ラトビア共和国・・・・、何も浮かばない。
国も軍も戦史も浮かばない・・・・ソ連とかソ連軍だった国?
なので調べてみた・・・。
ラトビア共和国、通称ラトビアは、北ヨーロッパのバルト海沿岸に位置する共和制国家。
1990年にソビエト連邦から独立した。
EU、NATO、OECDの加盟国。
通貨はユーロ、人口は201.5万人、首都はリガである。
バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の一つで、西はバルト海に面する。北はエストニア、南はリトアニア、東はロシア、南東はベラルーシと国境を接する。面積は九州本島の1.76倍。
国連の分類では北ヨーロッパの国である。
首都のリガは港湾都市で、バルト海クルーズの主な寄港地の一つでもある。
公用語はラトビア語である。
国民の約27%がロシア系住民で、映画・テレビ・新聞・雑誌などではロシア語も広く利用される。
また、世代によっては英語またはドイツ語も話すことができる。
このマルチリンガルな国の特色は外国企業の進出の要因にもなっている。
第一次世界大戦後の1918年にロシア帝国より独立、第二次世界大戦中の1940年にソビエト連邦に占領された。
翌1941年独ソ戦でドイツが占領、大戦末期1944年ソビエト連邦が再占領し併合。
1991年に同連邦から独立を回復、2004年にEUとNATOに、2016年にOECDに加盟した。
ラトビア国軍
陸海空の三軍及び郷土防衛隊からなる国軍を有する。
国軍以外の準軍事組織としては内務省の国境警備隊がある。
第二次世界大戦中は独ソ戦初期に占領され、枢軸側に多くの兵士を供出した。
たとえば武装親衛隊の第15SS武装擲弾兵師団および第19SS武装擲弾兵師団はラトビア人で構成されていた。
枢軸側の敗戦から1991年の再独立まではソ連領であり、1998年9月までソ連軍が駐留していた。
2004年には北大西洋条約機構に加盟した。再独立後の1992年より徴兵制をしいていたが、2007年1月1日より完全志願制に移行した。
ラトビア国軍は、陸軍、海軍、空軍、国家警備隊の四軍種から成る。
- ラトビア陸軍(Sauszemes Spēki)
- ラトビア海軍(Latvijas Jūras Spēki)
- ラトビア空軍(Latvijas Gaisa spēki)
- ラトビア国家警備隊(Zemessardze)
ラトビア料理は、ラトビアの料理で、ラトビア人の食文化・食生活の中心をなす。
国内やバルト海でとれる食材、周辺地域(他のバルト三国やロシア、北欧、ポーランド、ドイツなど)といった様々な地理的および歴史的状況の影響で形成される。
ラトビア料理は主に地元の農産物で作る。ラトビアはバルト海の東岸に位置し、料理の大部分は魚料理である。
また、数多くの国、特にドイツの影響を多く受けている。
一般的に使う食材である魚、ライ麦、ジャガイモ、小麦、大麦、キャベツ、タマネギ、卵、豚肉などははラトビア産である。
ラトビアの国民的料理は脂身が多く風味があり、通常は香辛料を使用しない。典型的なラトビア料理はベーコン入り灰色豆である。
20世紀初めまで、ラトビア人とリーヴ人の主な職業は農耕と漁業であり、したがって食材のほとんどは農地から得られた。
食事の基本はRupjmaize(ライ麦パン)と様々な料理 - 穀物、豆、根菜および野菜、牛乳と蜂蜜、加えて肉または脂肪であった。
キノコとベリーは森からの恵みであった。
沿岸では魚が食事の重要な位置にあった。ニシン、スプラット、タラ、マナガツオ、ヒラメなどの魚を獲る。
ニシンは通常タマネギを加えてミルク煮にした。
串を挿して炭で調理することもあった。
下処理し、塩漬けして干物にする。
ヒラメは主に燻製される。
食事ではニシンが特に重要であり、市場で樽買いした。
年間に2から3樽のニシンを消費した。
秋には牛、 豚、子牛、子羊などを屠畜する。
肉は冬にも消費され、夏の作業 - 草刈り用にはほとんど残らない。
冬には家にジャガイモ、穀粉、挽き割り穀物、肉があり、農民は最良のときを過ごした。
牛は9月または10月に出産するまで搾乳できないため、牛乳の替わりにヘンプミルクを使った。
夏の食卓には貯蔵食品 - 木製容器入りのバターおよびBiezpiensが準備される。
夏には牛乳で作る料理 - ミルクスープと挽き割り穀物、ジャガイモおよびダンプリング、エンドウ豆の煮込みが主になる。
軽食でヘンプチーズ、サワーミルク、バターミルクまたはバターを食べる。カード、卵およびクリームを調理してチーズを作る。