軍隊の怪談 3 衛戍衛兵勤務 | 戦車のブログ

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軍隊の怪談を通して旧軍の兵営の話も少し解ってくると面白いと思います。

 

今夜は、『地獄の戦場 ニューギニア戦記』 より間嶋満さんの体験談を紹介します。

 

衛戍(えいじゅ)とは、大日本帝国陸軍において、陸軍軍隊が永久に一つの地に配備駐屯することをいう。

 

 

その土地を衛戍地と称した。

 

英語のGarrisonに当る。

 

自衛隊の「駐屯地」とは意味が異なるね。

 

衛戍地は、その地の高級団隊長等が衛戍司令官となった。

 

衛戍司令官はその衛戍地警備の責に任じ、兵力使用の権限も与えられた。

 

各衛戍地には所用に応じて衛戍病院、武庫、衛戍監獄(後に衛戍刑務所、衛戍拘置所となる。)が置かれ、衛戍司令官が所管した。

 

 

衛戍勤務は主として衛戍衛兵及び衛戍巡察を以て行った。

 

 

衛戍勤務に服する者は暴行を受け自衛上やむをえない場合等には兵器を使用することができたが、もし兵器を使用した場合には衛戍司令官は陸軍大臣に報告する必要があった。

 

 

それでは間嶋満さんの衛戍衛兵勤務での体験談です。

 

 


 日本国内に、多くの師団司令部が配置されていた。

 

管下各連隊交代制の衛戍衛兵勤務がある。だれもが嫌がる師団火薬庫の立哨であった。

 


  どこの師団に行っても、そこにはかならずと言ってよいほど悲しい怪談がある。

 

 

初年兵で入隊し、はじめて衛戍衛兵勤務が明日と決まると、勤務の心得を聞かせるのが古兵である。

 

主として弾薬庫の怪談を聞かせる。

 


  話の筋といえば、立哨中の出来事であった。

 


  なま暖かい夏の夜半も過ぎていた。

 

薄暗いはだか電球の外灯が、歩哨の姿を地に落としていた。

 

 

昼の疲れで巡察将校を気にしながらも、いやに瞼が垂れ下がってくる。

 

 

外灯のとどかない弾薬庫の壁に、銃と背中をもたせていた。

 

 

ついうとうととしてくる。はっ! と目を覚ましてみると、大切な銃がない。

 

 

足音を忍ばせた意地の悪い巡察将校に持ち去られたのである。

 


 「あア大変だ!」


  歩哨は呆然自失した。


 「軍法会議! やがて陸軍監獄に送られる。前科者! あア! 俺の一生は真っ暗闇だ! わずかの不注意!」

 


  身から出た錆とはいえ、親兄弟にすまぬ思いと、世間に合わせる顔がない。

 

 

破滅である。

 

 

死以外に道はなかった。

 

 

横に垂れ下がった柳の木で首を縊っていたという。

 

 

それから弾薬庫に、幽霊が出るようになった。柳の下で世にも悲しい声で、「銃をかえーせー」という話である。

 


  この話は上級者の下級者にたいする戒めの言葉である。

 

だからどこの師団にいっても同じような話があり、弾薬庫には定められたように陰気臭い柳の木が生えていた。

 

また、巡察将校は、兵科も連隊も違った将校であり、注意だけではすましてくれなかった。

 

 

歩哨の居眠りは、軍法上の犯罪として処断されていたのも事実であった。

 

 

この話、軍隊の怪談1で紹介した棟田博の怪談とほぼ一緒でしょう?

 

 

つまり全国各地の軍隊に同じような怪談が存在し、軍紀の厳しさを怪談に込めていたのです。

 

歩哨立哨中に居眠りすると大変なことになるぞとね。

 

怪談にはそうした教訓もあるのです。

 

軍隊の怪談だけでなく、悪いことをすると祟られるぞとか呪われるぞと言った怪談にはそいうことも込められているのかもね。

 

神も仏も信じず、あの世も幽霊も信じない人に罰当たりが多いと私は思う。

 

韓国人が日本に来て、神社仏閣、墓まで破壊するのがその証拠ですね。