航空自衛隊・F-4EJ PHANTOM / Japan Air Self Defense For | 戦車のブログ

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これだけ長く日本の空を守った戦闘機はない。

 

F-4EJ「ファントムII」戦闘機は、航空自衛隊が1968(昭和43)年10月に正式採用を決めた2人乗りの要撃戦闘機で、1971(昭和46)年7月に最初の機体を受領して以降、国内でのライセンス生産機含め140機を導入した。

 

 最盛期には6個飛行隊に配備されたものの、新型のF-15J「イーグル」戦闘機の導入により退役した。

 

一部の機体はRF-4EJとして偵察機に転用され、また90機は能力向上改修、いわゆるアップグレード改修を受けてF-4EJ改に生まれ変わり、F-15J「イーグル」を補完する戦闘機として運用が続けられた。

 

 しかしF-4「ファントムII」自体の老朽化や、さらなる新型機F-35A「ライトニングII」戦闘機の導入によって退役は進み、現在は全機運用は終わり退役した。

 

私はファントムといったら『ファントム無頼』で知った、それも大人になって古い漫画として復刊された本でだ。

 

その漫画の終わりの方でファントムもF-15へ変換されるって書いてたのに・・・・何十年もその後現役で日本の空を守り続けた。

 

大洗で見た独特のエンジン音を響かせ上空を飛ぶファントムの姿は忘れられない。

 

F-4 ファントムIIは、アメリカ合衆国のマクドネル・エアクラフト社(その後マクドネル・ダグラス社を経て、現在のボーイング社)が開発した艦上戦闘機である。

 

アメリカ海軍をはじめ、多くの国の軍隊で採用された。

 

愛称はファントムIIPhantom II)。

 

 

アメリカ海軍初の全天候型双発艦上戦闘機として開発され、大型の翼と高出力のジェットエンジンを双発で装備し大きな搭載量を特徴としている。

 

当初の機種番号は海軍ではF4H、アメリカ空軍ではF-110だったが1962年にアメリカ軍の軍用機の命名規則統一によりF-4となった。

 

ベトナム戦争での活躍から多くの西側諸国に採用され、各国の要求に応じて様々な派生型が数多く作られたことにより冷戦期の代表的な機体となった。

 

数々の実戦戦績や各国へのセールスの成功も含めて傑作戦闘機と評価され、マクドネル社の発展の原動力としてその名を世界に広めた戦闘機とされる。

 

 

 

マクドネル社とダグラス社の合併によりマクドネル・ダグラス社となってからも生産が続き、総計5,195機生産された。

 

超音速戦闘機の歴史で5,000機以上製造されたのは、このF-4とMiG-19、MiG-21、MiG-23の4機種しかない。

 

現在のベストセラーF-16が2018年時点で約4,600機であることを見ても特筆すべき生産数である。

 

設計・初飛行から約40年が経過した1990年代半ばに開発国のアメリカでは全機退役し、2000年から2015年ごろに多くの国で退役が進んだ。

 

日本の航空自衛隊でも2021年3月17日をもって全機退役し、今後も残った採用諸国でも退役が進む見込みである。

 

1966年(昭和41年)に第2次F-XによりF-86Fの後継機種としてF-4Eを日本向けに改修したF-4EJを選定した。

 

導入時の際の2機はマクドネル社セントルイス工場製の輸入、続く12機分は部品で輸入し三菱重工業でのノックダウン生産、それ以降を同社によるライセンス生産と決定した。

 

加えて、1974年(昭和49年)よりRF-4Eを14機輸入しており、1981年(昭和56年)の生産終了までに日本が調達したF-4の総数は154機となる。

 

また、F-4のライセンス生産が許可されたのは日本が唯一となる。

 

 

F-15Jが導入されるまで主力戦闘機として防空任務を担当した。

 

出自が艦上機であるために陸上機としては大きな構造重量(着艦の衝撃に耐えるため、足周りが頑丈であった)への批判や、採用後も1976年(昭和51年)のベレンコ中尉亡命事件で低空目標の探知能力(ルックダウン能力)不足が明らかになるなど、課題も抱えた。

 

 

F-104J/DJが実戦部隊から退いた1986年(昭和61年)からは数の上でもF-15Jが主力戦闘機となるが、1989年(平成元年)より延命・能力向上目的の改修を受けた90機が「F-4EJ改」となり防空任務に就いた。

 

また、RF-4E偵察機2機の事故減に対して、1990年(平成2年)より15機の近代化改修対象外の初期型F-4EJを偵察型「RF-4EJ」に改修した。

 

三沢基地の第3航空団第8飛行隊はF-2の配備遅延のために1997年(平成9年)から繋ぎとしてF-1の代わりにF-4EJ改を支援戦闘機として運用していた。

 

 

2020年、F-4EJ改を戦闘機部隊として最後まで運用していた第301飛行隊が茨城県百里基地の第7航空団から青森県三沢基地の第3航空団に移動し、F-35Aに機種更新した。

 

その翌年の2021年3月17日に飛行開発実験団の所属のF-4EJとF-4EJ改が退役し、航空自衛隊に於ける全てのF-4の運用は終了した。

 

また、RF-4E/EJ改を運用している百里基地偵察航空隊第501飛行隊を偵察型に改修したF-15Jで更新する計画があった。

 

しかし2020年現在、計画は凍結となっている。

 

 

 

F-4Eから対地攻撃能力や空中給油能力を除去し、スクランブル発進時の加速力を重視して他国のF-4Eの持つ前縁スラットを省略した機体。

 

1971年(昭和46年)7月25日に2機(1・2号機)を完成輸入し、続く11機(3~13号機)を三菱重工業でノックダウン生産、127機(14~140号機)をライセンス生産により国産とした。

 

 

1972年(昭和47年)8月1日臨時第301飛行隊を編成。

 

4号機墜落事故(1973年(昭和48年)5月1日)による2ヵ月半の飛行停止措置を経て1973年(昭和48年)10月16日に同隊は臨時が取れ正式発足。

 

その後1981年(昭和56年)までに302から306SQまでの計6個飛行隊が編成された。

 

1975年(昭和50年)11月1日より302SQに対領空侵犯措置任務が付与されアラート待機を開始した。

 

 

国産機中90機を戦力向上と寿命延長を目的としてF-4EJ改に改装し、F-15導入で余剰となった15機は偵察機RF-4EJに改装している。

 

改修対象外の機体は各飛行隊で標的曳航などの訓練支援や運用試験に用いられてきたが次第に運用の幅は狭まり、1999年(平成11年)に12機を小牧基地の簡易格納庫に保管することとなった。

 

F-4EJ国産機の機体寿命延長と能力向上を目的とした改修を行った機体。

 

1980年(昭和55年)からF-4EJの延命・能力向上研究を開始し1981年(昭和56年)度に改修設計作業を開始した。

 

1982年(昭和57年)2月20日に航空機構造保全プログラム(ASIP)検査方式による機体寿命の延長と戦闘能力の向上が可能であると判断し、昭和57年度に07-8431号機を三菱重工へ引き渡し改装、1984年(昭和59年)7月17日に初飛行、12月13日に航空自衛隊へ引き渡された。

 

自衛隊では退役機をスクラップにしていたが、近年の防衛費増大による世論の批判なども考慮し、操縦席や操縦桿などを愛好家に売却することが検討されている。