令和元年度遠洋練習航海 | 戦車のブログ

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海上自衛隊の遠洋練習航海は、(海上自衛隊幹部候補生学校の一般幹部候補生課程を卒業した)初級幹部に対し、外洋航海を通じて、学校等において修得した知識・技能を実地に修得させるとともに、慣海性をかん養し、幹部自衛官として必要な資質を育成するために実施している。


 また、諸外国を訪問することにより、派遣員の国際感覚のかん養に資するとともに友好親善の増進にも寄与している。


 昭和32年以降、毎年、実施しており、令和元年度で63回目となる。

 

 

 

令和元年度遠洋練習航海は、令和元年5月21日(火)~10月24日(木)(157日間)の期間行われた。

 

 

寄港地:11か国 13寄港地 航程:約26,000マイル

 


 

練習艦隊とは、海軍(それに準じる組織を含む)の要員の訓練に特化した艦隊である。

 

多くの場合、下士官及び水兵の訓練は、術科学校を除いては教育隊や海兵団で行われるので、初任士官又は士官候補生の教育末期に行われる。

 

乗船実習自体は、単艦でも行いうるが、戦術運動訓練、ハイライン訓練及び曳航被曳航訓練等の重要な訓練は2隻以上なければ実施できないため、小規模な艦隊を編成することが多い。

 

 

大日本帝国海軍では、海軍の発達にともなって教育機関としての海軍兵学校卒業者も増大し、明治36年(1903)より先任艦長を指揮官とする方式を改め、司令官を据えて遠洋航海を行うこととした。

 

 

また「金剛」・「比叡」に代えて「厳島」・「橋立」・「松島」の三艦をもって練習艦にあてることとなった。

 

上村彦之丞海軍少将(海兵4期)を司令官として1903年(明治36年)2月25日横須賀を出発し、東南アジア、オーストラリア、フィリピン、朝鮮を経て8月27日に帰国。(参照資料「少尉候補生実務練習の為練習艦隊(松嶋 厳島 橋立)編制遠洋航海の件付報告書」、防衛省防衛研究所所蔵海軍省公文備考類)。

 

 

 

海軍兵学校第33期卒業生のために、日露戦争終結してすぐの1905年(明治38年)12月19日に、島村速雄海軍少将(海兵7期)が司令官に任じられて練習艦隊が編成された。

 

同艦隊は巡洋艦松島、橋立、厳島によって構成され、1906年(明治39年)2月15日に横須賀を出港し8月2日に帰港した。

 

時代により変遷があるが、海軍兵学校卒業後に、少尉候補生として練習艦隊に配属されて、実習を経た後に海軍少尉に任じられた。

 

但し、戦時等には遠洋航海が実施されないこともあった。

 

 

乗艦実習としては、イギリス海軍では艦長に縁故のある十代半ばの年少者を艦長従卒として乗組ませて教育を施してきた。

 

1845年10月10日にアメリカ海軍は米海軍兵学校を開校したが、それでも当初は艦上での実地教育が主であった。

 

 

イギリス海軍は19世紀から士官候補生を特定の練習艦に集めて教育を施したが、1903年に全ての海軍士官候補生をダートマス英海軍兵学校に集めて教育を施すことになった。

 

 

 

海軍兵学校在学中に乗艦実習を重ねて卒業後直ちに通常軍艦に配属する米・英海軍方式と異なり、日・仏海軍などは海軍兵学校(海上自衛隊幹部候補生学校含む)卒業前後に練習艦隊で実習しながら練習遠洋航海を実施する方式を採っている。

 

 

練習遠洋航海では、外国を訪問することで、国際親善を深めると共に、初級海軍士官の国際的視野を深めることに資するという長所もある。

 

外国港入港に際しては礼砲など須要の国際儀礼も行われている。

 

 

1890年(明治23年)に遭難したエルトゥールル号も、オスマン帝国皇帝アブデュルハミト2世から明治天皇に対する答礼使節であるとともに、1889年(明治22年)にオスマン帝国の海軍兵学校を卒業した初任少尉の大半を配置しており、練習遠洋航海としての面も有していた(単艦なので艦隊ではないが)。

 

なお、海上保安庁は小規模なため船隊編成を採らず、個船たる練習船を使用している。

 

 

海上自衛隊の遠洋航海は、1957年(昭和32年)5月10日、初任幹部自衛官及び術科学校学生等に対する海洋訓練の必要性から第1警戒隊群を母体とした、PF編成の練習隊2隊とLSSL編成の練習隊3隊から成る練習隊群が編成された。

 

1961年(昭和36年)6月12日、法律第126号による自衛隊法の一部改正により、名称を練習艦隊と改める。

 

 

練習艦隊は、自衛艦隊、地方隊、教育航空集団と並び、自衛隊法に明文規定のある防衛大臣直轄部隊であり、練習艦隊司令官は防衛大臣から直接、指揮監督を受ける。

 

練習艦隊司令官は海将補をもって充てられている。

 

練習艦隊司令部は呉基地におかれている。

 

 

海上自衛隊の練習艦隊はTraining Squadron(直訳すると練習戦隊)と英訳される。

 

日本語の呼称上は自衛艦隊等と同じ「艦隊」であるがFleetよりも一段小規模のものとして英訳される。

 

なお、自衛艦の種別として練習艦(TV)が設けられている。

 

 

 

海上自衛隊の練習艦隊は、1958年(昭和33年)から毎年、遠洋練習航海を実施しており、2000年代に入ってからは、中近東・湾岸諸国へも寄港するようになる。

 

 

海上自衛隊の幹部候補生は、幹部候補生学校卒業と同時に3等海尉(大学院卒は2等海尉)に任官され、そのまま卒業証書入りの筒を左手に、音楽隊の演奏の中を同校内を行進して、江田島湾(江田内)に面して突き出ている桟橋(「表桟橋」)から沖合いに停泊中の練習艦隊の各艦に乗組むのが慣習である。

 

 

外国訪問時には旗艦による礼砲交換等も実施する。

 

 

寄港地での式典や親善行事で音楽演奏を行なうために、海上自衛隊の全音楽隊から選抜された隊員20名で編成する「練習艦隊司令部音楽隊」も乗艦する。

 

動画では横須賀地方総監の直轄部隊である海上自衛隊横須賀音楽隊に配属の海上自衛隊の歌姫と呼ばれる三宅 由佳莉三等海曹が参加しているのが解る。

 

 

 

近年の遠洋航海は、2008年度(平成20年度、第52回)遠洋練習航海(一般幹部候補生)の概要は次の通りである。期間は4月15日乃至9月18日の158日間。総航程は約57,000km。

 

派遣人員は第58期一般幹部候補生課程修了者約180名(内タイ王国留学生1名)を含む約720名。

 

訪問国は、アメリカ合衆国(真珠湾、サンディエゴ)、パナマ共和国(パナマシティ)、ブラジル連邦共和国(レシフェ、リオ・デ・ジャネイロ、サントス)、セネガル共和国(ダカール)、フランス共和国(ルーアン)、オランダ(アムステルダム)、イギリス(ポーツマス)、エジプト(ポートサイード)、インド(ムンバイ)、シンガポール(シンガポール)である。

 

太平洋上の4月23日と地中海上の9月11日には洋上慰霊祭を行い、サントス停泊中の6月21日には、サンパウロ市内で行われた日本人移民100周年記念式典に参加し、臨席した皇太子徳仁親王の前で観閲行進を行った。

 

 

 

2014年度(平成26年度、第58回)遠洋練習航海では7月5日から8日まで海上自衛隊として初めてキューバを訪問した。

 

また、9月19日から厚生労働省との省庁間協力としてソロモン諸島における戦没者遺骨収集帰還事業の支援にあたる。

 

 

2016年度(平成28年度、第60回)遠洋練習航海において、護衛艦「あさぎり」と練習艦「せとゆき」の乗員である20歳代と30歳代の男性海曹

 

この他、航海中に複数の乗員が下艦を申し出る事態も起きたという。

 

 

2020年度(令和2年度、第64回)の遠洋練習航海は新型コロナウイルスへの対処などで、初めて前期・後期の2期制となった。

 

前期の訪問国はシンガポールだけで、現地では補給のみ行う。

 

後期は練習艦「かしま」1隻のみの参加でアメリカ合衆国のノーム、アンカレッジ、パールハーバー、サイパンに寄港予定。

 

また、海上自衛隊として初めてベーリング海峡を周回し、北極圏に到達する。