戦争遺跡探訪 北部軍司令官跡 札幌護国神社 | 戦車のブログ

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北海道の戦争遺跡はまだまだある。

 

しかし年々減っていることは間違いない。

 

 

鵡川のトーチカで現地戦術をいろいろやった後に、札幌へ戻り北部軍司令官の官邸であった「つきさっぷ郷土資料館」へ。

 

 

ここは、水曜と土曜日にしか開館しておらずなかなか見学することができない資料館でもある。

 

この日も閉館していて、外観を見学したのみであった。

 

終戦時に北部軍軍司令官樋口季一郎陸軍中将が居たところで、樋口中将はユダヤ人救済をしたことやアッツ島玉砕時の軍司令官としても知られ、終戦直後に占守島に上陸したソ連軍撃破の命令を下したことでも知られている。

 

かつてこの資料館の近くには北部軍防空指揮所があったが数年前に取り壊されてしまった。

 

 

その後、札幌護国神社へ移動する。

 

護国神社境内にある彰徳苑を散策する。

 

友人はノモンハン事件の著書もあるノモンハン事件の研究家でもある。

 

 

歩兵26聯隊の軍旗奉焼の碑など興味深く見ていた。

 

 

ここには「ノモンハン英魂之碑」があり、須見連隊長筆である慰霊碑に手を合わせた。

 

私もノモンハン事件研究家の端くれなのでいろいろノモンハン事件やこの碑について由来を語る。

 

 

隣には「アッツ島玉砕 雄魂之碑」がある。

 

アッツ島の慰霊碑は隣にあるキスカ島を撤退した将兵により建立された。

 

そのキスカ島の慰霊碑は無く、キスカ撤退の際に起きた不可思議な話をここで話をした。

 

慰霊碑の由来にもその事に触れられている。

 

 

北千島慰霊碑は占守島戦で戦没された方達も慰霊されている。

 

彰徳苑には「尼港事件」「樺太戦」「日露戦争」「ノモンハン事件」など北方戦史に関わる対ソ・露戦での戦没者が多い。

 

ロシア・ソ連戦史の研究で知られる友人には関心のあるところであったようだ。

 

 

翌朝、護国神社の遺品殿を見学する。

 

いろいろ解説していたらアッと言う間に時間が過ぎていた。

 

二人だけで見学していたが、私も以前ここで見学中に物音とか誰か居る気配がするという経験をしたが友人も同じ体験をしたようだった。

 

ここには戦没した将兵の血染めの軍服も展示しているからね。

 

乃木大将が揮毫した書に友人は関心を示したが、それより関心があったのは占守島の資料だったね。

 

さすがに専門家だけあって私の解説をよく理解してくれました。

 

楽しい一時でありました。