マーキングを施された。

 

 

イラク戦争やその後の占領下では、RPG-7(ロケット推進擲弾)やIEDによる攻撃を頻繁に受けている。

 

RPGやIEDによる攻撃のみなら完全な破壊には至らないので、車体を犠牲にして乗員は難を逃れるという方針があるものの、死者の数が増えていることも事実である。

 

アメリカ陸軍ではこの他、1990年代半ば以降、ボスニア派遣軍でブラッドレーが使用されており、2006年の時点で損失したブラッドレーの数は55両である。

 

 

設計における主要目的の一つが、M1エイブラムス主力戦車に随伴可能なスピードを維持できることであったため、走破性能は非常に優れている。

 

車体の外部装甲はアルミニウム溶接で、車内の重要な部分にはラミネート装甲という構造になっている。

 

しかし、これが欠点の一つとして挙げられることもあり、アルミニウム装甲は成形炸薬弾(HEAT)の直撃を受けると蒸発・消失しやすく、弾薬の搭載量が多いことから、生存性は低下していると考えられた。

 

 

湾岸戦争での実戦経験を経て、後に装甲の強化など大幅に改良されたM2A1、M2A2が登場した。

 

M2A2からは戦場での生存性を高めるために、アップリケ装甲(爆発反応装甲)の装備が可能なようにされており、徹底した試験と評価を経て採用され、イラク戦争に実戦参加した。

 

M2A3では重量も33トンに達し、航続距離は402kmへと短くなっているが、搭載兵員数が6名から7名に増えるなど、車体も再設計された。

 

初期型のM2には車体左右側面および車体後面に兵士が乗車戦闘を行うためのガンポートが設けられており、このガンポートは単純な蓋付きの銃眼ではなくボールマウント式の高度なものとなっていたが、後に装甲強化のため廃止された。

 

 

 

 

アルミニウム合金の全溶接の装甲に履帯を備えた車体に、カミンズ製VTA-903 ディーゼルエンジン(500馬力)と662リットルの燃料を搭載して、最大速度65km/h、航続距離480kmという性能である。

 

車内は、右前部がエンジン室、左前部に操縦手が座り、車体中央の砲塔には右に車長、左に砲手が位置し、(A2型以降は)後部空間内に下車戦闘する兵員6名がほぼ互い違いに前後を向く5名と左の壁に背を付け右を向く1名とやや変則的に座乗する。