終戦間際に熊本5飛行場の写真を米軍撮影 米国立公文書館で発見 被害放置し敵あざむく | 戦車のブログ

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こういう偽装は軍艦でも戦車でも戦闘機でも・・・一種の迷彩だね。

 

以下産経ニュースより転載

 

 

 さきの大戦末期の昭和20年7月、熊本県内にあった旧陸軍玉名飛行場など5カ所の飛行場を、米軍機から空撮した写真52枚が、米国立公文書館で確認された。

 

画像をみると、数カ月前の空爆の被害を放置した状態だが、地元研究者は「日本軍が進めていた基地の地下化を、秘匿しようという意図がある」と分析した。 

 

 

(南九州支局 谷田智恒)

 

 

 市民団体「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」事務局長の工藤洋三氏(74)=山口県周南市=が発見した。

 

 

 工藤氏は徳山工業高等専門学校(高専)の元教授で、空襲・戦災に関する研究を続ける。

 

 

毎年3~4月には、米ワシントンにある国立公文書館を訪れ、米軍資料を精査してきた。

 

 

 

 今春、同公文書館で発見した52枚は、20年7月27日撮影の151枚の中にあった。

 

 

鹿児島県の知覧飛行場などと一緒に収録されていた。

 

 

 当時沖縄に駐屯していた米極東航空軍写真偵察中隊が、撮影したという。

 

 

 52枚のうち、熊本の飛行場の内訳は、陸軍の玉名10枚、菊池9枚、黒石(くろいし)原(ばる)16枚、隈庄(くまのしょう)8枚と、海軍の人吉9枚だった。

 

 

 工藤氏は写真データを、熊本県内の戦争遺跡の保存活動に取り組む「くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク」代表の高谷和生氏(63)=熊本県玉名市=に提供した。

 

 

高谷氏が県内に残る記録や資料などを基に、写真を分析した。

 

 

 玉名飛行場は格納庫や兵舎などが破損していた。

 

 

20年5月の爆撃による被害を、放置した状態だった。飛行場として機能不全に陥っているように見える。

 

 

ただ、高谷氏によると、航空機などを守る掩体壕(えんたいごう)は、東側で設置作業が行われていたという。

 

 

 特攻機の中継基地でもあった菊池飛行場は、3月以降4回に及ぶ空襲で格納庫屋根は大きくめくれ上がり、鉄筋も露出していた。

 

 

周囲に盛り土をした掩体壕に、破壊された機体が放置されていた。

 

 

 海軍人吉飛行場は、滑走路にまだら模様の対空迷彩を施していた。

 

同飛行場の滑走路は、熊本県内で唯一、コンクリート舗装されていた。

 

高谷氏によると、この段階で基地機能は、完全に地下に移されていたという。

 

 

 写真撮影当時、米軍など連合国軍は、20年11月を前提に九州上陸作戦「オリンピック作戦」を計画していたとされる。

 

日本側もこれを察知し、準備を進めていた。

 

 

 

 高谷氏は「当時の日本軍は本土決戦に備え、飛行場の地下基地化に取り組んでいた。写真からは、空爆で破壊された基地を放棄したように見せて、米軍を欺こうとした意図が読み取れる。画像も鮮明で資料性も高い」と語った。

 

 

 

                   ◇

 

 

 くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワークは11日、熊本市立図書館(中央区)で開催中の「絵本・戦時資料から見た熊本空襲」の会場で、今回発見された写真の一部の公開を始めた。

 

26日まで。入場無料。

 

(産経ニュース)

 

戦争遺跡とともにこういう貴重な写真とか記録して保存して欲しいですね。

 

知恵をめぐらせていかに戦ったのか、そういう記録なんだよな。