占守島の戦い ~帝国陸軍最後の戦車戦~ | 戦車のブログ

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「占守島の戦い ~帝国陸軍最後の戦車戦~」WarThunderの短編映画。

 

いろいろ言いたいことはあるけれど・・・・、池田聯隊長が日の丸を掲げてっていうシーンが無いのは残念なのと・・・なんで隊容検査で上半身裸だったり、ハゲ(坊主頭じゃないよね)で脱帽してたりするのか・・・。

 

 

 

我が祖父の戦った占守島は決して戦車十一聯隊だけが戦った訳じゃない。

 

それは知って欲しいな。

 

もちろん戦車十一聯隊も活躍したけどね。

 

後備役の兵隊も多く戦後永らくシベリアへ抑留された。

 

 

戦車十一聯隊は、昭和15年3月1日、戦車第5連隊、戦車第9連隊から要員を抽出して満州国東安省斐徳にて編成。


戦車第2師団の隷下に入り、東部国境の警備に当る。


昭和19年2月10日、戦車第2師団の隷下を離れ、北千島への転進が決定。


2月26日、北海道小樽に集結。


主力部隊は千島列島最北端の占守島に駐留し、一部は幌延島、松輪島、得撫島に分散駐留する。

 

 

 

昭和20年8月9日、ソ連軍参戦。


8月18日、ソ連軍が武装解除の準備をしていた日本側の停戦交渉に応じず、砲撃を加えながら上陸してきたため戦闘状態に陥る。


戦車第十一聯隊は全軍の先頭に立って応戦したが、多大な損害を被り、池田連隊長以下96名が戦死、21両の戦車が失われた。


8月22日、停戦協定成立。

 

 

最近、ロシア人が占守島の戦車を回収して本国へ持ち帰っている。

 

日本に返還する運動が無いのが悲しい。

 

私が現役の頃に占守島へ遺骨収集へ向かう前の元戦車十一聯隊の方たちが十一戦車大隊へ来隊され講演されたのを思い出す。

 

自衛隊の戦車部隊が旧軍の士魂戦車大隊として士魂を継承する許可を得に戦車大隊の幹部が来たエピソードなど貴重なお話を聞くことができた。

 

今はもうあの時の皆さんは・・・・・。

 

 

 

陸上自衛隊第十一旅団隷下の第十一戦車隊の部隊マークは、”士魂”。

 

1970年より「士魂戦車大隊」と称している。

 

これは旧陸軍の戦車第11連隊(愛称:士魂部隊、十一を「士」と読ませたことによる)に由来する。戦車第11連隊は満州で編成され、大戦末期には本土防衛のため千島列島に移動していたが、ポツダム宣言受諾後の1945年8月18日より起こった占守島の戦いで占守島に上陸したソ連労農赤軍と戦った。

 

戦車十一聯隊は多くの犠牲を出したが奮戦し、ソ連側に日本側以上の損害を出させた。

 

この戦いを顕彰し伝統を継承するために、第11戦車隊は「士魂」の愛称を受け継いでいる。

 

2019年(平成31年)3月26日:第11旅団の機動旅団への改編に伴い、第11戦車隊に改編。

 

本部管理中隊を廃止し、本部付隊に改編。