戦場にかける橋 クワイ川マーチ | 戦車のブログ

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クワイ川マーチはこの『戦場にかける橋』を観たことがなくても聞いたことがあるくらい有名な曲だ。

 

 

 

作曲したサー・マルコム・アーノルドは、近代イギリスを代表する作曲家の一人である。

 

戦場にかける橋』は、1957年公開の英・米合作映画。

 

第30回アカデミー賞作品賞受賞作品。題名の「戦場にかける橋」とは、タイ王国のクウェー川に架かるクウェー川鉄橋を指す。

 

 

 

第二次世界大戦の只中である1943年のタイとビルマの国境付近にある捕虜収容所を舞台に、日本軍の捕虜となったイギリス軍兵士らと、彼らを強制的に泰緬鉄道建設に動員しようとする日本人大佐との対立と交流を通じ極限状態における人間の尊厳と名誉、戦争の惨さを表現した戦争映画。

 

 

劇中に登場するイギリス軍兵士への数々の懲罰は、原作者のブールが実際に体験したものであるとされる。

 

 

舞台となった鉄橋が架かる川の旧来の名称はメークロン川であったが、この映画によって「クワイ川」が著名となったために、クウェー・ヤイ川と改名され、クウェー川鉄橋は公開後半世紀経過した現在でも観光名所となっている。

 

 

 

この橋・・・先日公開されたガルパン劇場版に出てきた橋だね・・・。

 

戦車戦をするには無理があったけれど・・・この橋だったんだね。

 

ガルパンはいろんな戦争映画のシーンが盛り込まれているね。

 

 

劇中で演奏される『クワイ河マーチ』(ボギー大佐)も世界各国で幅広く演奏される、数ある映画音楽の中でも最も親しまれている作品の1つである。

 

 

作中で日本軍兵士が持っているのは当時の日本軍制式銃器ではなく、イギリスのリー・エンフィールド小銃やヴィッカース重機関銃であったり、撮影セットとしてスリランカの密林の中に架橋されたクワイ河木橋は、史実と異なりダイヤモンド形上下トラス構造で製作されるなど、考証の面では注意が必要である。

 

 

 

第2次世界大戦下において当初日本の同盟国であったタイ王国と、日本軍の占領下におかれたイギリスの植民地のビルマの国境付近に、日本軍管轄の捕虜収容所があった。

 

 

「第十六捕虜収容所」と呼ばれるその場所では、日本軍と対峙する連合国軍の1国であるアメリカ海軍の中佐であるシアーズを初め、捕虜となったアメリカ軍兵士が連日過酷な労役に従事していた。

 

 

日本軍兵士に買収を試みるなど幾度となく脱出を図ったシアーズだが、ある日ニコルスン大佐が率いるイギリス軍捕虜一隊が収容所に移送されてきた。

 

 

隊が整列すると収容所の中から、所長である斉藤大佐が現れた。

 

斉藤によると、「収容所付近にある泰緬鉄道を、バンコクとラングーン間を結ぶ物とするクウェー川の橋を建設するためにイギリス軍捕虜を召集した」とのことである。

 

 

また、有刺鉄線や監視塔が無いとはいえ「孤島のジャングルから脱走することは不可能だ」と忠告した。

 

 

さらに「将校も兵士同様の労役を義務付けられている」と説明した斉藤に、大佐であるニコルスンは「ジュネーブ協定に反する」と申し立てたが受け入れられなかった。

 

 

斉藤大佐役は早川雪洲。

 

早川 雪洲は、(1886年6月10日 - 1973年11月23日)は、日本の俳優。

 

千葉県出身、1907年に21歳で単身渡米し、1910年代に草創期のハリウッドで映画デビューして一躍トップスターとなった。

 

彼はアメリカとヨーロッパで主演男優としてスターダムにのし上がった最初のアジア系俳優だった。

 

彼の「不気味でハンサムな」美貌と性的に魅力的な悪役というタイプキャスティングは、公然と人種差別が行われていた時代にアメリカ人女性の心を掴かんだ。

 

日本人排斥運動や二度の世界大戦、私生活での混乱などによるキャリアの中断を挟みながらも、晩年の『戦場にかける橋』(1958年)でアカデミー助演男優賞にノミネートされるなど半世紀以上にわたって活躍した国際的映画俳優である。

 

1956年、雪洲は『戦場にかける橋』への出演依頼を受ける。

 

スリランカでの長期ロケは困難を極めたが、完成した作品は大ヒットし、批評家からも絶賛された。

 

 

1958年アカデミー賞で作品賞、主演男優賞(アレック・ギネス)、監督賞(デビッド・リーン)、脚色賞、撮影賞、作曲賞を獲得。雪洲も助演男優賞にノミネートされたものの受賞には至らなかった。

 

本作は他にも英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、ニューヨーク映画批評家協会賞などを総なめし、出演した雪洲の名声は不動のものとなった。

 

 

 

クワイ河ではニコルスンらの指揮の下、着々と新しい橋が建設されていた。

 

食事などの待遇は改善されたものの、以前より労働量が増えたことをクリプトンは疑問に思っていた。

 

 

「日本軍への利益を提供するどころかイギリス軍への反逆行為に当たるのではないか」と。

 

しかしニコルスンは、「軍隊の士気が高まったことや兵士が健康を取り戻したこと、さらに橋の完成はイギリス軍の評判を高め後世まで伝えられる栄光をもたらす」と主張した。