戦艦「比叡」の船体発見 ポール・アレン氏の調査チーム | 戦車のブログ

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ひぇーーー!!比叡が発見された!!

 

何?

 

以下産経ニュースより転載

 

 

 米マイクロソフトの共同創業者、ポール・アレン氏(昨年死去)の調査チームは、先の大戦の真珠湾攻撃に参加し第三次ソロモン海戦で沈没した旧日本海軍の戦艦「比叡」の船体を南太平洋ソロモン諸島沖の深さ約1千メートルの海底で発見したと発表した。

 

 

 比叡は金剛型の2番艦として横須賀工廠(こうしょう)で建造され、大正3年8月に竣工。

 

観艦式の際に昭和天皇が座乗する御召艦になり、国民に親しまれた。昭和16年12月、機動部隊とともに真珠湾攻撃に参加。

 

以降、インド洋作戦やミッドウェー海戦などで活躍し、17年11月、ガダルカナル島の攻防をめぐる第三次ソロモン海戦で沈没した。

 

 

 調査チームはこれまでも沈没した軍艦の探査を行い、戦艦「武蔵」などの船体を発見。

 

昨年3月には第三次ソロモン海戦で日本軍に撃沈された米巡洋艦「ジュノー」の残骸も発見している。

 

アレン氏の死去後も調査を続けている。

 

 

(産経ニュース)

 

 

 

比叡の艦名は京都の鬼門に位置する比叡山にちなんで名付けられた。

 

艦内神社として同山山麓の日吉大社が奉祀された。

 

 

『比叡』の名を持つ日本海軍の軍艦としては、金剛型コルベット比叡に続く二代目。

 

戦後、海上自衛隊のはるな型護衛艦「ひえい」に引き継がれた。

 

1927年(昭和2年)7月30日附で高松宮宣仁親王(昭和天皇弟宮、海軍少尉)が比叡配属となる。

 

あまりにも特別扱いされるため、親王の比叡に対する印象は悪かった。

 

『私は比叡の油虫』と自嘲した程である。

 

一方で、昭和天皇の御召艦として周知され、親しまれることになった。 

 

軍縮条約失効後の改装時に大和型戦艦のテスト艦として新技術が導入され、大東亜戦争においては南雲機動部隊の一艦として行動した。

 

1942年(昭和17年)11月12日、第三次ソロモン海戦第1夜戦で損害を受け、日中の空襲により放棄・沈没した。